みなさん、こんにちは!
年度末は嫌ですねぇ・・・
東名高速もあちらこちらで工事です。
おかげで、その度に大渋滞。
昨日は帰りが1時間も遅れました。
横浜と清水を行き来する生活、まだ一年以上も続くのかぁ・・・。
昨年11月の初旬、小倉で女房の三回忌法要を行いました。
横浜の叔母と小倉の叔父、広島の義兄も来てくれて、ひっそりですがアットホームに執り行いましたよ。
まだまだ墓を見つめていると涙が出ます。
仕方ないですね。
まだ、2年しか経っていないんだもの・・・。
法要を終えて、一同で女房が大好きだった鰻を食べに行きました。
夜は、叔父と叔母と3人で小倉の街へ。
3人で楽しく飲みましたよ。
小倉は魚も美味しくて、懐かしく昔を語り合いました。
翌日は、夕方の飛行機の時間まで、叔母と佐賀へ。
私が一度行ってみたかった佐賀城址を見学しました。
佐賀鍋島藩35万7千石のお城。
かつて我が祖先も禄を食んだ藩です。
これは大手門。
代々のご先祖様達もこの門をくぐって城に登城したのかなぁ・・・。
元々天守は1726年の大火で焼失しており、以後再建はされていません。
あるのは石垣と堀と、そうしてこの本丸御殿です。
佐賀の名君と言われた10代藩主の鍋島閑叟(直正)公が再建したものを、明治維新後は藩庁や県庁、学校として利用し、昭和期には大半が老朽化して解体されていたところ、平成16年に忠実に再建したものだそうです。
鍋島閑叟公といえば、薩摩の島津斉彬と並び立つほどの幕末期の名君なのですが、島津斉彬ばかりが有名になって歴史小説や映画に登場し、閑叟公はあまり出てきませんね。
でも、閑叟公は、反射炉を日本で最初に築いた人であり、佐賀藩はこの反射炉で造った鉄を用いて大砲、アームストロング砲の自主製造を行い、佐賀藩の軍隊を西洋化軍隊させた人なのです。
当時の佐賀藩兵は、40人で他藩兵千人に匹敵すると言うほど強かったのですよ。
さて、この本丸御殿、かつて見た名古屋城本丸御殿には規模や絢爛豪華さは到底及びませんが、徹底して質素倹約を旨とした閑叟公らしい、飾り気のない、しかし上品な造でした。
それでも規模は2,500㎡もあるそうです。
一部が歴史資料館になっており、主に閑叟公のものが多かったのですが、この時は江藤新平の関連資料が多く展示されていました。
江藤新平かぁ・・・佐賀の乱の中心人物ですね。
明治新政府の初代司法卿として司法制度を創設し、三権分立の確立や学制の制定に尽力した偉人ですが、私は今一つ好きになれません。
江藤新平よりも大隈重信公のコーナーは無いの?
スタッフに尋ねましたが、困り顔で苦笑するばかり・・。
結局、大隈重信記念館へ行ってくださいとのことでした。
考えてみれば大隈公は、頑固で直情的な性格だったから敵が多かったし、何よりも閑叟公を批判していたから、佐賀城に資料は無いのかも知れません。
時間があれば、その記念館へ行くのですが今回は無理でした。
最後に、駐車場近くにあった閑叟公の銅像の前で記念撮影。
また来ることが出来るかなぁ・・・。
福岡空港へ戻る前に、どうしても買いたかったお土産屋さんへ立ち寄りました。
佐賀市内にある村岡屋本店です。
私が欲しかったのはこれ、有名なお菓子「佐賀錦」です。
私が子供の頃からあるお菓子で、情けないけれど、佐賀にはこれよりも美味いお菓子はないと思っています。
これが北海道であれば、中くらいのレベルですが・・・。
叔母は「鍋島さま」という最中がお目当て。
私が幼稚園くらいの頃まで、叔母は我が家に同居しており、私は叔母のことを本当の姉だと思っていた話は以前このブログに書きましたが、その頃叔母は、私の父が下船して休暇の時に土産で買ってくるこの最中が楽しみだったのだそうです。
懐かしいと言って、沢山買い求めていました。
当時は子供の顔くらい大きくて子供心にとても美味しかったそうですが、今はどうなのかなぁ・・・。
これで終了、空港へと急ぎました。
次は5月の中旬かな。
それまで、さらば九州。
では!






























































































































































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