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2019年3月15日 (金)

しばらくお休みします。

みなさん、こんばんは!
実は女房が入院してしまいました。
落ち着くまでブログはお休みします。
来月の初旬くらいには、再開できる・・・かな、そうだと良いな。
また、再開したらみなさんのところへお邪魔します。

1
では!
(ごめんなさい、コメント欄も閉じます。)


2019年3月11日 (月)

史跡探訪(宇喜多秀家終焉の地へ)

みなさん、こんばんは!
三寒四温、暖かくなってきましたねぇ・・・。
晴れの日が数日続いて雨、また晴れて雨・・・春はもうすぐそこですねぇ。

先日、出張で、八丈島に一泊する機会がありました。

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普段は少し立ち寄るだけの島なのですが、この時は翌日の仕事の関係でどうしても泊まらざるを得なかった次第。
八丈島?はい、東京の南方約290kmに浮かぶ島。
これが八丈島です。
(下の写真の左側が本島、右が八丈小島ですよ。)

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ここも一応東京都。
キャッチフレーズは「東京から一番近い南国」です。

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雨男の私が行くにしては、当日は天気も好く、絶好の行楽日和?でした。
こんな日が仕事じゃなければ最高なんでしょうがね。
仕事を終えて、八丈島空港に着陸したのは16時頃・・・

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タクシーに乗ってホテルにチェックインしたのは17時少し前でした。
写真が、泊まったホテル。
八丈富士の東側に建つこのホテルは市街地からは遠く離れていて、周辺にはコンビニどころか人家すらありません。

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素泊まりで安かったものなぁ・・・。
でも、部屋もお風呂も広くて綺麗で良かったですよ。
部屋は1人でツインルームを独占。

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大浴場は露天風呂付きで広くて快適。
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ということで、ノンビリ露天風呂にでも浸かろうかと思ったのですが・・・17時、まだ明るいなぁ。
スマホで日没を調べると、当日は17時43分とのこと。
40分くらいで何処か観光できないかなぁ・・・フロントにあった観光ガイドブックを見てみると・・・あっ、宇喜多秀家のお墓がある!
ならば、行かねば!
急いでタクシーを呼び、出かけましたよ。
運転手さんに事情を説明すると、「それならばお墓から巡りましょう」と出発。
図らずも史跡探訪を行うことになりました。
お墓は市街地にありましたが、自分でレンタカーなんかで行こうと思ってもなかなか見つけられないだろうなぁって場所でした。

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宇喜多秀家をあまりご存じのない方に簡単にご説明しますと・・・
備前の戦国武将、梟雄宇喜多直家の嫡男です。
豊臣秀吉に可愛がられてその猶子となり、備前岡山城主で57万4千石の太守になりました。
前田利家の娘豪姫を秀吉の養女とし正室として迎えることで豊臣一門となり、若くして五大老の1人に任ぜられます。
しかし、秀吉死後の関ヶ原の戦いにおいて西軍方につき、徳川家康に改易されてしまうのです。
家康は秀家を殺そうとしますが、妻豪姫の実家である前田家からの助命嘆願により、死一等を減じられ、八丈島へ島流しとなってしまった訳です。
八丈島へ流された時の秀家は33歳、その後、約50年間に渡りこの島で暮らし、83歳で生涯を終えました。
これがそのお墓です。

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中央の大きな五輪塔が現在のお墓で、江戸時代に子孫の方が造ったもの。
五輪塔に向かって左側にあるのが埋葬当時の墓石だそうです。
う~ん・・・合掌。
57万石の大大名だったのに、寂しかったろうなぁ・・・。
因みに、豪姫は八丈島への同行は許されず、前田家に帰されているのです。
感傷にに浸る暇はありません。
次は住居跡へ向かいます。
お墓から車で3分くらいだったかな。
連れて行かれたのは民家の駐車場?

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正面に、「岡山城の石」のモニュメントがあります。
あぁ、ここか・・・写真を撮っていると運転手さんが近づいてきて、

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曰く「そこじゃあないよ、この奥ですよ」
「奥?」
「はい、家の前を通って行って下さい」
「・・・(大丈夫かな?この家の庭じゃあないの?)」
恐る恐る行ってみると・・・ありました。

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なるほど、ここだったのね。
秀家はここに住んでいたのかぁ・・・。
どんな家だったのだろう・・・色々想像を巡らしていると、太陽は水平線に隠れようとしていることに気付きました。
イカン!日が暮れる!
急いでタクシーへ戻り、最後の目的地である「宇喜多秀家公と豪姫の碑」へ向かって出発しました。
この碑が一番遠くて八丈富士の西側の海岸です。
ちょうど私が泊まるホテルの反対側になります。

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走ること約10分、何とかお日様があるうちに到着できました。
はい、これが八丈富士を背に豪姫の像と並んで座った宇喜多秀家の像です。
二人で縁側にでも座り、ゆったりと西の海を眺めている様な姿。
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まるでお雛様の様ですね。
ふたりは仲睦まじい夫婦であったと伝わっています。
ふたりの子供は2男1女とのことですが、八丈島への流刑の際、同行を許されたのは二人の男子だけだったとか。
豪姫は前田家へ帰され、約30年後に金沢で亡くなります。

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秀家はその21年後に、ここ八丈島で亡くなるのです。
宇喜多一族が赦免されるのは明治新政府になってからのこと。
何とも、徳川幕府って執念深いですねぇ・・・。
この像は、平成9年に建てられたそうで、岡山城築城400年を記念してのことだそうです。
この場所は、秀家がよく釣りをしていた所だそうな。
秀家は釣り好きだったのかなぁ・・・。

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感慨にふけっていると、ちょうど日没の時間に。
八丈小島の彼方、夕日は静かに沈んでゆきました。

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すると・・・あぁ・・・
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ちょっと、感動的だったな。
ふたりが私に挨拶してくれたようでね。
これでお終い。
タクシーへ戻り、ホテルへ帰りました。
先ずは大浴場へ。
露天風呂に長々と浸かって良い気分。
部屋へ戻り、途中で買ってきた島寿司を食べましたよ。

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島寿司とは、八丈島近海で獲れた魚をヅケにして、甘めのシャリにワサビではなくてカラシが入っています。
トビウオやムロアジが一般的ですが、この日、私はキンメをチョイス。
少しお値段は張りますが、私は生青魚アレルギーがありますので、翌日の仕事を控えて大事を取った次第。
しかしこれは正解だったかも。
うん、美味かったぁ!!!

翌日は8時にホテルを出発して空港へ。
港内の土産物屋さんで、急いで土産を購入。
「八丈島の名物は?」
「はい、一番有名なのはクサヤですよ」
「・・・」
店員さんが、一番臭くないヤツだって言うのを買ってみました。

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次、清水へ帰ったら晩酌の肴にしてみます。
本当に臭くないのかなぁ・・・。

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八丈島・・・次は休みを取ってゆっくりと訪れてみようと思います。
ネイチャー的な見どころも満載の島の様ですから。

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駆け足での史跡探訪でしたが、思いがけず宇喜多秀家終焉の地を巡ることが出来てラッキーな出張でした。
では!

2019年3月 4日 (月)

ネタ無し(日々、徒然・・・)・38

みなさん、こんばんは!
ネタが尽きましたので、小ネタを集めて更新です。

【かんずりのラーメン】
以前、雪ん子さんの「妙高のやさしい風(ロココの庭便り)
http://yuuto-0404.cocolog-nifty.com/blog/2019/01/post-0dca.html」で紹介されていた「明星かんずりチャルメラ」が、先日、近所のスーパーに並んでいたので即購入。
食べてみましたよ。

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うん、美味い。
かんずりって味噌系のラーメンに合うかな。
かんずりは、上越旅行の土産物屋さんで見かけて、毎年、買おうか買うまいか迷っていたのですが、これならば使えそう。
今年は迷わずに買おうと思います。
今年の上越旅行?秋の予定です・・・気が早い?鬼が笑うかな。

【静岡県民の心の味?】
以前、静岡県出身の女優、長澤まさみさんがテレビ番組で紹介して以来、未だ行列が絶えない「炭焼きレストランさわやか
https://www.genkotsu-hb.com/」。
何というか、静岡県内のみのハンバーグチェーン店なんです。
静岡県民で知らない人はいませんよ。
我が家から歩いて5分くらいの所にも店舗があるので、先日の平日休みの日に久しぶりに行ってみることに。
(土日祭日なんて、大行列ですから、とても入る気にはなりません。)

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11時開店なので、11時ピッタリに到着したのですが・・・既に駐車場は八割方埋まっており、入店すると入口には順番待ちの列が・・・。
幸い、すぐにテーブルに着くことが出来ましたが、平日でもこの人気にビックリです。
オーダーしたのは、もちろん一番人気?のげんこつハンバーグランチ(250g)。

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美味い?
う~ん、普通に美味いですよ。
関東にもブロンコビリーやフライングガーデンなんてありますが、どこも普通に美味い。
ハンバーグの味なんて似たり寄ったりで、どこも大差ありませんね。
さわやかは、静岡県内のみのチェーンってところがミソ。
静岡県民の心の味?ってところかな。
私も県外からお客さんが来たらご案内することにしています。
まぁ、話のネタにはなりますからね。

【カメラの祭典】
今年もCP+に行って来ました。

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1日、午後から有休を取って横浜へ。
この日、私が単身生活をおくる横浜の出城の修理のため、夕方から業者が入ることになっていたので、それまでに駆け足で巡りました。

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まぁ、訪れたブースは、興味があるメーカーだけです。
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良いなぁ・・・欲しいなぁ・・・
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これからのカメラは、ミラーレスなのかなぁ・・・
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なんて、思いながら、新製品の情報をチェック。
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カタログを集めて、1時間ちょっとで会場を後にしました。
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今の職場で給料が若干高いうちにレンズが買いたいな。
でも、先ずはドライスーツだなぁ・・・。

【きてぃグッズ】
小出しにしている、かつて横須賀支社勤務時代に入手したきてぃグッズのご紹介です。

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そろそろこれもネタ切れ近し。
先ずはチャレンジコイン。
前回紹介した物とは別のデザインです。
(表面)

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これも、艦長から直接いただいたもの。
本当の所、前に紹介したデザインの物とどちらを先に貰ったのか、同じ艦長からいただいたのか・・・記憶にありません。
(裏面)

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まぁ、良い想い出の品であることは確かですから。

次はバックルです。

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これは艦内売店で一目惚れして購入したもの。
もちろん、未使用ですよ。

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勿体なくて使えません。
本棚で飾っているだけです。
きっと、永遠に使わないんだろうなぁ・・・。

次はポロシャツ。

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これも艦内売店で購入。
左胸に、艦名の刺繍入り。

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カッコウ良い!
で、何度か着ましたが、あまり着て歩くのもねぇ・・・。
お蔵入りです。

最後は、バスタオル。
これも艦内売店で購入。

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これはいつも大瀬崎でのダイビングで使用。
大瀬崎で、これを首にかけている人を見かけたら、それが私です。

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以上、しょんないネタに、最後までお付き合いくださり、ありがとうございました。
では!

2019年2月28日 (木)

幕山と城山に登りました。

みなさん、こんばんは!
今日で2月も終わりですねぇ~。
最近、仕事が忙しくてみなさんのブログにお邪魔するどころか、自分のブログの更新もままなりません。
それで、少し前の出来事になってしまうのですが・・・。

2月18日にハッピーのパパさんと、湯河原の幕山と城山に登りました。
(詳細は、「ハッピーパパの季節巡り」
http://hapiko39.cocolog-nifty.com/blog/2019/02/post-34bd.html
をどうぞ。)
当日は晴れ、6時半頃にパパさんを迎えに行き、パパさん家発。
東名を湯河原へと向かいました。
幕山公園の駐車場に愛車を駐め、9時55分、先ずは公園内から幕山を目指しました。

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当日、おりしも公園は「湯河原梅林 梅の宴」が開催中。
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梅は五分咲きだったかな。
木によっては八分以上咲いているようなものもあり、けっこう見事なものでした。

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山自体は遊歩道の様な登山道が整備されており、嫌いな杉の木も無く、急登も無い、つづら折りの道をひたすら登るだけ・・・
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途中、開けた所で、パパさんから、「この山の後に登るのがあの城山だよ」って教えられ・・・
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何々・・・けっこう高い山だなぁ・・・あれ?途中に川がある・・・尾根続きじゃないの?
少々不安を覚えつつも、とりあえずこの山の頂上を目指し、パパさんに付いて歩きました。

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樹林が開けた間から、真鶴半島が見える・・・真鶴半島かぁ・・・色々あったなぁ・・・。
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実は、あまり良い思い出は無い。
仕事頭になってしまいそうなところを振り払って登りました。
何とか頂上に着いた様、パパさんに先を譲られて10時08分、到着です。

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ふぅ~標高626mかぁ~。
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ここで暫し休憩です。
お昼を食べるにはまだ早い。
ちょっとお茶を飲み、甘い菓子を食べて栄養補給を済ませ、10時20分、下山開始。

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下山は別ルート。
梅林とは反対側の道を下りました。

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こちらの道は、梅林側に比べれば整備されておらず、所々、泥濘があって気をつけていないと滑ってしまいそう・・・。
コケそうになりながら、それでも、11時20分、下山完了。
さて、次は城山です。
梅林の手前から分岐した山道が林の中に伸びていました。

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パパさんから「とりあえず、しとどの窟までは行きましょう。辛かったらそこからUターンでも良いから。」と提案され、まだその時のエネルギーは30%くらい残っていたので、6,300mという表示板に不安を覚えながらも、「OK!行きましょう!」と歩き出した次第。
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私的には、幕山登頂の途中で見た城山の峻険な記憶よりも、かつて源頼朝が隠れたという洞窟を一目見てみたいという気持ちの方が強かったのかな。
しかし、途中で後悔・・・この登山道はジャングルの様で、急登とは言えないまでも結構な坂道の連続。

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オマケに足場も悪い・・・
前を行くパパさんが見えなくなることもしばしばでした。
本当に6,300mもあるのだろうか・・・

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途中、鎖場なんかもあったりして・・・
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あえぎあえぎ登ること約50分、何やら前方に人工物が見えてきました。
参道の様な造りです。

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これを登って行くと・・・
12時10分、到ようやく到着しました。

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これが頼朝が石橋山の合戦に敗れて隠れたという「しとどの窟」。
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もちろん、中の仏像は後世に安置されたもの。
しかし、こんな狭い洞窟では、すぐに発見されそうなものだが・・・と、思ったら、どうやらこの洞窟の入口は関東大震災で崩壊したとのこと。
なるほどねぇ・・・。
この洞窟に隠れている頼朝を梶原景時が見つけて見逃した話はあまりにも有名・・・と、思って、入口に掲示してあった由来を読んでみても、何処にも梶原景時は出てこない。
この洞窟ではなかったのかな?
(家に帰って調べて見ると、この洞窟という説が多かったのですが・・・真実は頼朝か景時にでも聞かないと分らないですね。)
パパさんが「どうします?」と聞くので、「せっかく来たのですから、頂上まで行きましょう!」と答えて、出発。
後は延々と、この参道を登りました。

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登り始めて約30分後の12時40分、何やら観光バスが停まっている所に出ました。
あれ?ここが頂上なの?ちょっとバスなんかがいるとシラケます。

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いえいえ、頂上はここから尾根伝いに林道を約20分歩いた所でした。
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城山というだけあって、古城の跡とのこと。
さて、どんなモノか・・・けっこう期待していたのですが・・・

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13時到着しましたが・・・大きな石碑が建っているだけでした。
土肥城址・・・「とい」?いえ、これは「どい」と読むのだそうです。

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頼朝を匿った土肥実平(どい さねひら)の居城址だったとか。
この鎌倉時代の初頭、ここは居城というよりも居館の「つけ城(普段は麓の居館で生活し、敵が攻めてきた時に立てこもる砦)」的な性格の城だったようです。

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ここでようやく昼食です。
パパさんがお湯を沸かしてくれて、暖かい味噌汁とコンビニおにぎりで一息。

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そうして、13時35分、下山開始。
下山は、湯河原駅方面へ下りました。

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15時、下山完了。
湯河原駅からバスに乗って、愛車の駐めてある幕山公園の駐車場まで戻り、

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湯河原発、パパさんを送って自宅へ帰り着いたのは、18時30分頃でした。
一日に尾根続きではない山を2つ登るというトレッキングでしたが、なんとか歩ききることが出来ましたよ。
何キロ歩いたのかなぁ・・・城山にあった案内図を撮って、赤い→で、この日に歩いたコースを書いてみました。

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楽しい上に良い運動にもなりました。
私は、まだまだ若いつもりだから、これ位は歩かないとね。
では!

2019年2月21日 (木)

富士山とだるま市

みなさん、こんばんは!
ハッピーのパパさんと、安倍城址へ登った当日の夜、私は富士山を撮るために清水の茶畑山へ向かいました。
実は前日、少しばかり雨が降ったことと、当日が曇りで翌日は晴れの予報だったので、翌日の早朝は雲上富士が期待出来るのではないか・・と考えた訳。
夕食を早めに済ませて愛車に撮影機材を積み込んで出発。
我が家から20分くらいの所にある茶畑の山を目指しました。
7時30分頃に現場着。
撮影ポイントは山の中腹、農道の離合帯に愛車を駐め、三脚をセットして・・・後は明朝まで愛車の中で毛布に包まって、携帯ラジオを聞きながら過ごします。
外気温は2度くらいだったかな。
ウトウトしながら寒さに我慢できなくなると、エンジンを5分くらいかけて温まる・・・これを繰り返して夜明けまで頑張るのです。

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だんだん夜が白み始めると愛車から出てカメラをセット。
富士山にピントを合わせ、露出を決めて撮影開始です。

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う~ん、残念ながら、霧は全く出てくれません。
まぁ、それでも富士山が出てくれただけでも良しとするか・・・。
せっかく来たのだし・・・。

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結局、7時頃まで粘って撮影終了。
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自宅へ戻りました。
帰って朝食を食べ、殆ど休む間もなく、女房を愛車に乗せて出発です。
行き先は富士市の香久山妙法寺。
毎年、旧正月の7、8、9日は、このお寺で毘沙門大祭が開催され、日本一のだるま市として賑わうのです。
清水に永住を決めて以来、我が家の年中行事の一つとして、ここのだるま市でだるまを買い、開眼祈祷を受けることにしています。
9時に到着、特設の駐車場に愛車を駐め、約1km歩いてお寺へ。
途中、道の両側にはビッシリと露店が並んでいて、まだ朝の9時だというのに、もう賑わい始めています。

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ここのお寺、日蓮宗のお寺なのですが、なんと鳥居があるのです。
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もっとも、その扁額にはお題目が書かれていますが・・・。
お寺の主神は聖徳太子御親作と伝わる毘沙門天。
だから、ガチガチの日蓮宗のお寺って感じでは無くて、なんとも緩やかな神仏習合?なお寺なんです。

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それでちょっと気に入っているので、毎年参詣している次第。
先ずは、我が家を1年間護ってくれただるまさんを「おたきあげ」に出します。

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そうして、今年のだるまさんを求めてズラリと並んだ露店へ。
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感じの良さそうなお店を探してぶらり・・・
とりあえず、今年も地元の「鈴川だるま」を買う予定。
次の写真がその「鈴川だるま」です。

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このだるま市は、日本各地からだるま屋さん?が出店しているそうですが、私が見て判るのはこの「鈴川だるま」と、群馬の「高崎だるま」くらい。
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女房がお店の人と交渉し、多少安くして貰って購入。
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さて、買っただるまさんを持って開眼祈祷の受付へ。
もうすでに長い行列が出来ています。

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お願い事を書いた紙を持って列に並び順番待ち。
20分くらい待ってようやく受け付けて貰いました。
だるまさんには、お坊さんが片眼を入れて開眼させ・・・

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ご祈祷してくださいます。
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ご祈祷が終わるまで約20分・・・その間、お香を買って竜神の香炉へ。
煙を躰の悪い所へ当てると治るのだそうな。

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そうして本堂へ参詣です。
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参詣が終わった頃に、開眼祈祷が終わった旨のアナウンスがあり、だるまさんを受け取って・・・
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女房はお守りを買って・・・
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ようやく終了、家路につきました。
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これで我が家は一年安泰?です。
清水の自宅近くへ着いたのがちょうど11時頃、もうお昼だ・・・どこかで外食しようということになり、さて何処へ行こうか・・・
久しぶりに静岡の洋食屋さん「金とき」へ入りました。

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このお店は、昔からある街の洋食屋さん。
土日はもちろん、平日でも12時前には順番待ちになります。
おそらく静岡市民で知らない人はいないはず・・・って、感じの老舗なんですよ。
お店の名物は「特テキライス」、私は200gをオーダー、平日価格で1,720円ナリ。
(女房は150gで1,400円ナリ)

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これが美味い!!!ミディアムレアに焼かれたハラミ肉が醤油ベースのタレと抜群に合っていて、200gなんてあっという間にお腹に消えてしまいます。
ちょっとだけリッチなお昼を食べて、私も女房も大満足でした。

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年中行事を終えて、一安心。
お腹も満足した一日でした。
では!

2019年2月16日 (土)

安倍城址に登ってきました。

みなさん、おはようございます!
いや、もうこんにちはかな?
私、明日が仕事なので、今日は横浜の出城で過ごしています。
10時間以上寝ていたかな。
久々にグッスリ寝て、疲れも取れました。
さて、ご飯の前に更新です。

11日の日曜日、ハッピーのパパさんと、静岡市の郊外、安倍川の西岸にある山城、安倍城址に登ってきました。
登って?はい、これがけっこうな山の上で、標高435mです。
当にトレッキングでした。
(詳細は、
ハッピーパパの季節巡りをどうぞ。)
当日は曇り。
昼過ぎにパパさん家に迎えに行き、出発。
登頂口のあるお寺、洞慶院へ。
ここは梅の名所とのことで、市街から近いことから梅の季節には多くの人で賑わうとのこと。
当日はまだ梅も三分から六分咲きだったにも関わらず、駐車場は愛車を入れて満車といった盛況でした。

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しばらく梅林を散策して登頂口へ。
私が事前に参考資料で調べたところ、本曲輪まで1時間30分かかると出ていました。
しかしパパさんは、そんなにはかからないと言う・・・。

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どんなものかな・・・。
多少の疑念を抱きつつも、12時50分、登頂開始です。

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前方につづら折りの登山道が整備されているのが見えたのですが・・・なんと、パパさんはつづら折りの道を縦貫する直登コースへ。
なるほど・・・私も慌ててパパさんに続きました。

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この山は完全な杉の人工林・・・
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登れども登れども同じ景色ばかりで楽しくありません。
おまけに、直登ですから・・・。
たまに植林の時に切られなかった楠の大木等が出てきて、ホットします。

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この城址は、南北朝時代のもの。
建武新政権の頃、南朝方の狩野介貞長(貞永、かのうのすけ さだなが)というこの辺りを支配していた国人(土地の豪族)が築いたものと伝わります。
そうして、室町幕府に新たに遠江・駿河守護職に任命されてこの地に赴任した今川範国(いまがわ のりくに)と対立するのです。
まぁ、狩野介貞長にしてみれば、これまで自分が支配してきた土地なのに、いきなり今日から私が支配者ですって来られても、とても受け入れられるものではありませんからね。
そんな古い城址であるうえに杉の植林で、どこに堀切があり、どこが曲輪なのか・・・素人の私にはさっぱり判りません。
少し開けた場所に出たなって思ったらここが曲輪址か・・・この程度です。

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城郭の全体像もつかめません。
ただ、幾つかのピーク(曲輪址かな?)を登り下りして・・・

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これがけっこうキツい・・・
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ようやく頂上、本曲輪址へ到着。
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時刻は14時でしたから、1時間10分で登ったことになります。
頂上には石碑が建っていました。

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そうしてここからは、静岡市街が一望出来ます。
安倍川を挟んで正面が、今川範国の居城であった賤機山(しずはたやま)城址、その右側が狩野氏を降伏させた後、拠点を移した駿府城址になります。
その奥には、先日訪れた日本平が見え、更に奥には駿河湾を挟んで私のダイビングのホームグランドである大瀬崎も見えていました。
あぁ、自宅も・・・(たぶんね。)

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安倍城は、敵方である今川氏の賤機山城を見下ろす絶好の位置にあったのですねぇ・・・。
幾度かの合戦を経て狩野氏は敗れ、今川氏に降伏、駿河における今川氏は守護職としての地位を確立し、戦国時代の今川義元、氏真へと続くのです。
あぁ、今川氏が拠点を駿府城に移した後、この安倍城は廃城となっています。
後の世の支配者である武田信玄も徳川家康も使用した形跡が確認出来ないので、この山城はあまりにも不便だったのかなぁ・・・登るの大変だし・・・。

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これで終了、下山して梅林を散策しました。
梅林には河津桜が八分咲きで、とても見事でしたよ。

さて、文中に出てきた賤機山ですが、この賤機(しずはた)が静岡県の県名の由来だって、ご存じですか?
明治維新によって廃藩置県が進められた時、ここ駿府の県名(最初は藩名)をどうするかということになりました。

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駿府は、江戸時代後期には幕府直轄領だった訳で、つまりは朝敵側。
明治維新で幕府側だった地は、概ね改名させられています。
駿府もその例に漏れず、改名することになり、当初は賤機山から取って賤機県になるところでした。
この時、向山黄村(むこうやま こうそん)という学者さんが、
   明治維新が成り、世の中に静謐がもたらされたのだから、「賤」ではなく
 て 「静」、賤機山ではなくて「岡」、静岡にしましょう。
と提唱し、静岡県になったのだそうです。

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だから、静岡という地名は明治以降に決まった新しい名称なのですよ。
なぜ、新しい地名を賤機山から取ったのか・・・これまで私には疑問でしたが、安倍城址に立ってみて何となく想像できました。
きっと、当時は徳川色を徹底的に排除したかったのでしょうね。
賤機山は今川氏の城ですから・・・。
まぁ、それでも現在の大半の静岡市民は、今川氏のことは忘れ(隠し?)、駿府城は徳川家康公のお城、家康も静岡の人って言わんばかりですがねぇ・・・。

はぁ、明日も仕事だ・・・。
頑張ろうっと。
では!

2019年2月 8日 (金)

日本平夢テラスへ行ってみました

みなさん、こんばんは!
明日は関東も大雪???
まいったなぁ、明日も仕事なんですが・・・。
困ったものです。

さて、先週の金曜日、久しぶりに日本平へ登って、昨年11月にオープンした清水の新名所「日本平夢テラス」へ行ってみました。

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オープンしたばかりの頃は、押すな押すなの大行列で、土日祭日なんて今でも大盛況だとか。
だから、早く行ってみたかったんだけれども、敬遠していたんですよねぇ・・・。
当日は、平日に休みが取れた訳だし、天気も好いので行ってみようかと女房に持ちかけると、即OK!
我が家からは車で20分位、女房を愛車に乗せて行ってきましたよ。
11時頃に到着すると、平日だったにも関わらず、普通車を140台駐められるという駐車場はほぼ満車状態。
観光バスもチラホラと駐まっています。

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ごった返すという程ではありませんが、けっこうな盛況でした。
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建物は、隈研吾という有名な建築家の事務所が手がけたのだそうな。
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県産の材木をふんだんに使った三階建てになっていて、一階は総合案内に、
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小さな日本庭園が付いています。
あぁ、入場料は無料ですよ。

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二階はラウンジ、せっかくだから何か温かいものでも飲みたいところだったのですが、生憎満席。
順番待ちの人達までいたので断念です。

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三階が展望フロアになっています。
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屋外の展望回廊は、一周約200mあるのだとか。
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この日の富士山は、冠雪がイマイチだったのですが・・・。
普段、富士山を見る事が出来ない地方から来た観光客なんだろうなぁ・・・。
大喜びで、ちょっと興奮気味に富士山を撮っています。

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う~ん、分かる分かる。
私も九州から出てきた時は、こんな感じだったなぁ・・・。
はい、これがこの日、「日本平夢テラス」から見た富士山。
手前が清水港、そうして駿河湾越しの富士山ですよ。

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綺麗でしょう・・・。
やっぱり、清水から見た富士山が日本一!
なんたって海越しだもんね。
アシンメトリーだしね。

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ど~んとね。
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そう、ここの展望回廊からは、静岡方面の街並みも見渡せます。
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こんな感じ。
我が家はどこかな。

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居心地が良いので、結局、1時間くらい居てしまいました。
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静岡観光の際は、是非寄って見て下さい。
あぁ、もちろん、富士山が見える日にですよ。

その「夢テラス」の傍にある「赤い靴の母子像」。
童謡「赤い靴」の女の子とその母の像です。
(昭和61年3月に制作されたそうです。)
異人さん(宣教師だそうです)に連れて行かれる(養子に貰われたのだそうです)時に、母親と別れる情景。

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赤い靴?横浜じゃあないの?って思われる方も多いと思いますが、この女の子は日本平の麓の村の出身なんだそうです。
実際は、ヨコハマの波止場から船に乗る前に病気で亡くなったのだとか。
悲しいお話ですね。
日本平には、こんな像も建っているんですよ。
では!

2019年2月 4日 (月)

史跡探訪(丸子城址)

みなさん、こんばんは!
今朝の横浜は不思議と暖かい朝でした。
ダウンを着て歩くと汗ばむほど・・・。
このまま春かな。
そんな訳無いか。
横浜は毎年雪が積もるからね。

さて、関東に居る間に、色々と史跡を回ってみようと思っています。
と、言っても、戦国期の史跡が中心ですがね。
私は上杉謙信公のファンなんですが、後北条氏もけっこう好き。

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静岡や神奈川には、けっこう後北条氏所縁の場所があるのです。
これまでも、蒲原城址や長浜城址を訪れましたが、今回は丸子(まりこ)城址です。
後北条氏の所縁?
う~ん・・・伊勢新九郎(盛時)、後世、北条早雲と呼ばれる人が、今川家督争いに介入した際、幼い今川家嫡流の竜王丸(後の今川氏親、今川義元の父)を匿ったのがこの丸子城なんですよ。
一度訪れてみたいと思ってました。
我が家からは車で20分位。
女房も連れて行きましたが、山城ですから女房が歩くのは無理。
女房を麓の「匠の里」に置いて、1人で登りました。

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城の見取り図に写真を撮った場所①~⑨を付けてみましたが・・・
まぁ、イマイチ分かりづらいかな。

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先ずは、大手口の三日月堀があったであろう所。
この辺りだと思うんだけどなぁ・・・。
三日月堀は武田流築城術の極意。

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そう、この城は駿府城を護るための今川氏の城だった訳ですが、今川義元死後の駿河国は武田信玄に侵略され、信玄の手によって改造、拡張されているのです。
だから、竜王丸が匿われていた当時の面影は殆ど無い訳ですが・・・
さて、大手口から急な山道を登って行きます。

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5分程登って、辿り付いたのは外曲輪です。
兵を駐屯させていた所と説明がありました。

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この先にある北の曲輪を目指して歩きます。
周りは杉の人工林で、歩いていてもあまり爽快な気分にはなれません。

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途中、土橋や堀切はけっこう良い状態で保存されていて、当に戦国期の山城って感じです。
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北の曲輪には5分位で到着。
ここが伊勢新九郎の時代、本曲輪であった場所です。
早雲もここに立ったのかな。

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北の曲輪から先は、武田信玄が拡張した場所。
幾つかの堀切を渡って・・・

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武田時代の本曲輪に到着です。
やっぱり、曲輪の中では一番広いですね。

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ここからは東海道が一望・・・のはずでしたが・・・
木が邪魔になって見渡すことは出来ませんでした。

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静岡市には、邪魔な木々は取っ払って、きちんと史跡として整備して欲しいものです。
武田氏滅亡の後、駿河国に侵略してきたのは徳川家康です。
家康も東海道の押さえとして丸子城の重要性を認識し、家臣を置いていたのですが、ほどなく後北条氏が滅亡し、家康は関東へ国替えとなって、以来、丸子城は廃城となったとのことです。

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なるほどねぇ・・・。
ゆっくり回りたかったのですが、下で女房が待っていることを思うとここで断念。
下山しました。
都合40分位で見て回ったことになります。
下山して女房と合流し、丸子名物のとろろ汁を食べて帰りましたよ。

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お味は・・・まずまずでした。
小さな山城でしたが、伊勢新九郎を少し感じることが出来た様な気がします。
これからも、突然思い立って、史跡探訪に行きたいと思います。
では!

2019年2月 1日 (金)

冬本番の大瀬崎(2本目)

みなさん、こんにちは!
心ならずも前回の更新から一週間が過ぎてしまいました。
最近、仕事が異様に忙しく、羽田と南の島々の間を日帰りで行き来しています。
朝、羽田を離陸して南へ。
3時間前まで真冬の中に居たのに、着陸すると、そこは太陽ギラギラの常夏、仕事を終えて夜羽田へ戻るとまた真冬の世界・・・。
何とも体調がおかしくなりそうです。
こんな状態が、いつまで続くことやら・・・。

では、前回の続きです。
この日は土曜日、午後になると、浜にはダイバーが沢山集まって賑わい始めました。
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1本目を終えて少し休憩し、2本目は12時10分に潜水開始です。
ポイントはやはり湾内で、大瀬神社に近い海岸からエントリー。
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目指す魚は、大きなコンクリート沈錘のロープ付近に、綺麗なニシキフウライウオが棲み着いているとのことでしたので、その魚狙いです。
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ガイドさんに付いて水深を下げて行くと、途中、沈められたボートの上を通過。
中を見ると、ミドリイシが沢山集められていました。
既に、キンギョハナダイが棲み着いている様子。
漁礁でも作っているつもりなのか、愚かなダイバーがいるものだ・・・。
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ミドリイシって、サンゴなんです。
大瀬崎は、ミドリイシが棲息する日本の北限。
(よく、東京湾の館山が北限と言われますが、大瀬崎の方が館山よりも緯度が高いのですよ。)
大瀬崎でミドリイシが群生している場所は、一般には知られていません。
何処かのショップのガイドかな。
そこから持って来たのでしょうが・・・これじゃあ、自然破壊だよなぁ・・・。
少し、嫌な気分になりましたが、気を取り直して潜水継続。
目指す沈錘に到着、ガイドさんが指さす方向を見ると・・・居ました!
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体長7cm位の綺麗な個体です。
数枚撮ったところで、この仔の後に小さな紫色のウミウチワがあることに気づきました。
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それならば、ウミウチワを背景にした方が絵になる。
で、この仔の前方に回り込むと・・・後退してくれてウミウチワの前に来ました。
シャッターチャンス!
翼(鰭)を一杯に広げた姿を狙います。
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う~ん、尾翼がイマイチ?なかなか上手く行きません。
まるで飛行機の様に撮りたい・・・彼女?が翼を広げるのを辛抱強く待ちました。
すると、私の撮影に気づいた付近のダイバーが近寄って来ます。
長時間被写体を独占するのはマナー違反。
少し焦りだした頃・・・何とか広げてくれましたよ。
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これで終了、移動しました。
次は小さなハナタツが居るという所へ。
途中、いつ沈めたのか、鉄枠の前を通ると・・・中は既に魚の棲みかになっています。
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沈めた本人は、漁礁のつもりなんでしょうが、これは不法投棄と同じだからねぇ・・・。
日本のダイバーは、まだまだ民度が低いようです。
もう少し向上させないと、ダイビング業界は発展しないでしょうね。
なんて、思いながら魚を探します。
そんな私に、「何か美味しいもの持ってるの?」って感じで近づいてくるミノカサゴ。
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けっこうダイバー慣れしている様子。
魚の餌付けをする奴がいるからねぇ・・・。
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まぁ、良い被写体にはなってくれますが・・・。
ガイドさんがハナタツを探している間に、私も他の魚を捜索。
すると、ゴロタ石の陰に、小さなイロイザリウオ(イロカエルアンコウ)を発見。
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体長3cm位の小さな小さな個体で、ストロボの光が嫌いなのか、岩の隙間に隠れてしまい、撮影終了です。
ガッカリしていると、少し離れた砂地でユラユラ揺れている魚が・・・アキアナゴです。
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この魚、臆病な魚で、ダイバーが近づくと、すぐに砂へ潜ってしまいます。
精いっぱい近づいて2.5mが限度。
デジタルズームを効かせてもストロボ光がイマイチ届かず、撮った写真は青カブリ状態。
これが私の腕の限界でした。
その頃、ようやくガイドさんがハナタツを発見、私に手招きしています。
近づいてみると・・・流れ藻に捉まっている小さな黄色い個体が居ました。
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黄色かぁ・・・赤を期待していた私は少しガッカリ。
まぁ、それでも数カット撮りましたよ。
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これで終了、12時53分に浮上。
エキジットしました。
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さて、実はミノカサゴを撮っている頃から、何やら下半身に違和感が・・・冷たい・・・まさかドライスーツが水没???
浜へ上がって、いそいでドライスーツを脱いでみると、両足の膝の辺りまで海水が溜まっています。
どうやら、右脇腹辺りから水が入ったようで、腰から下はグショ濡れでした。
もう6年以上使っているドライスーツだからなぁ・・・。
これまでも数度修理して、今回も昨年最後に使用した時、右足膝付近から水没したのを修理したばかり。
さすがに、またこれを修理して使おうという気分にはなれません。
はぁ・・・買い替えなければなぁ・・・。
福沢諭吉さんが団体でお引越しになりそうです。
大きな落胆で終わったダイビングでした。
では!

2019年1月25日 (金)

冬本番の大瀬崎(1本目)

みなさん、こんばんは!
この週末は関東も雪?
う~ん・・・富士山の冠雪が増えることは大歓迎なんですが、東名に雪が積もるのは困ります。
御殿場辺り、結構積もってチェーン規制になるんですよ。
今日は休みで静岡に帰っています。
日曜は仕事だから、明日の夜には、横浜へ戻らなければならないのですが・・・。

笹山へ登った翌日、大瀬崎へ初潜りに行ってきました。
当日も快晴、寒い朝、早起きして愛車に機材を積み込み出発。
大瀬崎を目指して愛車を走らせます。
途中、内浦辺りで海を見ると、なんと海面に気嵐(けあらし)が立っていました。
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あぁ、寒いんだなぁ・・・。
8時頃大瀬崎着、馴染みのショップに入ると、まだガイドさんも到着していない。
ならば、先ずは大瀬神社へ初詣です。
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まだ誰もいない参道を歩き・・・
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海の守護神である引手力命(ひきたぢからのみこと)に、ダイビングの安全を祈念しました。
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境内から見た富士山はとても綺麗です。
分かりますか?
写真の富士山、左側が静岡県側、右側が神奈川県側です。
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静岡県側は、連日の強い北西風で冠雪は吹き飛ばされて地肌が出ているでしょう。
神奈川県側、つまり横浜や東京から見る側は、裾野近くまで雪が見えるので、たっぷり冠雪は残っているようです。
はやく一雨降れば静岡県側も改善されるのですが・・・。
さて、初詣を済ませてショップへ戻るとガイドさんが出勤していました。
この日は幸運にもガイドをお願いしているダイバーは私一人だったので、私の希望で潜水ポイントを決めることが出来ました。
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先ずは湾内へ。
最近、ボチボチとアンコウ等の深海魚系が現れるということでそれを狙うことに。
ガイドさんと簡単に打ち合わせを済ませて、9時57分、ショップの前の浜から潜水開始です。
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潜ってみると・・・透明度は上下水平15mくらい。
ちょっと浮遊物がありますが、先ず先ずの大瀬崎ブルーです。
水温は17度、もちろん私もドライスーツ着用ですからそんなに冷たさは感じません。
ガイドさんに付いて、深度を下げて行きました。
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先ずは水深22mの所に棲んでいるミジンベニハゼの所へ。
瓶の中にペアで棲んでいるのですが、雄は私の姿を見ると、奥へ隠れてしまい、雌が入口で警戒しています。
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5分くらい雄が出て来るのを待ったのですが・・・
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残念、時間切れ。
まだまだ見たい魚があるので、こんな深目な所に長居は出来ません。
移動して次の魚を探しました。
すると、ガイドさんが見つけてくれたのは・・・
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アンコウではなく、メガネウオ。
この魚、普段は砂に潜って目だけを出して頭上を通る小魚を見つけては飛び掛かって狩りをするのです。
この時も当然砂の中だったのですが、ガイドさんが見つけて、慎重に砂を払ってくれたもの。
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近寄っても・・・逃げません。
まだ、隠れているつもりの様です。
では、遠慮なく最接近して撮影。
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不細工?不気味な顔でしょう。
あまり絵にはならないので、これで終了。
移動しました。
少し水深を上げた時・・・ガイドさんが指さした先には大きなクラゲが・・・
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さて、何というクラゲなのか、名前を聞きそびれてしまいましたが、よく見ると数匹の小魚が共生しています。
これを入れて撮ろうと努力したのですが、残念。
近づくと小魚は反対側へ回ってしまいました。
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結局、私の腕では無理と悟り、諦めて移動です。
何かいないかな・・・。
久々にオオヒラメを見つけましたが、近づくと感づかれて逃げられ・・・
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やっと見つけたのはシビレエイ。
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あまり大きくはない個体でしたが、ひとまず撮影。
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これで深場は終わりで、浅場へ戻ってきました。
水深7mのゴロタ石の下まで来たところで、クロイトハゼのペアを発見。
早速撮影を始めましたが、この魚にもすぐに逃げられてしまい、撮影できたのは数カットのみ。
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う~ん・・・。
呆然としていたら、ガイドさんが呼んでいることに気づいて近づくと・・・ガイドさんが指さす先には・・・
ゴロタ石の陰に、体長2cmくらいの小さなクマドリイザリウオ(クマドリカエルアンコウ)が付いていました。
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これ、丸い岩の出っ張った下側なんですよ。
岩と砂地の間に体を入れ、上を向いた体勢で何とか撮影成功です。
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この状態での撮影ですから、鼻からけっこうな量の海水を飲んでしまいましたがね。
まぁ、写真を撮るためならば・・・。
エキジット前、最後にイサキの群れが回って来たのでこれを撮影。
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イサキ達も初詣なのか、水中神社の周りをグルグル・・・
あぁ、この水中神社は、水神様と呼ばれています。
ご祭神は・・・分かりませんが、おそらく大瀬崎でダイビングが盛んになった頃(昭和50年代?)に祀られたと言われている由緒ある?神社なんですよ。
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大瀬神社に初詣した後ですが、私も参詣。
10時41分、これで浮上しました。
44分間の楽しいダイビングでしたよ。
2本目は、約1時間の休憩後にスタート。
続きはまた近いうちに。
では!

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