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2017年11月

2017年11月28日 (火)

知床の旅(最終日・羅臼)

みなさん、こんばんは!
毎朝、布団から出るのがおっくうな季節になりましたねぇ・・・。
今朝は目覚ましをかけ忘れ、約1時間の寝坊・・・ハッ、と気付いて時計を見ると既に出勤時刻でした。
慌てて飛び起き、髭だけ剃って出勤です。
何とか定時に出勤できましたが焦りました。
まぁ、おかげで睡眠時間は十分取れましたがね。

さて、知床の旅の三日目、最終日です。
当日の朝、未だ暗かったのですが、窓に当たる大雨の音で目覚めました。
あぁ、最終日は雨か・・・ガッカリしたのですが、6時過ぎに起きて朝食を食べていると、雨は上がり日が差してきました。

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8時頃にはなんと青空に・・・これはついているぞ。
雨ならばユックリ温泉にでも浸かって出発しようと思っていたのですが、こうなれば話が違います。
女房を急かして、急遽出発。
目的地は、知床半島の南側、羅臼です。
知床半島の北側にあるウトロから羅臼へ行くには、国道334号、通称「知床横断道路」が通れれば車で約35分なのですが、生憎、この道路は11月6日で冬期閉鎖とのこと。
と、なると、ぐるりと半島の付け根を迂回しなければなりません。
時間にして、約2時間30分もかかりますから、ゆっくりしてはいられないのです。
ナビに目的地である羅臼の展望台を入力して出発しました。

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何処までも続く真っ直ぐな道をひたすらに走ります。
私は制限速度+10Km/hくらいで走っていたのですが・・・追い付いてくる車という車が煽って来るのです。
追越禁止でない所ならば、凄いスピードで追い抜いて行くのですが、追越禁止の所は車間距離も空けずに後ろにピタリと付いて来ます。
羅臼までの約2時間半、これの繰り返しで疲れました。

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それと、所々の交差点に一旦停止の標識があったのですが、左右の見通しが良ければ停まろうとしない車が多かったかな。
まぁ、のどかな風景に似合わず、運転マナーの悪い所でしたよ。
そんなこんなで、何とか羅臼町に入り、望郷台の「国後展望塔」に到着しました。

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ここは対岸に国後島を望むことが出来る展望台です。
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国後島・・・我が国の固有の領土であるにもかかわらず、ロシアが不法に占領している島。
日本人ならば誰でも知っている北方領土の一島です。

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この時は若干霞んでいましたが・・・当に手に取る様な距離に国後島を見ることが出来、感動しました。
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羅臼から国後島までは約30kmとのこと。
約30km?近いな・・・東伊豆の伊東から伊豆大島くらいかなぁ・・・。
展望台の眼下には羅臼の街が一望です。

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小さなこぢんまりと纏まった街です。
後ろを振り返ると・・・羅臼岳が間近に見えます。

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前日、ウトロ側から見た羅臼岳です。
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こう見ると、「知床横断道路」が通ることが出来れば、「ウトロ-羅臼」間は近かったんだろうなぁって感じました。
最後に、女房と返還運動に署名して終了。

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戦争はやってはならないもの。(それは誰でも分かっている)
でも、やるとなった以上は絶対に勝たなければダメなんだなぁ・・・って、国後島を望見してつくづく感じました。
さて、時刻は11時20分、そろそろ食事時です。
近くの「道の駅 知床・らうす」へ。

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せっかく知床に来ているのですから・・・これをいただきました。
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ここが産地だからと言っても、お値段はそこそこしますよ。
東京の築地辺りで食べても変わりません。
うん、味も同じでした。
この道の駅の観光案内所で、次に何処へ行こうかと相談したところ、「羅臼ビジターセンター」を勧められたのですが、イマイチ興味が湧かない。
そうだ、「何処かにヒグマはいませんか」って尋ねたところ、相泊って所が「道の終わり」で、「行けば、かなりの高確率でヒグマがウロウロしていますよ」とのことだったので、そこへ行くことに決定!
車で片道約40分もかかるそうで、途中、写真を撮ることを考えると往復1時間30分は見ておかなければなりません。
その時の時刻は12時頃、羅臼から女満別空港までは2時間30分は必要とのことでしたので、2時には羅臼を出発しなければなりません。
ちょっと際どいかなと思いながらも相泊へ向かいました。
途中、「熊の入った家」なる民宿を発見。

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何とも期待が高まります。
ヒグマがいると良いなぁ・・・。
12時40分、相泊の「道の終わり」に到着。

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なるほど・・・行き止まりね・・・。
少し先まで行ってみましたが・・・

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なるほど、なるほど・・・すべて自己責任ね・・・。
この先は数件の漁師小屋が並んでいるだけです。
で、ヒグマは・・・いませんでした。
残念!
飛行機の時間もあるので、ヒグマがいないのならば長居は無用、これで引き返しました。
途中、海を見ると、展望台で見た時は霞んでいた国後島がけっこう鮮明に見えています。

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思わず車を駐めて撮影しました。
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国後島を望見しながら、また来るぞって思いましたよ。
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竹島も韓国に不法に占領されたままだし、やがて尖閣諸島も中国に・・・なんて事にならなければ良いのですがねぇ・・・。
安倍さん、しっかり頑張って下さい!
国後島の写真を撮った後、車を走らせていると、綺麗な滝があったのでこれも撮影。

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「セセキの滝」というのだそうな。
私は下車して見上げて写真を撮りましたが、女房は下りてきません。
ヒグマがいるかも知れないからだってさ(笑)。

途中、けっこう道草を喰いましたが、おおよそ予定していた時刻に羅臼の街に帰って来ることが出来ました。
最後に、羅臼の港の傍にある「しおかぜ公園」に立ち寄ることに。

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この公園も観光案内所で勧められたところです。
この人誰?オホーツク老人こと森繁久彌氏だそうです。

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これらは氏の主演映画である「地の涯に生きるもの」を記念したモニュメントとのこと。
その映画、私は未だ観た事はありませんが、帰ったらレンタルビデオを探してみようかな。
傍に氏直筆の「知床旅情」の歌詞の碑もありましたよ。

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これで羅臼観光は終了です。
女満別空港へと向けて車を走らせました。
帰りは、強風で飛行機が飛ばないかも知れないなんてちょっとスリリングな出来事もありましたが、何とか日付が変わる頃に、無事、清水の自宅へと到着することが出来ました。

知床は、素晴らしい所でした。
わずか2泊3日ではとても足りません。
何故これまで来なかったんだろう・・・。
女房とこの旅行で撮った写真を見ながら、時間とお金が出来たら、また、絶対に行こうと話しているところです。
では!

2017年11月23日 (木)

知床の旅(二日目の後半・滝)

みなさん、こんにちは!
今日は「勤労感謝の日」。
連休ではないので、久々に横浜の出城でグタグタとすごしています。
それにしても、横浜は寒いなぁ・・・。
熱い珈琲を飲みながら、ブログ更新です。

知床五湖を後にした私たちは、ここに来る途中で見かけた「フレペの滝」へ行ってみることに。
途中、犬の様な動物が道を歩いているところに遭遇。
うん?あれがキタキツネかぁ・・・。

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そういえば、知床五湖フィールドハウスの人が、非常識な観光客の餌やりで人間を恐れなくなった野生動物が、餌を欲しさに道路に現れることがあると言っていましたが、なるほど、このことか・・・。
キタキツネはしばらく立ち止まって私たちの車を見ていましたが、何も貰えないことが分かるとプイと立ち去ってしまいました。
やがて「フレペの滝」の入口にあたる「知床自然センター」に到着。
車を駐めてセンターで熊情報等の注意を聞き、出発です。

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知床五湖の様ではありませんが、ここも綺麗な雑木林です。
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滝までは約20分とのこと。
途中は、やはりヒグマが出没するので要注意です。

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クマに注意しながら・・・それでも気持ちよく歩くことができました。
雑木林から草原に出て・・・しばらく行くと切り立った岩壁に出ましたが・・・さて、滝は何処に?

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どうやら、この岩壁から流れ落ちている水が滝であるようです。
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ふ~ん・・・これが「フレペの滝」ねぇ・・・。
説明の看板によると、知床連山に降った雪と雨が浸透し、約100mの断崖の割れ目から流れ落ちているとのこと。
ホロホロと流れ落ちるさまが涙に似ていることから、「乙女の涙」とも言われているのだそうです。
なるほど・・・。
ちょっと期待はずれでしたが、ふと振り返ると・・・間近に迫る羅臼岳が見事でした。

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「知床自然センター」へ戻り、土産物を選んでいると・・・これを見付けて食べて見ました。
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「こけももソフトクリーム」です。
この辺りに自生しているコケモモの実を使ったソフトクリームで300円ナリ。
甘酸っぱくて美味しかったですよ。
で、買ったのがこれ。
知床グッズの「トコさんTシャツ」です。

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可愛いでしょう?
この後は、ホテルに戻る前に「オシンコシンの滝」へと向かいました。

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流れが2つに分かれていることから「双美の滝」とも言うそうです。
日本の滝100選にも選ばれているのだそうな。

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なるほど、なかなか迫力のある滝でしたよ。
これで、ホテルへと戻りました。

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前日は到着が遅かったので写真を撮れませんでしたが、泊まっているのはこのホテルです。
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2泊したお部屋は・・・最高でした。
ツインのベットルームに・・・

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12畳くらいのスペースの居間?が付いています。
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内風呂にトイレも2つ・・・。
で、窓からの風景は・・・・

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オーシャンビュー?
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まぁ、漁港の傍でしたからね。
ホテルに戻ったのは、2時半頃。
せっかく知床まで来たのに、何故、そんなに早く戻ったの?
それはゆっくりお風呂に入りたかったからです。
まぁ、ここのホテルはお風呂が素敵。
オホーツク海が一望のメインの大浴場の他、

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半露天風呂や、
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露天風呂もあります。
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私好みのぬるいお湯もあり、最高です。
結局3時間くらい浸かってました。
お風呂の後は夕飯ですが・・・所謂バイキング形式というヤツで、これはあまり私好みではありません。

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ただね、美味しい物は盛りだくさんで食べ放題です。
前日、一通り味をみたので、2日目は本当に好みのモノだけを沢山取り、お替わりしました。
撮った写真は・・・ブログ映えしませんが・・・

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ステーキを沢山、後はサーモンやホタテの貝柱、タコやイカ、数の子にイクラ・・・お刺身系を何度もお替わりしながら腹一杯です。
で、また温泉に入って・・・何とも極楽でした。
叔母さんありがとう・・・あぁ、書き忘れましたが、このホテルの一泊分は叔母からのプレゼントなんですよ。

続きはまた近いうちに。
では!

2017年11月20日 (月)

知床の旅(二日目の前半・知床五湖)

みなさん、こんばんは!
何だかここ数日、寒いですねぇ・・・。
私の横浜の出城は隙間風ピューピューですから、余計寒く感じます。
知床の方が暖かかったような・・・。

さて、二日目です。
大量に撮った写真を整理していると、どうしても二回に分けなければ紹介しきれそうにないので、どうぞお付き合いを。

二日目は知床五湖へ行きました。
当日は生憎の曇り空。
当初の予定は、観光船に乗って知床半島を海から眺める予定だったのですが、生憎、海は大時化で観光船は欠航、ならばと、まだ閉園していないという知床五湖へと向かいました。

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知床五湖は、泊まっていたホテルから、車で約30分くらいの場所にあります。
途中エゾシカに出会ったり(写真は撮れませんでした)と、テンションアゲアゲで、8時50分、地上遊歩道の入口である「知床五湖フィールドハウス」に到着しました。

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知床五湖の散策は、コースが3つ有り、もっとも手軽なコースは「高架木道」を歩いて一湖だけを眺めるというもの。
ヒグマの出没を気にすることなく安全に歩くことが出来るので、観光バスで来ている人達は皆、このコースです。
本格的に楽しむには、「地上遊歩道」を歩く訳ですが、コースは大ループ(一周約3km)と小ループ(一周約1.6km)があり、大ループは五湖全てを、小ループは二湖と一湖を見ることが出来るのです。

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当然、私たちは大ループを選択。
ただ、この「地上遊歩道」にはヒグマが出没するので、出発前に15分程のレクチャーを受けなければなりません。
知床はヒグマの密度がとても高いエリアなんです。
レクチャーの内容は、遊歩道でヒグマに遭遇することを避けるための歩き方や、遭遇してしまった場合の対処法です。
レクチャー係の方の話では、知床のヒグマは未だ冬眠しておらず、一昨日も遊歩道上で目撃情報があるとのこと。
本日朝一番の大ループ歩行は、私たち夫婦だけなので、十分気をつけてくださいとのことでした。
私的には、野生のヒグマを撮りたかったのでワクワク気分でしたが、女房の顔は引きつっていましたよ。
9時15分、ゲートが開いて、私たち夫婦は遊歩道へと歩き出しました。

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一歩足を踏み出すと、そこにはシラカバやエゾマツ、トドマツ等の原生樹林が広がっています。
わぁ~綺麗・・・思わず立ち止まって見とれてしまう様な美しさです。

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レクチャーで習ったように、少し歩いては立ち止まり、ヒグマの気配に気を配りながら、手を叩き声を出して進みます。
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コースは一方通行で、ヒグマに遭遇しない限りは後戻り出来ません。
9時25分、最初に五湖に到着。

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素晴らしい風景に、私はすっかり興奮状態。
重たい一眼レフカメラを振り回してシャッターを切りまくりました。
9時35分、四湖に到着。

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もう、「ヒグマでもゴジラでも出てこいや!」って気分です。
女房も・・・まぁ、楽しんでいるようでした。

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9時55分、三湖に到着。
ここで行程の半分くらいです。

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晴れていたらもっと綺麗だったんだろうなぁ・・・。
いや、雨に遭わないだけ御の字、神様に感謝です。

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遠くに雪を被った知床連山が見えていました。
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人は全く来ないので、ここで三脚を立てて年賀状用の写真を兼ねた記念撮影です。
来年の年賀状には、ダイビングの写真が使えないからねぇ・・・。
今年は石垣島へ行けなかったから・・・。

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女房は知床を歩けるくらい元気になりました・・・って、ところかな。
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本気でヒグマとの遭遇を期待したのですが・・・
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残念ながら、出会うことは出来ずに遊歩道も終盤です。
あぁ、野生動物は、エゾリスとアカゲラを見ることが出来ましたよ。
もっとも、どちらも動きが素早くて撮れませんでしたがね。
10時25分、二湖に到着。

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この二湖が知床五湖の中で最も美しいのだそうです。
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なるほど、浮島があったりして絵になります。
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うん、二湖越しに見る雪に覆われた知床連山もまた美しい・・・。
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10時45分、最後の一湖に到着。
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対岸に見える「高架木道」までもう少しです。
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木道上から一湖を眺めている沢山の観光客が望見できます。
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11時05分、「地上遊歩道」から「高架木道」へと上がるゲートをくぐって、木道上へ出ました。
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これで終了です。
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通常、大人の足で90分のところを、写真を撮りながら2時間かけて歩きました。
観光船が欠航した時は少しガッカリでしたが、おかげで知床五湖を歩くことが出来たので、大自然を満喫できてかえって良かったかな。

最後に実に不快な出来事が一つ。
私たち夫婦が「地上遊歩道」から「高架木道」へのゲートをくぐって上がって来ると、そこは中国人観光客で溢れていました。
すると、その中の中年の男女(夫婦?)が私たちがゲートから出てきたので、「地上遊歩道」へ下りられると思ったのかゲートへと近づいてきました。
ゲートの扉は反対側へは開かない仕組みになっており、傍には英語、朝鮮語、中国語で遊歩道には下りることが出来ない旨を記載した看板が掛けてあります。
その中国人達はその看板を見ていたので諦めると思いきや、なんとゲートによじ登り扉を逆方向に無理矢理こじ開けようとし始めたのです。
それを見た私は思わず仕事モードのスイッチが入り、得意?の中国語で怒鳴りつけていました。
彼らは舌打ちをして私を睨み付けながら、立ち去って行きましたが・・・。
せっかくの良い気分を台無しにしてくれる出来事でした。

続きは近いうちに。
では!

2017年11月14日 (火)

知床の旅(初日・網走監獄)

みなさん、こんばんは!
知床の旅から帰ってきました。
昨日から通常どおり仕事をしていますが、これで今年予定していたイベントが全て終わったのかと思うと・・・。

さて、その知床旅行の初日です。
9日の朝7時頃、愛車に女房を乗せて横浜の出城を出発、羽田へ向かいました。
羽田ではノンビリと大好きな飛行機を眺めながらラウンジで過ごし、11時過ぎに出発する女満別空港行きを待ちます。

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で、乗った飛行機は何故かエア・ドゥという会社の737-700。
ANAのはずだったのに何故?

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ANAとエア・ドゥの共同運航なんだそうな。
この会社、あまり良い噂を聞かないので、ちょっと心配でしたが・・・

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まぁ、とりあえず無事到着です。
当地は雲量8割の晴れ。
雨でないだけ御の字ですね。
到着は1時を少し回った頃だったのですが、何となく薄暗く感じました。
手配していたレンタカーを借りて、先ずは網走へ向けて出発です。

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何処までも真っ直ぐな道・・・当に北海道ですね。
途中、昼食を食べる予定だったのですが・・・網走に着いたのは午後2時30分頃、いよいよ薄暗くなってきたので昼食どころではなく、そのまま網走監獄へと向かいました。

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チケットを買う時に窓口で日没時刻を聞くと、なんと4時だとか。
じきに3時、これは駆け足で回らなければ。

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この網走監獄は、元々、現在の網走刑務所にあった旧施設をこの場所に移設して博物館として開館したものです。
もっとも、上の写真の橋の様に再現したものも多いとのこと。
移築したものは、下の柵のような物。

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さて、見学開始です。
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写真は沢山撮りましたが、解説しているとまた三分割くらいしなければならないくらい多いので、端折ります。
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網走刑務所と言えば、高倉健さんの「網走番外地シリーズ」を連想しますが、実際の網走刑務所は、明治の初期にロシア等諸外国の侵略から北海道を守るために、いち早く北海道を開拓する必要が生じ、受刑者をその労働力として使用するために、懲役12年以上の受刑者や政治犯を集めた刑務所であるとのこと。
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ですから、ここの受刑者達は、懲役刑として幹線道路の開削工事等、北海道の開拓事業に従事させられたとのことです。
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極寒の地における過酷な労働による怪我や栄養失調が続出し、200人以上の受刑者が亡くなり、遺骸は大きな穴を掘って無造作に葬られたそうです。
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今は網走市の観光名所なんですが・・・何とも感慨深いものがありますね。
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しかし、こうやって見て回っていると、当時の刑務所も現代の刑務所もあまり変わらないように感じます。
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何故そんなこと判るの?
へっへっへっ・・・私、憶えているだけで、ディープな鹿児島刑務所や鳥取刑務所、横浜刑務所はもちろん、沖縄刑務所、金沢刑務所、静岡刑務所・・・日本各地の刑務所に入ってますから。
(下の写真は、五翼放射状房と呼ばれる移設された重要文化財。この網走監獄のシンボルですね。)

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え~っ、じゃあ前科何犯なの?
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刑務所に入るのも私の仕事のうちなんですよ(笑)。
まぁ、現代は下の写真のような見張り所はありませんが、

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雑居房も独居房も、作りの基本は現代の刑務所とあまり変わりませんね。
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しかし、ここは寒かったろうなぁ・・・。
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刑務所に入る(ちょっと表現に語弊がありますかね?)度に、絶対に悪いことはするまいって思いますよ。
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あぁ、下の写真が暖房設備なんだそうな。
こんなモノで温かくなるとは思えませんね。

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実際、厳冬期には部屋にいても凍傷に罹る受刑者が続出したそうです。
そんな受刑者達は、お風呂が唯一の楽しみだったとのこと。

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なんだか、分かるような気がするなぁ・・・。
最後の写真は、独立型独居房だそうな。

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こんな所に入れられたら・・・私だったら3日で死ぬなぁ。
と、慌ただしく回って約1時間。
なかなか見応えのある施設でしたよ。
後は土産物を買って・・・

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地元の地酒だそうな。
当分飲めそうにないけれど、美味いと良いな。

さて、この網走監獄を出ると、すでに時刻は4時・・・
夕暮れの中をウトロのホテルへ向けてレンタカーを走らせました。

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ウトロまでは約90分、ホテルに入ったのは5時30分頃でした。
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つづきは、また近いうちに。
では!

2017年11月 8日 (水)

ネタ無し(日々、徒然・・・)・25

みなさん、こんばんは!
今日はネタがない訳ではないのですが、あえて・・・。

【沖縄料理が食べたい】
先日、外回りでまた高円寺へ行きました。

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ちょうど昼時(わざわざ合わせたのですが)だったので、先日得体のの知れない物を食べたラーメン屋で、今度こそ豚骨ラーメンを食べようと歩いていると・・・こんなお店が目に入りました。
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あぁ、沖縄料理かぁ・・・今年は石垣島へ行けなかったものなぁ・・・よし、入ろう!
と、入って、オーダーしたのがこれ。
ソーキそばセットです。
これで920円ナリ。

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う~ん、石垣島だったらこれワンコインだよなぁ・・・
で、肝心のお味は・・・普通でした。
まぁ、ここは東京の杉並区ですからね。
沖縄料理を食べられただけで御の字か・・・。

【丸山花木園展望台】
4日の午後、ハッピーのパパさんと久しぶりにトレッキングです。
行き先は、安倍川の西側、山の中腹にある「丸山花木園展望台」でした。
1時15分、パパさんの家に愛車を駐めて出発。
安倍川大橋を渡って二人でテクテクと展望台を目指します。

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途中、山腹にある徳願寺を見学。
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このお寺は、今川義元の祖母、北川殿の菩提寺なんです。
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ほう、北川殿ね。
昔、司馬遼太郎氏の「箱根の坂」を読み、北条早雲に興味をもっていた私には一度訪れてみたかった場所です。
北川殿は北条早雲の妹(姉という説もあります)で、若き日の早雲こと伊勢新九郎長氏(いせ しんくろう ながうじ)が室町幕府8代将軍である足利義政の申次衆(取次人)であった頃、新九郎の元を訪れた今川義忠と知り合い、嫁いだと云われています。
くどくどとは書きませんが、北川殿は北条早雲が戦国大名として立身するキッカケを作った人なんです。
(詳しくは「箱根の坂」を読んでね。)
で、これが境内にある北川殿のお墓です。

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そうして、これが本堂。
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このお寺は「箱根の坂」にも出てきました。
何とも感慨深い物がありますね。
次は後北条氏の遺跡を回ってみようかな。
さて、ここから約20分歩いて2時40分、「丸山花木園展望台」に到着です。
ここからの眺望は・・・見事でした。
先ずは静岡市の中心部方向・・・遠くに我が家が見えます。(嘘です(笑))

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ズームにすると富士山もしっかり撮れました。
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そうしてこちらが安倍川河口方向です。
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存分に楽しんで下山しました。
途中、みかん畑がありましたが・・・良く見ると案山子が番をしていました。

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みかん畑に案山子?
何からみかんを守っているのでしょうね。
3時30分、パパさんの家着。
鈍った体には少々堪えましたが、なかなか楽しいトレッキングでした。

【解禁】
明日9日から、二泊三日で夏休み第3段?「知床の旅」の予定です。
それで、4日の日曜日には女房と一緒に横浜の出城へ戻りました。
で、いつものお寿司で乾杯です。

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お酒は春の九州墓参旅行で買った「鍋島」。
女房も一通りの治療が終わったので、お酒解禁。
ようやく飲むことが出来ました。
さて、明朝出発です。
知床地方の天気予報は・・・どれどれ・・・むむっ!どうなることやら・・・。
では!

2017年11月 5日 (日)

上越・信州旅行の二日目(本当に後半)

みなさん、こんばんは!
上越・信州旅行の最後です。

「典厩寺」を後にした私たちは「妻女山」へと向かいました。
昨年は大雨で行くことを断念した山です。
言わずと知れた第四次川中島の戦いの時、謙信公が本陣を構えた山。
これは何としても行っておかなければね。

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この山、私の車のナビには載っておらず、探すのに苦労しました。
地元の人に聞きながら、何とか30分もかかって到着です。
この山には展望台が設置されていました。

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登ってみると・・・おぉ、絶景です。
川中島合戦図が設置されていて、合戦の位置関係が容易に判る様になっています。

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見渡すと、右に海津城(松代城)一帯を
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正面には千曲川の流れと川中島平一帯(古戦場)を見渡せます。
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謙信公は、ここで海津城に立ちのぼる炊事の煙の多さに気付き、山本勘助が考案した啄木鳥の戦法を見破ったと伝わっています。
う~ん、感無量でした。

妻女山を下りて、最後に向かったのが、「雨宮の渡し(あめみやのわたし)」です。
この「雨宮の渡し」もナビには無く、概ねこっちの方向だろうと右往左往しながら、最後はこれも地元に人に聞いて、30分もかかってようやく辿り着くことが出来ました。

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着いてみると・・・えっ、ここなの???
私はてっきり千曲川の川べりにあるものと思っていましたが、ここは住宅街のど真ん中です。

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案内図を見ると・・・なんと川中島の合戦の頃、千曲川はこの辺りを流れていたそうで、その後、流れは現在の位置(500mくらい北方)に移ったのだそうな。
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ここは小さな公園になっていて、中央には有名な頼山陽の詩碑が建っていました。
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鞭声粛々夜河を渡る・・・信玄の本陣を目指して千曲川を黙々と渡河する上杉軍の姿が目に浮かぶ様ですねぇ。
来て良かった。

これで今回の旅行で計画した全ての予定が終了。
時刻は夕方4時になっていました。
再び愛車を駆って、清水の自宅帰り着いたのは、午後7時20分頃、雨男であるにも関わらず天気にも恵まれ、楽しい旅行でしたよ。

【追記】
妙高の旅館で食べた新米がとても美味しかったので、途中道の駅によって妙高産の新米を買いました。

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で、帰る車内で女房が「最近、うちの炊飯器、炊きムラになるのよねぇ・・・」
そういえば、我が家の炊飯器は、家を建てた時に買った物ですから、すでに15年位前の物、調子が悪くなっても仕方ないでしょう・・・。
せっかくの新米ですから、「それなら買い換えれば」
帰宅後、さっそく女房と近所の家電量販店に行ってみました。
炊飯器なんてピンキリ。
女房は2万円~3万円の物を買うつもりの様。
私は・・・どうせまた10年位使うつもりだろう?
ピンの方が良くない?せっかくの新米だよ・・・。
渋る女房を何とか説得して買ったのがこれ。

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最初はこんなの高すぎると言っていた女房も、一度使ってみると納得。
美味い!!!
これまでの炊飯器で炊いていたご飯は何だったの?って、言いたいくらい美味いご飯が炊けて感動です。
今後、家に帰れば当分美味い飯を食べることができそうで楽しみです。
では!

2017年11月 1日 (水)

上越・信州旅行の二日目(後半の典厩寺)

みなさん、こんばんは!
前回の続きです。
もう少し引き延ばします(笑)

食事の後は、典厩寺(てんきゅうじ)へと向かいました。
川中島古戦場史跡公園からは、車で5分くらいの千曲川沿いにあります。

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このお寺、日本一大きいといわれる閻魔大王像で有名なんですが・・・私が参詣する目的は、ここに武田信玄の弟で第四次川中島の合戦で討ち死にした武田信繁(典厩信繁)の墓があるので、そのお墓参りです。
典厩信繁は文武両道の優れた家臣の人望も厚いまれにみる名将であり、敵である謙信公からもその死は惜しまれたと伝わっています。
屋根にも武田家の家紋である割菱と花菱が付いていますね。

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当日は生憎と檀家さんの法事がおこなわれており、楽しみの一つであった寺宝の展示されている川中島合戦記念館は施錠されていて入れず。
先ずは閻魔堂へ参詣です。

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これが日本一大きいといわれる閻魔大王像です。
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閻魔様の前に多くの願い事が書かれた木簡が多数置かれていたので、法事に来ている方を呼び止めてどの様にすれば良いのか聞いてみると、お賽銭を入れて木簡に願い事を書いてお供えすれば良いとのこと。
早速、女房がやってました。

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本堂へも参詣したかったのですが、法事の最中であったことからこれは断念。
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典厩信繁のお墓へと向かいました。
これがそのお墓です。

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中央が所謂墓石で、傍に建っている2基の五輪塔のうち、右側が典厩信繁の供養塔、左側が真田信繁(幸村)の供養塔と云われています。
これは初代松代藩主真田信之(信幸)が、この寺を整備して典厩信繁の菩提を弔った時に弟の真田信繁の供養塔を併せて建てて弔ったのだそうです。
明治39年には、伊東元帥、東郷元帥、上村元帥の3元帥が参詣されたという祈念碑が残っていました。

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境内には典厩信繁の首を清めたという「首きよめ井戸」が残っていました。
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典厩信繁の首は、小諸の所領へ持ち帰られたことから、このお寺の墓は胴塚とのことでした。

と、いうことで、もう少し続きますが、今夜はここまで。
では!

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