そうだ、鹿児島へ行こう!(その3)
こんばんは!
特攻平和会館の後は、「富屋食堂」へ。
そこは車で2、3分くらいの所でした。
市営駐車場に車を駐めて、歩いて行くと、どうやら食堂自体は資料館になっているようです。
隣に富屋旅館というのがあって、そこで食事ができたようなんですが、なんだか喫茶店のような外観で、イマイチだったので、別を探すことに。
でも、探すとなかなか見つからないものですね。
「どうしようか」「駐車場の傍に感じの良いお店があったよ。そこにしようよ。」
と、いうことで、古民家のようなお店、「旬彩茶屋゛和(なごみ)˝」さんへ入りました。
そこで、「旬彩ランチ」なるものを注文。
なかなか美味しかったですよ。
でも、一番美味しかったのは、出てきたお茶です。
静岡茶が一番だと思っていたけれど、う~ん・・・知覧茶、侮れず。
お腹が満足したところで、あらためて「富屋食堂」へ。
内部は、特攻隊員の皆様と店の主「鳥濵トメさん」とのエピソードが紹介されています。
勿論撮影は禁止。
様々なエピソードを見ていると、女房が、熊谷陸軍飛行学校の少年飛行兵の教官をしていた隊員のところで・・・先ず、下がそのエピソードです。
その教官の教え子たちが次々と特攻隊員として散華して征くなかで、「お前達だけを死なせはしない」と口癖のように言っていた彼は、自らも、何回も特攻を志願したそうです。
しかし彼は歳も30近く、妻と2人の娘もいました。
そのような境遇の人は、特攻隊員に採用しないというのが当時の原則。
この教官の苦悩を妻は悟り、遺書を残して命を絶ちます。
「私達がいたのでは思う存分の活躍が出来ないでしょうから、一足先に逝ってお待ちしています。」
二人の娘に晴着を着せ、飛行学校の近くの川に身を投げました。
その後、教官は血書より嘆願し、ようやく軍も承諾して、知覧より第45振武隊の隊長として出撃していったとのことです。
このエピソードを読んで感動していると、女房が隣で、ボソっと一言。
「私だったら、離婚するからどうぞご勝手に!だね。」
「ふん、・・・お前にそんな期待はしてないよ。」
まぁ、うちの女房なんてそんなものです。
わかっちゃいるけど、口に出すなよってところですね。
この後、本当は知覧の武家屋敷なんて見てみたかったのですが、「富屋食堂」で時間を使いすぎ、あまりにも遅くなったので、武家屋敷は断念。
鹿児島市内へ戻りました。
ホテルがちょうど城山公園の傍だったので、とりあえず城山公園に寄って記念撮影。
鹿児島のシンボル、桜島です。
青空だったら、最高だったろうになぁ・・・。
続きは、また明日?かなぁ・・・。
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おはようございます、文中にあった事聞いた事ありますよ、悲しい出来事です、犠牲になった人たちの為にも戦争の惨禍は繰り返してはいけませんね。
投稿: ハッピーのパパ | 2012年2月28日 (火) 08時56分
鳥肌が立ちました。
変な意味ではないです。
昔の女性はそんな考え方をしていたのか。。。とはじめ思ったのですが、
よく考えたら、国全体がそれがすべてのような雰囲気だったからかな?と思いました。
本当に、悲しい話です。
投稿: かっつん | 2012年2月28日 (火) 21時49分
昔は、そんなものだったのでしょう
(特に、戦国時代とか。 中国であれば、三国志よりも前の頃であれば、そういう話は沢山あります)
今の世の中のように、「自分さえよければいい」という考え方をしている連中には、
信じがたいでしょうけどね
(昔でも、御身大事という下衆な者は居たでしょうけど → そういう者が居たからこそ、自己犠牲の人が引き立つともいえますが)
投稿: R.Ptarmigan | 2012年2月28日 (火) 23時41分
ハッピーのパパさん、こんばんは!
そうですね。
「戦争の惨禍を繰り返してはならない」って、みんな分かっているんですけれどね。
人には無理でしょうね。
だって、歴史が証明してますよ。
これからも、世界のきっとどこかで同じ事が繰り返されます。
私は、利己主義なようでも、それが日本でないことを祈るだけです。
投稿: FUJIKAZE | 2012年2月28日 (火) 23時56分
R.Ptarmiganさん、こんばんは!
御身大事の人は、当時でも多かったと思いますよ。
勇敢で優秀な若者が沢山死んで、御身大事なだけの人が沢山生き残ったから、戦後の日本は変な国になってしまったんです。
鳩○由起夫や菅△人、※石東なんてみてると、本当にそう思いますよ。
投稿: FUJIKAZE | 2012年2月29日 (水) 00時14分
かっつんさん、こんばんは!
仰るように、国全体が、それがすべてのような雰囲気だったからかも知れませんね。
でも、雰囲気だけかなぁ・・・。
それにしても、そこまで夫の心情を第一に考える女性は凄いと思います。
私も、自分のために、女房や子供に死んでくれなんて思いませんし、教官もそうだったろうと思います。
当時の「殉国」という考え方、理解は出来ますし、自分は・・・とも思いますが、さすがにあの成功率の低い、飛行機での体当たりはご勘弁かな。
投稿: FUJIKAZE | 2012年2月29日 (水) 00時16分