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2018年3月

2018年3月28日 (水)

長篠古戦場を巡る(後半)

みなさん、こんばんは!
私、今日から新しい職場でお仕事です。
横浜の出城からdoor to doorで、座って行こうと思うと、朝は約1時間40分、帰りは約1時間10分。
けっこうかかります。
まぁ、首都圏ですからね、こんなものです。

さて、長篠古戦場巡りの後半です。
始めに、この地図をご覧下さい。
長篠古戦場の地図です。

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これに赤丸数字で番号を記しているところが、私が写真を撮った所。
写真にも右肩に同じ番号を付けていますので、この地図と見比べながら読んでいただければ、分かり安いかな?

先ず、向かったのは、武田勝頼の本陣跡です。
小高い丘の鬱蒼とした杉林の中を地図を頼りに200mくらい歩きました。
「本当にこっちで良いのかな・・・」少し心配になった時、看板が見えてきてホッと一安心。

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到着したその場所には、「武田勝頼観戦地」の碑が建っていました。
当時、この辺りは禿げ山で、決戦場の連吾川周辺を眼下一望に見渡すことが出来た様ですが、現在は杉の人工林になっていて、展望は全くありません。

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5月21日早朝、この場所を中心に南北に長く展開した武田勢1万5千は、連吾川を挟んで西方に展開する3万4千と伝わる織田徳川連合軍に突撃を掛けて行ったのでしょうね。
しかし、織田徳川連合軍の作った大量の馬防柵と1,000~1,500丁も揃えていたと言われる鉄砲の前に、戦国最強と云われた武田騎馬隊も次々と倒されて行き・・・戦況は時を追う毎に武田方に不利になってゆきます。
武田勝頼は堪らず、本陣を約300m西方の連吾川を見下ろす丘に前進させるのですが、
それが次の写真の場所で、

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「武田勝頼公指揮の地」という石碑が建っていました。
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今は、この場所からも連吾川を見る事は出来ませんが、武田勝頼は次々と撃ち倒されて行く自軍の兵を目の当たりにして、何を思ったのでしょうね。
こんなことを想像していると時間は瞬く間に過ぎて行きます。
おっと、全てを回れなくなる・・・。
次は織田信長本陣へ。
ここは簡単でした。
新東名の長篠設楽原パーキングエリア(下り線)から歩いて行くことが出来ます。

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一般道側の駐車場に愛車を駐めて、隣接する小高い丘「茶臼山」を登ります。
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山頂には小さな稲荷の社と、かつてここに信長の本陣があったことを示す石碑が建っていました。
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ここからも、東側にあたる連吾川方面は杉林に阻まれて見る事が出来ません。
見えるのは、西側のパーキングエリアだけです。

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こういう所が残念ですね。
史跡とするならば、古戦場を見渡すくらいに整備して欲しいものです。
信長はここから連吾川方面の戦況を見下ろして、実に痛快だったことでしょうねぇ・・・。
この後に向かったのは、徳川家康の本陣です。
信長の本陣から南東へ800m位のところにありました。
現在は、「八剱(やつるぎ)神社」になっています。

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この位置関係を見ると、家康本陣はかなり前面に配置されていたことが分かりますね。
さて、いよいよ最大の激戦地と伝わる場所へ。
連吾川の東側に再現された馬防柵です。
ちょうど、武田勝頼本陣の前面、つまり連吾川を挟んだ西側に再現されていました。


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まぁ、これで突撃してくる武田の騎馬隊を防ぎ、織田徳川連合軍は、柵の内側から鉄砲を射かけたのでしょうね。
下の写真は激戦地の碑がある柳田前の連吾川から見た馬防柵の再現地です。
(写真の中央からやや右、山陰になっています。)

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ここは現在も田圃ですが、当時も同様でかなりの湿地帯だったようです。
当時は旧暦の5月21日、概ね現在の6月下旬ですから梅雨の真っ盛り。

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武田勢は泥濘に足をとられ、鉄砲で狙い撃ちにされて多くの死傷者を出したそうです。
傍には、この場所で討ち死にした武田の名将「甘利信康」の碑が建っていました。

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ちょうどこの上の山が勝頼の本陣になる訳です。
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さて、最後は長篠城址へ。
古戦場からは、2km以上西方になります。

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ここには、お城風?な資料館「長篠城址史跡保存館」が建っていました。
入口では、有名な鳥居強右衛門の磔を表した鬼瓦がお出迎え。

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館内は・・・これと言って興味を惹かれる様な展示物はありませんでした。
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早々に出て、城址を見学します。
城址自体は内堀が残っているだけかな?

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城内は広場の様になっていて、何カ所かに「長篠城本丸跡」という碑や看板が建っていました。
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では、鳥居強右衛門さんが磔にされた場所へ。
その場所は実に分かりづらく、簡単な案内図と愛車のナビを見比べながら何とか到着することが出来ましたが、着いた所は田圃の畦道でした。

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そこには「鳥居強右衛門磔死之跡」と記された石碑が建っていました。
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これで時計を見ると既に4時過ぎです。
これから出発しても帰宅は6時近く・・・。
女房は、もう外食だと決めている様・・・。
本当はもう少し巡りたかったのですが、これで終了。
新東名の入口にあった道の駅に寄って慌ただしく買い物をして、家路を急ぎました。

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で、買ったのはこの地酒。
奥三河のお酒とのこと。
いつ飲めることやら分かりませんが、美味いと良いな。

夜、ウィスキー片手に、「影武者」もあらためて視直してみました。

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長篠の戦いは、この映画のクライマックスなんですが・・・う~ん、イマイチだったかな。
時代考証もちょっと難ありで・・・。

長々と書いてしまい、最後まで読んで下さった方、ごめんなさい。
古城や古戦場巡りも、私の趣味なんですよ。
女房は呆れていますがね。
それでも、付き合ってくれています。
では!

2018年3月22日 (木)

ちょっと中休み

みなさん、こんばんは!
長篠古戦場を巡るの後半を書きたいところですが、「ネタ無し用」に貯めていた小ネタが腐りそうなので、先にこちらをアップします。

【なごり雪?の大雪】
昨日、春分の日の大雪は凄かったですねぇ・・・。
横浜は、なごり雪とは言えないくらい凄まじい雪でした。

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私は朝から車で出社して引越準備。
机やロッカーの私物をまとめて、セッセと段ボールに詰め込んでいたのですが・・・

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窓の外は春とは思えない風景でした。
この後、まとめた荷物を次の職場まで運んでいると、車内から見る家々の屋根は薄らと雪が積もっていましたよ。
温暖化?氷河期?変な気候ですね。

【CP+】
今年も3日に行ってきました。

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CP+は毎年、みなとみらい地区のパシフィコ横浜で開催されています。
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昼過ぎに行ったのですが、会場は大混雑でした。
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マウンテンパーカーを羽織っていたのですが、人の熱気で暑くて暑くて・・・
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いやぁ~夢の空間ですねぇ・・・。
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見るだけ・・・ため息が出ます。
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とりあえず、買うことも出来ないカメラやレンズのカタログを沢山貰って、会場を後にしました。
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次の職場は多少は給料が良い?そうな。
小遣い増えると良いな。
で、カメラが買えると良いな。

【新しい彼女です】
転勤も間近になったので、ここ数日は離任の挨拶回りです。

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この会社には、当分来ることはないだろうなぁ・・・。
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で、売店に立ち寄って買ったのがこれ。
ご当地フチ子シリーズ「女性自衛官のフチ子(海上自衛隊バージョン)」です。
陸・海・空と3バージョンあったのですが、海自をチョイス。

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さっそく彼女に晩酌のお付き合いをお願いしました。
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うん、可愛い!
私の新しい彼女ですよ。

と、いうことで、次回こそは長篠古戦場を巡るの後半を書きます。
では!

2018年3月20日 (火)

長篠古戦場を巡る(前半)

みなさん、こんばんは!
私は、3月28日付で異動。
昨夜は送別会で盛大?に送られました。
明日の春分の日は、会社の私物を整理して段ボールに詰め、新しい職場へ持って行こうと思っています。
横浜の本社勤務もあと一週間・・・。

3月10日、長篠の古戦場を巡ってきました。
きっかけは、この本。
近衛龍春氏作の歴史小説「真田信綱」です。

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真田物の歴史小説と言えば、その殆どが大阪の陣で有名な真田信繁公を扱ったものですが、これはその信繁公の伯父にあたる人。
武田二十四将の一人に数えられる武田騎馬隊200騎の侍大将です。
武田信玄に認められた剛勇の武将でしたが、天正3年5月21日の長篠設楽ヶ原の戦いで、織田鉄砲隊の前に、弟の真田昌輝と共に討ち死にしました。
織田信長も徳川家康も武田信玄も好きではない私は、長篠の古戦場にはあまり興味は無かったのですが、この本を読んでいるうちに無性に訪れてみたくなったのです。

で、女房を愛車に乗せて清水の自宅発。
新東名高速道路を西へ、長篠古戦場のある愛知県の新城市へと向かいました。

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この道、有名な時速110km制限(大型トラックは80km)の区間です。
片側3車線で、スイスイ・・・いえいえ、どの車も皆カッ飛ばしてます。
私が左車線を110kmで走っていると、その右側を他の車が130kmくらいで抜いて行きます。
ちょっと恐ろしいですよ。
110km制限って試行だそうですが、私は元に戻した方が良いと思うなぁ・・・遅い車も多いのだから。

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約1時間半で新城市着。
先ずは情報収集を兼ねて、「新城市設楽原歴史資料館」へ向かいました。

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この資料館は古戦場の武田勝頼本陣付近に位置しています。
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後で訪れる予定の「長篠城址史跡保存館」との共通券400円を購入して入館しました。
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館内は、甲冑に馬防柵のレプリカを始めとして、
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長篠設楽ヶ原の戦いの古戦場に相応しい、多くの火縄銃が展示してあり、なかなか見応えがありました。
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最後に、黒澤明監督作品の「影武者」のポスターが・・・
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そういえば、この映画は長篠設楽ヶ原の戦いがクライマックスだったなぁ・・・。
また観たくなりました。
日帰りなので、あまりノンビリもしていられず、この館の方に真田兄弟の墓の場所を聞いて出発です。
田舎道をクネクネと進み、最後は軽自動車1台がやっと通ることが出来る様な田んぼの畦道を走って、ようやくそれらしき場所に到着。

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杉山の麓に何本か幟が立っていたので、それと見当が付きました。
近づいてみると、由来を記した看板があります。

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どうやら、真田兄弟の他に、兄弟と共に亡くなった真田家の家臣の墓もあるようです。
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右端のひときわ大きな墓が真田信綱、昌輝兄弟のもの。
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う~ん・・・感無量です。
この付近で討ち死にされたのか・・・。
ここは武田側から見て、右翼のさらに右側になります。
正面は・・・羽柴秀吉、丹羽長秀の陣。
馬上で青江の太刀を振りかざし、織田軍に突撃する真田信綱が、今、目の前を駆け抜けて行った様な気がしました。

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さて、昼になったので、古戦場巡りは中断して何か食べに行くことに。
土地勘は無いので、Googleに「近くの蕎麦屋」と音声入力すると、この蕎麦屋さんに案内してくれました。

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なにやら多目的施設の中にあるお蕎麦屋さんでした。
少し躊躇いましたが、他をあたる時間が勿体ないので入ることに。
とろろそば定食1,200円をオーダー。

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お味は・・・メインの蕎麦は、国産の二八蕎麦とのことでしたが、ごく普通です。
でも、他が美味かった。
ちらし寿司やフキノトウの天ぷら、刺身コンニャク、蕎麦海苔巻はGoodでした。
食後は、また古戦場へと戻りましたよ。
続きはまた近いうちに。
では!

2018年3月15日 (木)

蒲原城址

みなさん、こんばんは!
昨日、うちの女房は再入院して治療再開です。
なかなか思う様には行きません。
それでも三歩進んで二歩下がる・・・って、ところかな。
少しづつであっても、前進しているって信じてます。

最近読んだ歴史小説「北天蒼星」。
珍しく上杉景虎を扱ったものです。

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作者は伊東潤氏。
後北条氏贔屓(なのかな?)で、後北条氏にまつわる小説を沢山執筆されています。
私も謙信公は上杉景勝よりも上杉景虎の方を跡取りにしたかったのではないか?と、思っている派であり、ほぉ、伊東潤氏の描く上杉景虎か・・・これは面白そうだ。
って、読み始めました。
で、何故「蒲原城址」?
この小説の冒頭でこの城が出て来るのですよ。
北条三郎(後の上杉景虎)が、この城に籠もる北条新三郎氏信の元を訪れ、攻め寄せる武田信玄との戦に巻き込まれるのです。
迫力ある蒲原城の攻防戦が前半の読みどころ。
読んでいるうちに訪れてみたくなり、行ってみた次第。

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この城址は、清水の我が家から車で20分くらいの所にあります。
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駐車場や登城道?は整備されていて、楽に散策できます。
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戦国期、この辺りは今川氏の領土であり、この城も今川氏が築いたものです。
簡単に背景を説明しますと・・・
所謂、「甲相駿三国同盟」で駿河と遠江は平和が保たれていたのですが、今川義元が織田信長に討たれると、突然、同盟者だったはずの武田信玄が裏切り駿河に乱入、配下だったはずの徳川家康(松平元康)も裏切り遠江に乱入して来ます。
義元の後を継いだ子の氏真は早々に駿府城を放棄して遠州の掛川城に逃げ込み、家康に包囲されると、ここも開城して家康に明け渡し、北条氏を頼って相模へ落ちるのです。
で、この城を武田の侵攻から守るために、北条氏から北条新三郎氏信が派遣されたという訳です。

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東と南は谷地形、北と西は稜線が隣の山へ続く地形、この堅固な城を守った城兵は1千余りだったと伝わっています。
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現在、大手口や大手曲輪は破壊されて東名高速になっており、登城は搦手口からのみ可能となっていました。
腰曲輪から善福寺曲輪へと至る細い坂道を上ると、
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善福寺曲輪の大堀切が見えてきました。
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善福寺曲輪の見学は後にして、先ずは本曲輪まで一気に登ると、白い鳥居が見えてきました。
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正面には、「史跡 蒲原城址」と記された碑があります。
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その奥には、小さな社がありました。
八幡様のようです。

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社の手前には、北条新三郎氏信の供養碑が建っていました。
なんでも、後北条氏の子孫の方々が建立したのだそうです。

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ここから南を見れば、眼下に駿河湾と東海道が一望。
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この城が東海道を押さえる要所だったことが分かります。
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さて、次は善福寺曲輪へ。
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守る北条方と攻め寄せる武田方との最も激しい激戦が繰り広げられたと伝わります。
ここには物見櫓っぽい建物や、

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コンクリートで逆茂木が再現されていました。
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なんだかねぇ・・・再現するのならば、もっと時代考証をしっかりやって、木製で再現しないと台無しなんだけれどなぁ・・・。

永禄12年12月6日、武田勢約8千が攻撃を開始。
信玄の本隊が、大手口から攻めかかって退却し、城方に追い打ちを掛けさせます。
十分に城方の追手を城から引き離したところで、勝頼の別働隊が、城の北側から攻め登りました。
(下の写真が城の北側)

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主力を追手として出した城方は、少なくなった兵力で抵抗しますが、多勢に無勢、城は落城し、城将北条新三郎氏信以下900名余りが討ち死にして果てたと伝わります。
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う~ん、ここは激戦地なんだなぁ・・・。
何処からか、武将達の雄叫びが聞こえてきそうです。
何とも感慨深いものがありました。
では!

2018年3月 5日 (月)

一泊二日の出張(銚子)

みなさん、こんばんは!
出張の続きです。
27日、朝、8時にホテルを出て、銚子へと向かいました。
銚子支社では1030から仕事の予定だったので、渋滞やアクシデントを見越して早く出発したのですが、道はスイスイで、9時過ぎには銚子へ着いてしまいました。
このまま銚子支社へ顔を出すと迷惑だろうし、やることもなくて時間を持て余す・・・。
では、灯台にでも行って時間を潰そうということになり、犬吠埼灯台へと向かいました。

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当日は天気もイマイチだったのですが、これが犬吠埼灯台です。
明治7年、日本では24番目に点灯した西洋型第一等灯台で、地上からてっぺんまで31.3mあり、この高さは日本第2位だとか。

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私以外の人達は全く興味がないとのことで、灯台の周りを散策、せっかく来たのだもの、私は入場料200円を支払い灯台の中へ。
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九十九里浜にちなんだ99段の螺旋階段を上って、展望スペースまで登りました。
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うん、ここから太平洋が一望に見渡せます。
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下の写真は、この灯台で用いられていたレンズです。
デカいですね。

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これで、36km先まで光が届くのだそうな。
そうして忘れてはならないのが、この灯台の「霧信号所霧笛舎」です。
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明治43年に完成し、平成20年に廃止されるまでの間の約100年間、霧の日に鳴らされ続けた霧笛・・・。
犬吠埼は千葉県の最東端に位置しており、沖には暖かい黒潮が流れています。
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梅雨時期になると、銚子河口から海に至る利根川が運んできた冷たい雪解け水がこの暖かい黒潮にぶつかり、海上には霧が発生します。
銚子沖は頻繁に濃霧が発生する海の難所な訳です。
まだ、現代の様にGPSやレーダーも発達していなかった昔、濃霧の中を進む船舶には、この鳴り響く霧笛によって犬吠埼灯台の方向を知ることが出来、安全に航海することが出来たのです。
明治43年からあるこの霧笛舎の壁は、溶接ではなくリベット打ちで接着されています。
これだけでも、歴史を感じますね。
内部は、こんな感じ。

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圧縮空気で大きな音を発生させていたことが分かります。
ちょっと、聴いてみてください。


♪~沖に 霧笛が 呼びかける 呼びかける~♪
映画「喜びも悲しみも幾年月」の一場面が浮かんでくるような素敵な音でしょう?
楽しんでいると、時が過ぎるのは早いもので、時刻は9時50分。
銚子支社へ向けて出発です。
で、灯台を出たところに、白いポストが・・・

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何でも、白い灯台にちなみ、平成24年のホワイトデーにこの灯台の前に設置されたそうで、このポストでラブレターを出せば「恋が叶う」のだそうな。
本当かなぁ・・・。

昼に仕事を終えて、銚子支社を出発。
海岸沿いを南下しました。
で、昼飯に入ったのは、ここ「海の駅 九十九里」です。

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食べたのはこれ、九十九里丼、1,000円ナリ。
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不味くはありませんが・・・観光客向けですね。
昼食後、しばらく休憩。
この海の駅には、イワシの資料館が併設されていましたので、これを見学しました。

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この辺りは昔からイワシ漁が盛んだったのだとか・・・。
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なるほど、売店にもイワシにまつわる物が多かったような。
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外には目刺しが干してありましたよ。
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そうして、ここのポストはなんと青色。
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九十九里浜の青い海をイメージしたものだとか。
なるほどねぇ・・・。

海の駅を出てから、さらに九十九里浜の海岸沿いを南下。

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九十九里浜最南端にある一宮町の釣ヶ崎海岸を目指しました。
この海岸が2年後に東京オリンピックのサーフィン会場となるのです。

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この海岸は、房総最古の浜降り神事が行われる海岸とのことで、浜には鳥居が建っていました。
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この海岸には年間を通じて良質な波が打ち寄せるのだとか。
それで、オリンピックのサーフィン会場に選ばれたのですね。

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当日も、多くのサーファーで賑わっていました。
けっこう、波が高いなぁ・・・
あぁ、4月から新しい職場か・・・

大海の 磯もとどろに よする浪
 われてくだけて 裂けて散るかも


って、心境です。
では!

2018年3月 4日 (日)

一泊二日の出張(鹿島)

みなさん、こんばんは!
私、2月26日~27日、鹿島・銚子方面へ出張でした。
私が今勤務しているところは横浜の本社なので、この季節、やり残した仕事を年度内に完成させるために傘下の支社への出張が多くなります。
支社を色々と回りましたが、これが年度最後の出張になります。
で、以下に貼っている写真はこの鹿島出張中に撮ったものですが、写真と本文はほぼ関係ありませんので悪しからず。

今回の出張は上司と私、部下の3名で行きました。
先ず26日は鹿島支社です。
夕方、その仕事も終わり、当日は鹿島市内に泊まって支社の連中と懇親会です。

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宴もたけなわの頃、酔っぱらった上司が私に向かって、「もう、種明かしをしましょう!あなたは、次※※※ですよ」って、次の異動先を明かしたのです。
私「・・・・・」
内示は、28日の予定なのに・・・。

2
上司「あれ?急に元気がないですねぇ(笑)」
私「・・・・・」
上司「とりあえず、第二希望でしょう」
私「そうですね。ありがとうございました・・・(ケッ!)」
と、言わざるを得ない。
3
実は秋に異動に関する面談の際、上司は当初、私を清水支社に転勤させる予定だと言っておりました。
女房の病気の件がありましたからね。
清水・・・確かに自宅から通うことが出来ますが、清水は田舎ですから。
清水勤務では自分の思うような仕事はできないうえに、今後、もしも静岡の病院で
女房の治療が上手くゆかない時は、彼女を首都圏の有名な病院へ転院させようと思っていたのです
そうなると、私が清水に居たのでは、かえって不便ですからね。
4
そんな理由で、この面談の際、希望が叶わないのであれば、せめて引っ越しを伴わないような異動にして下さいとお願いしていたのです。
5
とりあえず、希望どおりの異動ではないものの、※※※だったら今の横浜の出城から通えるので、引っ越しはしなくてよさそうです。
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もうね、今更出世欲はないのですが・・・それでもねぇ・・・。
そんな出張の一日目でした。

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翌日は、朝早く鹿島を出て、銚子へ。
銚子編は、旅行記らしい記事になりそうです。
以上、最後まで面白くもない愚痴を読んでくださり、ありがとうございました。
では!

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