長野・上越旅行(初日・海津城址)
みなさん、こんばんは!
私、9月28日~30日、遅い夏休みを取って、長野・上越方面へプチ旅行へ行って来ました。
上杉謙信公の足跡を辿ることが、この旅の一番の目的です。
鉄道を使って目的地でレンタカーでも借りれば楽なのですが、まぁ、お金も無いので、自家用車旅行ですよ。
前日の27日、普段どおり会社を終えて横浜発、清水の自宅へ帰り着いたのが午前零時を回った頃。
朝5時起床で、5時半には女房を愛車の助手席に乗せて自宅発、一路長野へと向かいました。
天気は今にも降り出してきそうな曇り空、私、雨男ですからねぇ・・・。
途中、中央高速道路の諏訪湖サービスエリアで休憩して、
長野に着いたのは、9時半頃でした。
先ずは第4次川中島の合戦の時に謙信公が本陣を置いた妻女山へ・・・と思ったのですが、長野平野を囲む山々の山頂は、何処も低い雲が掛かっています。
これは山頂は雨だな・・・。
妻女山陣跡から海津城址を望んだ後に海津城址に行く予定だったのですが、これは変更。
先に海津城址へと向かいました。
「海津城」、武田信玄が越後侵攻の前線基地として軍師山本勘助に命じて築かせた平城です。
武田流築城術で築かれた城と聞いてきたので期待したのですが、今の城址は関ヶ原以降に「松代城」と改名された以後の造りで、特徴的な三日月堀さえ残っておらず、本丸を残すのみ。
ちょっとガッカリでした。
それでも、ここから妻女山を望むと・・・
信玄もこうして上杉勢を見上げたんだろうなぁ・・・。
少しだけ、川中島の当時を偲ぶことが出来ました。
「海津城」が「松代城」になった後、初代松代藩主として入城したのは、今NHKの大河ドラマでやっている真田信繁の兄、真田信幸(信之)です。
以来、明治に至るまで、ここは真田氏の城下町であったところ。
あちらこちらに真田が残っています。
城内に入ってみると、真ん中に大きな「海津城址」と刻んだ石碑が建っていました。
女房はこの碑を見上げて、不思議そう・・・「なぜ海津城なの?」
・・・毎週、「真田丸」を見ているくせに・・・説明するのも面倒なので、解説を読ませました。
さて、海津城はこれくらいにして、私としては一刻も早く八幡原へ行きたかったのですが、城址周辺には、真田家にまつわる史跡が幾つもある。
せっかく来たのだから・・・って、欲が出て、この史跡巡りへ。
先ずは「真田宝物館」。
ここは真田家歴代の家宝が展示されているとのことだったので期待したのですが・・・大した物はありません。
唯一、目を引いたのは、信繁の最後の手紙くらいかな。
オマケに館内撮影禁止とのこと。
なんだつまらない。
早々に退出しました。
この宝物館の入口に、海津城址の模型が展示してありましたが、これは撮影可。
これを見ると、三日月堀も丸馬出しも皆無くなっていて、本当に本丸部分しか残っていないことが判ります。
これが全て残っていたら、けっこう見応えがある城だったように思われて残念です。
次に訪れたのは、「真田邸」。
9代藩主が建てた城外御殿です。
ここは良かったかな。
殿様になった気分で、ついつい長居してしまいました。
ふと気付くと、すでに昼近くになっています。
イカン、午後から雨の予報なんだ。
出来るだけ早く回らねば・・・
で、最後に松代藩の「文武学校」へ。
ここは江戸時代後期に創設された藩校なんです。
じっくり見て歩きたかったのですが・・・
無情にも、ポツリ、ポツリと雨が・・・
やむを得ず、早歩きで回って駐車場へと急ぎました。
続きは近いうちに。
では!
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FUJIKAZE さま
真田丸放映中の割には人出があんまりないようですね。
皆さん上田ばかり目が向くのでしょうか(笑)
私は訪れたことが無いのですが妻女山には展望台もあるようですね。
FUJIKAZEさんは歴史がお好きな様ですね。私も好きです。
投稿: 輝ジィ~ジ | 2016年10月 8日 (土) 19時12分
輝ジィ~ジさん、こんばんは!
そうですね、あの「真田丸」では、真田信繁が主人公であって、兄の真田信之がいかにも愚鈍?で、弟よりも劣るような描かれ方をされているので、松代は人気が無いのでしょう。
脚本を書いている三谷幸喜氏の趣味なのでしょうが、デタラメが多すぎます。
まぁ、今回、私が松代城に立ち寄ったのは、松代城を見るというよりも、川中島第4次合戦で武田信玄が本陣を据えた海津城として訪れたので、松代藩の歴史はオマケの様な物でした。
はしょっていれば、雨が降る前に八幡原にも行けましたし、典厩寺へ参詣することも出来たのに・・・って、後悔しました。
投稿: FUJIKAZE | 2016年10月 9日 (日) 17時24分