久々の御前埼灯台
みなさん、こんにちは!
昨日、私は御前崎で、灯台の特別公開のお手伝いをやってきました。
11月1日が「灯台記念日」で、その記念行事としての特別公開だったんですよ。
数日前の週間天気予報では、悪天候が心配されてヤキモキしていましたが、昨日は運良く?薄曇りの空。
雨の中ではお客さんも来ないだろうし、嫌だなぁ・・・って思っていたので、ラッキーだったかな。
たまにお日様も顔を覗かせてくれました。
今回の目玉は、明治の昔から昭和50年代の初頭まで、日本各地の灯台で使われていたアセチレンガスを使う灯火の復元展示です。
下の写真がそれで、数秒の間隔を置いて、火が点いたり消えたり・・・。
30年ちかく倉庫に仕舞われていた物を使えるように修復したんですよ。
レンズを閉じるとこんな感じ。
こんな仄かな明かりでも、当時は5キロ以上先から確認できたのだそうな。
まぁ、昔の海は真っ暗だったからね。
これで足りたのでしょう。
ちなみに、左右の白いヤツと赤いヤツは、現行のLEDを用いた灯火です。
やっぱり、LEDの方が断然明るいですよ。
でも、このアセチレンガスの灯火に展示には、沢山のお客さんが足を止めて見入ってました。
それで、手伝いの私も大忙し。
計511人もの来場者があって、昼飯を食べる暇もなかなか取れなかったんですよ。
日本最初の洋式灯台である観音埼灯台が点灯したのが明治2年。
この御前埼灯台は明治7年ですから、この灯台は139年の間、遠州灘を見守ってきたんですよ。
なかなか感慨深いものがあります。
現在、日本全国の灯台は無人化されましたが、かつては、この灯台にも灯台守の方々が配置されていました。
未だに鉄道すら通っていない御前崎。
昔、この地での生活は、想像以上に過酷だっただろうなぁ・・・。
本来の私の仕事とはかけ離れたお手伝いなんですが、何度か経験させていただくうちに、灯台っていうものが少しずつ好きになる自分に気付きました。
また、機会があったら手を挙げようかな。
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心配された天気もまずまずのようで しかも 無事に終わったようで ご苦労様でした ところで鉄道の件ですが 岬の方へは通っていなかったようですが駿遠線が有りましたね藤枝から袋井まで 榛原、相良、浜岡を通って袋井まで それも時代の波には勝てずかなり前に廃線となりましたが。
投稿: ハッピーのパパ | 2013年11月 4日 (月) 17時46分
こんばんは
白い灯台は カメラの被写体としても心が明るくなります。
白い灯台は 平和の象徴でもあり、海洋国のお守りです。
その重要なお役目には 頭が下がります、お疲れ様です。
投稿: アットマン | 2013年11月 4日 (月) 19時09分
ハッピーのパパさん、こんばんは!
駿遠線、そういえばあったようですね。
今でも遠州灘沿いの150号線の道路脇に駅の跡が残っているのを見たことがあります。
御前崎の方へ通ってなかったのは、一説では「汽車が走ると振動でシラスが捕れなくなる」って漁師が反対したからだとか。
それにしても、御前崎は不便なところですよ。
投稿: FUJIKAZE | 2013年11月 9日 (土) 20時01分
アットマンさん、こんばんは!
いつも有難いお話をありがとうございます。
灯台、お好きですか。
平和の象徴・・・うん、何だかそんな気がしてきました。
投稿: FUJIKAZE | 2013年11月 9日 (土) 20時03分