生まれた島へ!(生家は何処・・・)
みなさん、こんばんは!
いよいよ、静岡も入梅です。
これからジメジメとした嫌な季節が続きますねぇ・・・。
では、前回の続きです。
宝の浜を後にして、いよいよ私の生家探しです。
40年ほど前に来た時は、港の傍に建ってました。
当時は「ここが俺の生まれた家ね。ふ~ん・・・」くらいにしか思ってなかったので、場所も家の佇まいも、おぼろげに憶えているだけです。
家は木造二階建てで白っぽい壁だったような・・・それらしい場所を見て回りますが立派な家に建て変わっていたり、診療所だったり、公園だったり・・・う~ん、分かりません。
目に付くのは猫ばかり。
猫、ねこ、ネコ・・・村のあちらこちらに猫がいますが、この島に犬はいないんですよ。
(たぶん、今も、)
実はこれには訳がありまして、その昔、この島に田んぼを作ろうとした時、海の潮が満ちると、田んぼまで海水が入って来て、とても困ったそうです。
島の人たちは、それならば人柱をたてようとしたそうですが、さすがに人間を殺す訳にはゆかず、犬柱となったんだそうな。
以来、この島で犬を飼うのはタブー。
猫しかいないんですよ。
話を戻しましょう。
とりあえず、先ずは記憶が比較的鮮明な祖母の診療所を探すことに。
でも、親父はここでグロッキー、「お前たちで探せ」と言い残して、フェリーの待合所へ行ってしまいました。
私、生家の記憶はおぼろげですが、祖母の診療所の場所ははっきり憶えていました。
港の一番奥まった場所でしたからね。
で、行ってみると・・・やっぱりありません。
立派な住民センターが建っています。
この建物には、昭和60年建設なんて記されたプレートが貼ってありました。
「ばあちゃんの病院、絶対にここだったんだよなぁ・・・」って女房に説明していると、年輩の御婦人が二人、通りかかったので、尋ねてみる事に。
事情を説明すると、目を丸くして「わぁ~森田先生のお孫さんですか・・・」
やっぱりこの場所が診療所の跡地でした。
この住民センターが建った後、診療所は港の中ほどに移転したのだそうな。
ついでに、私の生家について聞いて見ると、なんと、それが今の診療所の場所なんだそうです。
やっぱりここだったのか・・・。
かつての建物はすでに有りませんが、場所だけでも判明して、感動でした。
「俺は、ここで生まれたんだぜ!」
フェリーの時間もせまっていたので、お二人にお礼を言って早々にお別れしましたが、女房は、お二人から私の祖母の想い出話を聞き、「あなたのお婆様って偉い方だったのね」って感心していました。
ウン、私も少し鼻が高かったかな。
私が満一歳の誕生日を迎える直前、祖母は急逝し、その後、一家は青島を離れ、星鹿町へ引っ越すことになるのです。
だから、もうこの島は縁の無いところ・・・。
でも、帰りのフェリーに乗り、小さくなって行く青島を見ていると、感傷的になって少し涙ぐんでしまいました。
何だかんだ言っても、私の生まれた島、海の真ん中で生まれた私、総てが今の私に繋がっている・・・そう、原点です。
生まれてしほに浴して
浪を子守の歌と聞き
千里寄せくる海の氣を
最近のコメント