九州墓参旅行(北九州・その2)
みなさん、こんばんは!
前回の続きです。
墓参りの後、昔住んでいた若松まで行ってみました。
20ウン年ぶりですねぇ。
特に行く理由は無かったのですが、何故か無性に懐かしくなっただけ。
若松は私が物心ついた時分から中学校の1年生まで暮らした街です。
だから、小倉よりも想い入れがあるかな。
洞海湾に架かる懐かしい若戸大橋を渡って・・・
この橋は、私が小学生の低学年くらいまでは、東洋一の吊り橋と言われていました。
100万都市である北九州市のシンボルだったんですよ。
(今もそうかな・・・)
子供心に、そんな大都市に住んでいることが誇らしかったです。
今思えば、井の中の蛙大海を知らず・・・ってところですか。
笑ってしまいますね。
この橋、私が生まれた翌年に完成しましたが、昔の工事の事、完工までに10名も殉職者が出たそうです。
この橋、昔は人道が付いていたんですよ。
現在は交通渋滞の緩和のために廃止されて、片側2車線の自動車専用道路になってしまいましたが、子供の頃、母に連れられて、戸畑側には用が無いのに、よく渡ったことが思い出されます。
若松は、私が懐かしいだけでなく、親父にも懐かしい場所。
昔勤めていた会社を懐かしそうに眺めていたので、女房を横に立たせて記念撮影。
親父、冥土の土産になったかな。
しかし、若松の港は変わってしまいました。
何とも垢抜けてしまって、もう昔のヘドロ臭い洞海湾の面影は残っていませんねぇ・・・。
感慨に耽っていると、空がみるみる曇ってきました。
で、降り出す前に、これまた想い出深い高塔山へ。
洞海湾を見下ろすこの山は、標高124m。
とても風光明媚な所です。
子供の頃は、ロープ-ウェイや山頂にはゲームセンターがありました。
小学校の遠足は、ほぼ毎年この山。
母に30円お小遣いを貰って、この山のゲームセンターで遊ぶのが楽しみだったんですよ。
久々に訪れてみると・・・ゲームセンターの建物は取り壊されて、展望台になっていました。
でも、ただ一つ、懐かしい建物が残っていました。
河童地蔵堂です。
河童地蔵?はい、このお堂の中には、河童地蔵が鎮座されているのです。
この地蔵の伝説は・・・昔、島郷(私が昔住んでいた辺りです。)と、修多羅(「しゅたら」と読みます。)の河童軍が、縄張り争いのため、夜な夜な葦の葉っぱを太刀として空中戦を繰り広げ、朝になると、戦死した河童が田や畑に落ち、溶けて青緑の液となって作物を枯らしました。
この話を聞いた偉い山伏が、石地蔵を作り河童封じの祈祷を始めました。
それを見た島郷、修多羅の河童達は連合軍を組み、美女に化け、金銀をつみ、糞尿を垂れ流し、様々な妨害をしましたが、祈祷は続けられ、何千日目かの日の沈む頃、石地蔵の肌は柔らかくになり、すかさず山伏が地蔵の背中に1尺の大釘を打ち込んだところ、河童軍は木の葉のように舞い落ち、永遠に地中に封じこめられたのだそうです。
今でも、地蔵の背中には、大釘が刺さっているんですよ。
子供の頃は、怖い物見たさかな。
来ると必ず、恐る恐るこの地蔵の背中を覗いて見たものです。
先生からは、「もしもこの大釘が抜けると、沢山の河童が地の底から湧き出て来るんだよ。」って言われてましたからね。
本当に懐かしい想い出です。
本日はこのあたりで。
おやすみなさい。
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想い出の場所!行って良かったですね〜
時がたって景色は変わりますが所々に懐かしいものが残っていて・・・
我が夫殿も育った町福岡県鞍手郡(今は呼び名も変わったかな?)に両親と行きたいと言っていました。GoogleEarthで探してみましたがやはり自分で歩かなければね。
カッパの話、怖いね。
富士山の麓に天照教社と言う桜で有名な所に、「人魚?のミイラ」があるんです。
詳しい事はしらないがみた事があります。息子の幼稚園の先生がお守りしているので恐さは半減ですが。
話がそれてごめん。
お母さんに連れられて用もないのに渡った橋、なんかお母さんの気持ちがわかる。
橋の上から見る景色は想像できないが、気分転換になったのかもね。
今回も私の知らない旅にいけて楽しかったです。
投稿: せせらぎ | 2015年5月25日 (月) 16時35分
長い吊橋歩いて渡れたんですか!
さそかし眺めもいいのでしょうね
一緒に歩いてくれたお母様との素晴らしい思い出ですね
投稿: wani | 2015年5月25日 (月) 18時33分
懐かしい。。。
わたくし、若松高校出身です
投稿: 藤子 | 2015年5月26日 (火) 01時17分
せせらぎさん、こんばんは!
旦那さん鞍手郡のご出身でしたか。
鞍手郡・・・直方の方ですね。
あの辺り、私が子供の頃は、大きなボタ山があちらこちらにありました。
親から、あの山は石炭の屑で出来ていると聞かされ、目を見張ったものです。
せせらぎさんは見たこと無いでしょ?
旅行は、旦那さんとご一緒されることをお薦めします。
投稿: FUJIKAZE | 2015年5月26日 (火) 23時30分
wani さん、こんばんは!
はい、しかし、吊り橋全てではなく、若松、戸畑両岸にある大きなコンクリートの柱?土台?にエレベーターが付いていて、それで橋の上へ登り、その間だけ端に幅3m位の人道があったんですよ。
当時、通行料は無料でした。
子供の足では若松から戸畑へ歩くのは片道で精一杯。
帰りは橋の下にある、渡し場から渡し船に乗って帰ってました。
今でも渡し船はあります。
懐かしい想い出ですよ。
投稿: FUJIKAZE | 2015年5月26日 (火) 23時37分
藤子さん、こんばんは!
え~っ、若校出身なんですか。
素晴らしい!
才女だったんですねぇ~。
私は・・・言わずが花かな・・・。
投稿: FUJIKAZE | 2015年5月26日 (火) 23時39分