長篠古戦場を巡る(後半)
みなさん、こんばんは!
私、今日から新しい職場でお仕事です。
横浜の出城からdoor to doorで、座って行こうと思うと、朝は約1時間40分、帰りは約1時間10分。
けっこうかかります。
まぁ、首都圏ですからね、こんなものです。
さて、長篠古戦場巡りの後半です。
始めに、この地図をご覧下さい。
長篠古戦場の地図です。
これに赤丸数字で番号を記しているところが、私が写真を撮った所。
写真にも右肩に同じ番号を付けていますので、この地図と見比べながら読んでいただければ、分かり安いかな?
先ず、向かったのは、武田勝頼の本陣跡です。
小高い丘の鬱蒼とした杉林の中を地図を頼りに200mくらい歩きました。
「本当にこっちで良いのかな・・・」少し心配になった時、看板が見えてきてホッと一安心。
到着したその場所には、「武田勝頼観戦地」の碑が建っていました。
当時、この辺りは禿げ山で、決戦場の連吾川周辺を眼下一望に見渡すことが出来た様ですが、現在は杉の人工林になっていて、展望は全くありません。
5月21日早朝、この場所を中心に南北に長く展開した武田勢1万5千は、連吾川を挟んで西方に展開する3万4千と伝わる織田徳川連合軍に突撃を掛けて行ったのでしょうね。
しかし、織田徳川連合軍の作った大量の馬防柵と1,000~1,500丁も揃えていたと言われる鉄砲の前に、戦国最強と云われた武田騎馬隊も次々と倒されて行き・・・戦況は時を追う毎に武田方に不利になってゆきます。
武田勝頼は堪らず、本陣を約300m西方の連吾川を見下ろす丘に前進させるのですが、
それが次の写真の場所で、
「武田勝頼公指揮の地」という石碑が建っていました。
今は、この場所からも連吾川を見る事は出来ませんが、武田勝頼は次々と撃ち倒されて行く自軍の兵を目の当たりにして、何を思ったのでしょうね。
こんなことを想像していると時間は瞬く間に過ぎて行きます。
おっと、全てを回れなくなる・・・。
次は織田信長本陣へ。
ここは簡単でした。
新東名の長篠設楽原パーキングエリア(下り線)から歩いて行くことが出来ます。
一般道側の駐車場に愛車を駐めて、隣接する小高い丘「茶臼山」を登ります。
山頂には小さな稲荷の社と、かつてここに信長の本陣があったことを示す石碑が建っていました。
ここからも、東側にあたる連吾川方面は杉林に阻まれて見る事が出来ません。
見えるのは、西側のパーキングエリアだけです。
こういう所が残念ですね。
史跡とするならば、古戦場を見渡すくらいに整備して欲しいものです。
信長はここから連吾川方面の戦況を見下ろして、実に痛快だったことでしょうねぇ・・・。
この後に向かったのは、徳川家康の本陣です。
信長の本陣から南東へ800m位のところにありました。
現在は、「八剱(やつるぎ)神社」になっています。
この位置関係を見ると、家康本陣はかなり前面に配置されていたことが分かりますね。
さて、いよいよ最大の激戦地と伝わる場所へ。
連吾川の東側に再現された馬防柵です。
ちょうど、武田勝頼本陣の前面、つまり連吾川を挟んだ西側に再現されていました。
まぁ、これで突撃してくる武田の騎馬隊を防ぎ、織田徳川連合軍は、柵の内側から鉄砲を射かけたのでしょうね。
下の写真は激戦地の碑がある柳田前の連吾川から見た馬防柵の再現地です。
(写真の中央からやや右、山陰になっています。)
ここは現在も田圃ですが、当時も同様でかなりの湿地帯だったようです。
当時は旧暦の5月21日、概ね現在の6月下旬ですから梅雨の真っ盛り。
武田勢は泥濘に足をとられ、鉄砲で狙い撃ちにされて多くの死傷者を出したそうです。
傍には、この場所で討ち死にした武田の名将「甘利信康」の碑が建っていました。
ちょうどこの上の山が勝頼の本陣になる訳です。
さて、最後は長篠城址へ。
古戦場からは、2km以上西方になります。
ここには、お城風?な資料館「長篠城址史跡保存館」が建っていました。
入口では、有名な鳥居強右衛門の磔を表した鬼瓦がお出迎え。
館内は・・・これと言って興味を惹かれる様な展示物はありませんでした。
早々に出て、城址を見学します。
城址自体は内堀が残っているだけかな?
城内は広場の様になっていて、何カ所かに「長篠城本丸跡」という碑や看板が建っていました。
では、鳥居強右衛門さんが磔にされた場所へ。
その場所は実に分かりづらく、簡単な案内図と愛車のナビを見比べながら何とか到着することが出来ましたが、着いた所は田圃の畦道でした。
そこには「鳥居強右衛門磔死之跡」と記された石碑が建っていました。
これで時計を見ると既に4時過ぎです。
これから出発しても帰宅は6時近く・・・。
女房は、もう外食だと決めている様・・・。
本当はもう少し巡りたかったのですが、これで終了。
新東名の入口にあった道の駅に寄って慌ただしく買い物をして、家路を急ぎました。
で、買ったのはこの地酒。
奥三河のお酒とのこと。
いつ飲めることやら分かりませんが、美味いと良いな。
夜、ウィスキー片手に、「影武者」もあらためて視直してみました。
長篠の戦いは、この映画のクライマックスなんですが・・・う~ん、イマイチだったかな。
時代考証もちょっと難ありで・・・。
長々と書いてしまい、最後まで読んで下さった方、ごめんなさい。
古城や古戦場巡りも、私の趣味なんですよ。
女房は呆れていますがね。
それでも、付き合ってくれています。
では!
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コメント
この記事へのコメントは終了しました。
いい奥様だなぁ
と いつも思います(*^-^)
奥三河の地酒ですか
特別純米酒あたりが食中酒にはもってこいで
コスパも良くて私は好みです。
美味しいといいですね。
投稿: wani | 2018年3月29日 (木) 16時49分
こんばんは♪
長篠古戦場巡り、楽しまさせて頂きました
これだけ案内がしっかりしていると、最初の地図とも相まって
とても分かり易い印象です。
廃れることなく、後世に残って欲しいですね。
投稿: bill | 2018年3月29日 (木) 22時06分
waniさん、こんばんは!
日本酒はずいぶん溜まってしまいましたよ。
佐賀に行った時の鍋島や北海道へ行った時の・・・。
いつ飲めることやらです。
いい奥様だなぁ・・・ですか?
仕方ありませんよ。
彼女は私に惚れてますから。
投稿: FUJIKAZE | 2018年3月29日 (木) 22時43分
billさん、こんばんは!
やっぱり、現地を訪れると分かって来るものがあって、楽しいです。
次は関ヶ原を計画しています。
まぁ、いつになるか分かりませんが・・・。
投稿: FUJIKAZE | 2018年3月29日 (木) 22時46分
おはようございます
FUJIKAZEさんと古戦場巡りしたいですo(*^▽^*)o
よいガイドさんがいると、歴史の興味もわき楽しいですね
私は名所旧跡など行ったときにガイド付き団体さんがいるとちゃっかり後ろほうについて行って聞き耳立ててることもあるのです(≧∇≦)
いや~、、それにしても長篠設楽原パーキングエリアの木瓜の家紋がすごい!
織田家の家紋が入ったコーヒーやお茶が出てくる勢いです
投稿: らるご | 2018年3月30日 (金) 08時37分
らるごさん、こんばんは!
うーん、私の解説は、くどくて分からないと女房は言ってますが・・・。
おまえ、大河ドラマ視ていたのだから当然分かるだろう?あのシーンだよって感じで解説しますので・・・。
木瓜の家紋は、この下り線SPに満ちてますよ。
面白いと言えば面白いのですが・・・。
織田信長嫌いな私には、若干目障りでした。
投稿: FUJIKAZE | 2018年3月31日 (土) 23時27分