今日は梶原山へ
明日、静岡市内で会議に出席せねばならず、会議には直行してよいという上司の粋な?計らいで、今日は清水のお家へ帰っています。
それで、女房を伴い麻機遊水池へ鳥さんを撮りに行ったのですが、鳥さんには巡り会えず、我が家の裏山?である、梶原山へ向かうことにしました。
この山は、鎌倉時代の武将である梶原景時の一族が最後を遂げたと伝わる場所です。
梶原景時って、マイナーですかね。
「義経記」では義経と対立し、讒言で義経を死に追いやった悪人というイメージですが、私的にはけっこう好きな武将です。
子供の頃から、「平家物語」好きの私は、ここへ越してきたとき、この山がそうだと知ると、すぐに登ってみました。
標高約300mの山頂までは、車一台がやっと通れるような、くねくねとした細い道が続いていて、山頂が開けて公園になっています。
その公園の真ん中に、「梶原景時終焉の地」と刻まれた石碑と供養塔が建っています。
頼朝の死後、結局自らも失脚し、再起を図るべく、一族を率いて上洛する途中に、ここ清水の地で追手である地元の武士団と合戦になり、敗れてこの山へ逃れ、一族と共に切腹して果てたと言い伝えられています。
「もののふの 覚悟もかかる 時にこそ こころの知らぬ 名のみ惜しけれ」
が辞世です。
下の写真は、山頂から見た清水市内。
景時も、最後にこの景色を眺めたのかな・・・。
で、鳥さんですが、結局、撮れたのは、エナガと、
シジュウカラだけでした。
余談ですが、この梶原景時を討った吉川友兼という清水の武将の子が、この手柄で西国に新たな領地を獲得し、その後の「毛利両川」である吉川家の祖となったとのことです。
なんでも、うちの女房(広島県出身)の祖先は毛利家に仕えていたそうで、女房曰く、「私、静岡には縁もゆかりも無いと思っていたけど、そうでもなかったわね。」だそうです。
鳥は撮れませんでしたが、それなりに充実した一日でした。
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