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2017年11月 1日 (水)

上越・信州旅行の二日目(後半の典厩寺)

みなさん、こんばんは!
前回の続きです。
もう少し引き延ばします(笑)

食事の後は、典厩寺(てんきゅうじ)へと向かいました。
川中島古戦場史跡公園からは、車で5分くらいの千曲川沿いにあります。

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このお寺、日本一大きいといわれる閻魔大王像で有名なんですが・・・私が参詣する目的は、ここに武田信玄の弟で第四次川中島の合戦で討ち死にした武田信繁(典厩信繁)の墓があるので、そのお墓参りです。
典厩信繁は文武両道の優れた家臣の人望も厚いまれにみる名将であり、敵である謙信公からもその死は惜しまれたと伝わっています。
屋根にも武田家の家紋である割菱と花菱が付いていますね。

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当日は生憎と檀家さんの法事がおこなわれており、楽しみの一つであった寺宝の展示されている川中島合戦記念館は施錠されていて入れず。
先ずは閻魔堂へ参詣です。

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これが日本一大きいといわれる閻魔大王像です。
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閻魔様の前に多くの願い事が書かれた木簡が多数置かれていたので、法事に来ている方を呼び止めてどの様にすれば良いのか聞いてみると、お賽銭を入れて木簡に願い事を書いてお供えすれば良いとのこと。
早速、女房がやってました。

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本堂へも参詣したかったのですが、法事の最中であったことからこれは断念。
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典厩信繁のお墓へと向かいました。
これがそのお墓です。

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中央が所謂墓石で、傍に建っている2基の五輪塔のうち、右側が典厩信繁の供養塔、左側が真田信繁(幸村)の供養塔と云われています。
これは初代松代藩主真田信之(信幸)が、この寺を整備して典厩信繁の菩提を弔った時に弟の真田信繁の供養塔を併せて建てて弔ったのだそうです。
明治39年には、伊東元帥、東郷元帥、上村元帥の3元帥が参詣されたという祈念碑が残っていました。

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境内には典厩信繁の首を清めたという「首きよめ井戸」が残っていました。
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典厩信繁の首は、小諸の所領へ持ち帰られたことから、このお寺の墓は胴塚とのことでした。

と、いうことで、もう少し続きますが、今夜はここまで。
では!

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