ダイビングへ行ったのですが・・・。
みなさん、こんばんは!
なんともスッキリと晴れない日が続きますねぇ・・・。
毎日蒸し暑くて、通勤電車が不快です。
さて、7日の日曜日は、久しぶりのダイビング。
清水は曇り空でしたが、早起きして機材を愛車に積み込み、女房を乗せて大瀬崎へGO!
日曜日なので早朝の道は空いており、8時には馴染みのショップの駐車場に到着。
しかし・・・あれっ、今日は車がヤケに多いなぁ・・・そこで目に飛び込んできた看板を見てガッカリ。
今日は大瀬崎ダイバーズディだぁ・・・。
要はダイバーのお祭りで、色々なイベントが開催されるのです。
当然、今日の海は芋洗い状態・・・のんびり潜ることは出来ません。
で、「ヤァ~メ た!」車から降りることもなく、来た道を引き返しました。
女房は「せっかく来たのに・・・」とご機嫌ナナメでしたが、無視です。
車を走らせていると、途中の重須(おもす)に城址があることを思い出したので、良い機会、そこに寄ってみることに。
長浜城といい、戦国時代の武将、北条早雲を祖とする後北条氏の砦址です。
何十年も大瀬崎に通っているので、当然存在は知っており、気にはなっていたのですが、寄る暇がありませんでした。
女房は興味なさそうでしたが、他にやることもないので、渋々私にお付き合い。
海に面した小さな山全体が砦になっています。
天正7年頃に、内陸にある韮山城の海側の守りとして水軍が配置され、現在の沼津市内にある、甲斐武田氏の三枚橋城と対峙していたそうです。
階段を登りきると、そこは第四曲輪です。
曲輪?平たく整地された兵の詰め所ってところですか。
曲輪は比較的に大きなものが4つ、小さな腰曲輪というものが4つあります。
それでも兵が千人も籠もれば一杯になりそうな規模の砦ですね。
元々、北条水軍の出撃拠点としての意味があるようですから、これで良かったのかな。
あちらこちらに、三つ鱗の旗が立っていて、それっぽい雰囲気を醸し出しているでしょう。
第四曲輪の上は第三曲輪で、小さな稲荷の祠が建っていました。
この第三曲輪と第二曲輪の間に、小さな空堀の跡と虎口があります。
(下の写真です。)
なるほど、虎口に攻め寄せる敵兵を両方の曲輪から攻撃できるようになっているんですね。
これが第二曲輪です。
この場所には、幾棟かの住居が建っていたようです。
そうして、この第二曲輪から、空堀の上に建つ小さな櫓を介して第一曲輪へ。
ここが所謂、本丸にあたる場所ですね。
この第一曲輪から、内浦湾を一望にできます。
天気が好ければ絶景ですね。
この第一曲輪の下が4つの腰曲輪になっていて、海へ至っています。
下まで下りてしまうと、登るのが大変でした。
天正8年、この内浦湾で、北条水軍と武田水軍による駿河湾海戦が行われ、城将である梶原影宗は、安宅船(あたけぶね)という戦艦で、攻め寄せる武田水軍を追い払ったのだそうな。
下の写真がその安宅船の原寸大模型で、全長24.3m、全幅9.7mあります。
当に戦艦ですねぇ。
しかし、結局この城は、豊臣秀吉の小田原攻めの際に戦うことなく放棄され、以後、廃城になったそうです。
現在、復元途中だそうで、最終的にはどんな感じになるのか楽しみです。
間違っても、有りもしなかった天守閣なんて建てないで、忠実に再現して欲しいものですね。
ダイビングは出来なかったけれど、気になっていた城址を見ることが出来て、これはこれで良かったかな。
ダイビングは仕切り直しです。
では!
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こんばんは。
急な予定変更だったのですね。
四国にも村上水軍が居ました。
海岸線が凸凹してる方が隠れやすくて良いんだそうです。
それにしても大きな船ですね。
木って浮くから、大きくても大丈夫なのかな。
投稿: nanami | 2015年6月12日 (金) 00時36分
実はこの城址 私も気になっていた所です ただ今まで立ち寄る機会を得なかっただけで いや勉強になりました 改めて機会を作って行って見ますよ。
投稿: ハッピーのパパ | 2015年6月12日 (金) 08時19分
歴史を辿るのは面白いですね。
水軍同士の戦いで
強い武田軍が負けたのは海が無いからでしょうか。。
それにしても大きな船!
とても興味深かったです。
投稿: 舞。 | 2015年6月13日 (土) 13時54分
この付近は以前息子が仕事をしていた所です。
今度聞いてみようと思います、そして行ってみたいです。
少し登りもあるようですが海への見晴らしも良さそうですね。
武田は水軍もあったんですね、駿河の国も欲しかったんでしょう。
三つ鱗の旗が雰囲気あるある!
投稿: せせらぎ | 2015年6月13日 (土) 22時08分
nanamiさん、こんばんは!
北条水軍も武田水軍も、村上水軍ほど本格的な水軍ではなかったろうと思われます。
メインはあくまで陸戦ですね。
村上水軍と舟戦をやれば、どちらも歯が立たなかったろうと思いますよ。
安宅船は確かに大きいです。
でも、これと同程度の船を村上水軍も運用していたと思いますよ。
投稿: FUJIKAZE | 2015年6月16日 (火) 21時46分
ハッピーのパパさん、こんばんは!
今度、静岡の山城巡りってどうですか。
各地にあります。
面白そうでしょう。
投稿: FUJIKAZE | 2015年6月16日 (火) 21時48分
舞。さん、こんばんは!
武田軍団は、やっぱり騎馬武者でしょうね。
甲斐は山の中ですから。
武田勝頼が駿河、遠江に侵攻して、海があるので急遽水軍を作ったのでしょう。
だから、軍船は小舟しか運用できなかったようですよ。
ちなみに、後北条氏は小田原が本拠地な分、古くから水軍を運用していたようですが、安宅船は梶原影宗しか運用できなかったそうです。
彼はこの戦艦を運用する才能を認められ、取り立てられたそうです。
投稿: FUJIKAZE | 2015年6月16日 (火) 21時54分
せせらぎさん、こんばんは!
武田は、今川が滅亡した後、徳川の力がまだ弱いうちに駿河と遠江に侵攻しています。
武田勝頼の時が最も激しく、吉田町の小山城や、掛川市の高天神城なんて有名ですよ。
静岡は戦国時代の古戦場や山城が沢山あって面白いです。
投稿: FUJIKAZE | 2015年6月16日 (火) 21時58分