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2018年3月15日 (木)

蒲原城址

みなさん、こんばんは!
昨日、うちの女房は再入院して治療再開です。
なかなか思う様には行きません。
それでも三歩進んで二歩下がる・・・って、ところかな。
少しづつであっても、前進しているって信じてます。

最近読んだ歴史小説「北天蒼星」。
珍しく上杉景虎を扱ったものです。

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作者は伊東潤氏。
後北条氏贔屓(なのかな?)で、後北条氏にまつわる小説を沢山執筆されています。
私も謙信公は上杉景勝よりも上杉景虎の方を跡取りにしたかったのではないか?と、思っている派であり、ほぉ、伊東潤氏の描く上杉景虎か・・・これは面白そうだ。
って、読み始めました。
で、何故「蒲原城址」?
この小説の冒頭でこの城が出て来るのですよ。
北条三郎(後の上杉景虎)が、この城に籠もる北条新三郎氏信の元を訪れ、攻め寄せる武田信玄との戦に巻き込まれるのです。
迫力ある蒲原城の攻防戦が前半の読みどころ。
読んでいるうちに訪れてみたくなり、行ってみた次第。

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この城址は、清水の我が家から車で20分くらいの所にあります。
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駐車場や登城道?は整備されていて、楽に散策できます。
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戦国期、この辺りは今川氏の領土であり、この城も今川氏が築いたものです。
簡単に背景を説明しますと・・・
所謂、「甲相駿三国同盟」で駿河と遠江は平和が保たれていたのですが、今川義元が織田信長に討たれると、突然、同盟者だったはずの武田信玄が裏切り駿河に乱入、配下だったはずの徳川家康(松平元康)も裏切り遠江に乱入して来ます。
義元の後を継いだ子の氏真は早々に駿府城を放棄して遠州の掛川城に逃げ込み、家康に包囲されると、ここも開城して家康に明け渡し、北条氏を頼って相模へ落ちるのです。
で、この城を武田の侵攻から守るために、北条氏から北条新三郎氏信が派遣されたという訳です。

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東と南は谷地形、北と西は稜線が隣の山へ続く地形、この堅固な城を守った城兵は1千余りだったと伝わっています。
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現在、大手口や大手曲輪は破壊されて東名高速になっており、登城は搦手口からのみ可能となっていました。
腰曲輪から善福寺曲輪へと至る細い坂道を上ると、
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善福寺曲輪の大堀切が見えてきました。
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善福寺曲輪の見学は後にして、先ずは本曲輪まで一気に登ると、白い鳥居が見えてきました。
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正面には、「史跡 蒲原城址」と記された碑があります。
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その奥には、小さな社がありました。
八幡様のようです。

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社の手前には、北条新三郎氏信の供養碑が建っていました。
なんでも、後北条氏の子孫の方々が建立したのだそうです。

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ここから南を見れば、眼下に駿河湾と東海道が一望。
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この城が東海道を押さえる要所だったことが分かります。
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さて、次は善福寺曲輪へ。
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守る北条方と攻め寄せる武田方との最も激しい激戦が繰り広げられたと伝わります。
ここには物見櫓っぽい建物や、

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コンクリートで逆茂木が再現されていました。
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なんだかねぇ・・・再現するのならば、もっと時代考証をしっかりやって、木製で再現しないと台無しなんだけれどなぁ・・・。

永禄12年12月6日、武田勢約8千が攻撃を開始。
信玄の本隊が、大手口から攻めかかって退却し、城方に追い打ちを掛けさせます。
十分に城方の追手を城から引き離したところで、勝頼の別働隊が、城の北側から攻め登りました。
(下の写真が城の北側)

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主力を追手として出した城方は、少なくなった兵力で抵抗しますが、多勢に無勢、城は落城し、城将北条新三郎氏信以下900名余りが討ち死にして果てたと伝わります。
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う~ん、ここは激戦地なんだなぁ・・・。
何処からか、武将達の雄叫びが聞こえてきそうです。
何とも感慨深いものがありました。
では!

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コメント

おはようございます。

少しづつ雪が解けて、温かい春がやって来ます。
奥様の体調がご心配だと思いますが、FUJIKAZEさんも
ご自愛下さいね。

歴女じゃないのでさっぱり・・・です。(すみません!)
でも、お近くに歴史を感じられる場所があるって良いですね。

入院はストレスですが回復のためです、退院したら楽しいことをするんだと励ましてください。
 蒲原城址、私も歴史がとんちんかんなのでFUJIKAZEさんのブログで勉強になります。
昨年NHKの大河ドラマで地元のことを少しわかった気がしました。
我が富士宮市には源頼朝ゆかりの場所や話がたくさんあるようですが・・・
以外と知らずに過ごしています。
 本で読んだ場所って行きたくなりますね。

こんにちは。
 奥様、是非、頑張って頂きたいですね。
ご快復をお祈り申し上げます。

 私も歴史には疎く申し訳ございません。
せいぜい、大河ドラマを観るくらいです。

こんにちは

歴史に疎いのですが、こんなお写真を拝見してますとあの一句が思い出されます。
季節は違うのですが「夏草や 兵どもが夢のあと」
あれは芭蕉が平泉で詠んだものでしたね。
 今は草木が生い茂って静かな地ですが、本当にFUJIKAZEさんのおっしゃるように武将たちの雄叫びが聞こえてきそうです。

奥様、お大事になさってください(_ _)
妹は9年前手術をしまして、病院通いはしてますが元気です!
治療の進歩がすごいです。
FUJIKAZEさんも4月はお忙しい新年度かと思いますがご自愛くださいね。


こんにちは

城跡からの眺望興味深いです!
近くに未踏?
の城跡が多くあるので私もひとつづつ登ってみるつもりです。

三歩進んで二歩下がる
三寒四温を経て春が来る
奥様お大事になさってくださいね。

歴史は苦手でよくわかりませんが、
すっかり春のぽかぽかとしたような、
景色ですね~!
三寒四温の繰り返しで、
今日は寒くてブルブルです。
夫婦がずっと健康でいられることを願います!

こんばんは♪

かつての城址らしさが随所に感じられますね。
歴史を学びつつ、登ってみたいです。
楽しみ方の幅と共に教養度も高められそうです。
山としての知名度はイマイチ?でも、城址だったりと
歴史のある場所には惹かれます

ささみさん、こんにちは!
ありがとうございます。
まぁ、女房は大丈夫だと信じてますから。

福岡県にも歴史を感じられる場所は沢山ありますよ。
九州は歴史の宝庫ですから。
私が行ってみたい場所としては、大宰府の近くにある岩屋城址とか・・・。
何時行けるのか分かりませんが、是非訪れてみたいと思っています。

せせらぎさん、こんにちは!
ありがとうございます。
女房はきっと良くなると信じています。

源平の遺跡も面白いですが、富士市や富士宮市の周辺にも、戦後期時代にまつわる古城跡はかなり残っていますよ。
今川、北条、武田、徳川が取ったり取られたりを繰り返した場所ですから。
調べてみると面白いですよ、

マコママさん、こんにちは!
ありがとうございます。
女房はきっと良くなるって信じています。

うちの女房も歴史は頓珍漢ですよ。
大河ドラマは見るくせにね。
色々と連れて行って、あの時のドラマのあの場面の舞台だよと言っても、すでに忘れています。
それでも、私に付き合ってくれますがね。

らるごさん、こんにちは!
ありがとうございます。
女房はきっと良くなるって信じています。

当に、兵どもが夢のあとですよ。
私はこんな荒れ果てた城跡が大好きです。
当時の城将や攻める側の武将の立場になりながら、色々と想像を膨らませていると、時間が過ぎるのを忘れてしまいます。
時間が出来たら、茨城方面の城跡も訪ねてみたいと思っています。

wani さん、こんにちは!
ありがとうございます。
女房はきっと良くなるって信じています。

wani さんの新居は足利の街ですから、城跡も多そうですね。
またブログで紹介してください。
楽しみにしています。

マインさん、こんにちは!
ありがとうございます。
女房はきっと良くなるって信じています。

新潟には私の大好きな謙信公にまつわる史跡が沢山ありますね。
全て訪れるのが私の夢です。
とりあえずは、上杉景虎終焉の地である鮫ヶ尾城址を訪れてみたいのですが、さて、いつになることやら。

bill さん、こんにちは!
そうですね、山城の跡ってとても面白いですよ。
曲輪の跡や空堀の跡が少しでも残っていると感動します。
伊達や佐竹が戦いを繰り広げたところですから、福島にもそんな史跡が多そうですね。
こんど見つけてブログで紹介してください。
楽しみにしています。

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