古戦場巡り(諏訪大社と高遠城址)
みなさん、こんばんは!
GWいかがお過ごしでしょうか?
GWいかがお過ごしでしょうか?
私は、とりあえず後半の3日~6日は休みです。
伊東潤氏の「武田家滅亡」です。
武田家の長篠設楽原の戦い以降から天目山での滅亡までを描いたものです。
これを読んだところ、私の心にふつふつと武田家ゆかりの地を辿りたい気持ちが湧き出してきて、先ずは諏訪大社本宮と高遠城址を訪れてみました。
4日7時頃、女房を愛車に乗せて清水の自宅発、先ずは諏訪大社本宮を目指しました。
諏訪大社本宮は、2年前の今頃、ハッピーのパパさんと初めて訪れました。
その時は有名な「御柱(おんばしら)」ばかりに注目してしまい、この神社の歴史にまでは目が行かなかったのですが、この神社、天正10年(1582年)3月の織田信長による武田征伐の際に、織田信忠(信長の嫡男)によって焼かれているんですねぇ・・・。
知りませんでした。
で、また訪れてみたいと思った次第です。
我が家からは途中休憩しながら3時間くらいかかって、10時頃に到着。
女房と一緒に参詣いたしました。
先ずは有名な御柱を見て・・・
(下の写真は、本一の御柱です。)
「へぇ~これが御柱なんだ・・・」女房も感動していました。
参詣は、もちろん布橋門から入って・・・
布橋を渡って参拝所へと向かいます。
GWで参詣者が多かったのですが、何とも厳かな雰囲気です。
私たちも参拝所の列に並んで参拝を済ませました。
それにしても織田信忠は、よくもこの神社を焼こうと思いましたねぇ・・・。
武田家が信仰していた神社とはいえ、実に畏れ多いこと。
その3ヶ月後の6月には、本能寺の変。
親父の信長は本能寺で、自らは二条城で焼かれるのですから、これは神罰なのかな?
参詣の後は、高遠城址へと向かいました。
途中、お蕎麦屋さんに立ち寄って昼食です。
初めて「高遠そば」を頂きました。
竹べらに載せられた焼味噌をそばつゆに溶いて食べるのですが・・・けっこう美味かったですよ。
さて、高遠城址ですが、12時過ぎに到着しました。
この城跡を訪れたかったのは、この場所が武田家最後の激戦地だったから。
背景を説明しますと、武田信玄亡き後、後継者であった武田勝頼(信玄の四男)は、領土拡張を目指しますが、織田・徳川連合軍に長篠設楽原の戦いで大敗北を喫してしまいます。
この戦いで信玄以来の多くの宿老(重臣)を失ってしまい、武田家は大打撃を受けた訳ですが、ありがたいことに、北条家から甲相連合を持ち掛けられます。
これを受けた勝頼の下へ北条家から姫(北条氏康の娘)が輿入れし、甲相連合で織田・徳川連合に対抗して行こうとした矢先、上杉謙信公が亡くなるのです。
直後、共に謙信公の養子であった上杉景虎(北条氏康の七男)と上杉景勝との間で、跡目争い(所謂、御館の乱)が始まり、越後は内乱状態になります。
武田家の長篠設楽原の戦い以降から天目山での滅亡までを描いたものです。
これを読んだところ、私の心にふつふつと武田家ゆかりの地を辿りたい気持ちが湧き出してきて、先ずは諏訪大社本宮と高遠城址を訪れてみました。
4日7時頃、女房を愛車に乗せて清水の自宅発、先ずは諏訪大社本宮を目指しました。
諏訪大社本宮は、2年前の今頃、ハッピーのパパさんと初めて訪れました。
その時は有名な「御柱(おんばしら)」ばかりに注目してしまい、この神社の歴史にまでは目が行かなかったのですが、この神社、天正10年(1582年)3月の織田信長による武田征伐の際に、織田信忠(信長の嫡男)によって焼かれているんですねぇ・・・。
知りませんでした。
で、また訪れてみたいと思った次第です。
我が家からは途中休憩しながら3時間くらいかかって、10時頃に到着。
女房と一緒に参詣いたしました。
先ずは有名な御柱を見て・・・
(下の写真は、本一の御柱です。)
「へぇ~これが御柱なんだ・・・」女房も感動していました。
参詣は、もちろん布橋門から入って・・・
布橋を渡って参拝所へと向かいます。
GWで参詣者が多かったのですが、何とも厳かな雰囲気です。
私たちも参拝所の列に並んで参拝を済ませました。
それにしても織田信忠は、よくもこの神社を焼こうと思いましたねぇ・・・。
武田家が信仰していた神社とはいえ、実に畏れ多いこと。
その3ヶ月後の6月には、本能寺の変。
親父の信長は本能寺で、自らは二条城で焼かれるのですから、これは神罰なのかな?
参詣の後は、高遠城址へと向かいました。
途中、お蕎麦屋さんに立ち寄って昼食です。
初めて「高遠そば」を頂きました。
竹べらに載せられた焼味噌をそばつゆに溶いて食べるのですが・・・けっこう美味かったですよ。
さて、高遠城址ですが、12時過ぎに到着しました。
この城跡を訪れたかったのは、この場所が武田家最後の激戦地だったから。
背景を説明しますと、武田信玄亡き後、後継者であった武田勝頼(信玄の四男)は、領土拡張を目指しますが、織田・徳川連合軍に長篠設楽原の戦いで大敗北を喫してしまいます。
この戦いで信玄以来の多くの宿老(重臣)を失ってしまい、武田家は大打撃を受けた訳ですが、ありがたいことに、北条家から甲相連合を持ち掛けられます。
これを受けた勝頼の下へ北条家から姫(北条氏康の娘)が輿入れし、甲相連合で織田・徳川連合に対抗して行こうとした矢先、上杉謙信公が亡くなるのです。
直後、共に謙信公の養子であった上杉景虎(北条氏康の七男)と上杉景勝との間で、跡目争い(所謂、御館の乱)が始まり、越後は内乱状態になります。
勝頼は義理の兄にあたる上杉景虎から援軍要請を受けて出陣しますが、当初絶体絶命の危機にあった上杉景勝の腹心である狡猾な直江兼続の計略にかかり、眼前に1万両もの大金を積まれ、これに目が眩んで中立を決め込みます。
結果、形勢は逆転となり、跡目争いは上杉景勝が勝利して上杉景虎は死んでしまうのですが、当然、勝頼の行為は北条家の怒りを買い、甲相同盟は破綻してしまいます。
このため、織田・徳川に加え、北条まで敵に回した勝頼は、東・西・南から挟み撃ち状態になり、追い詰められて滅亡への道を歩み始めるのです。
主だった家臣にも見捨てられ、裏切り者が続出する中、この高遠城には弟の仁科盛信(信玄の五男)が、武田の精鋭3千を率いて立てこもり、織田信忠の率いる5万の織田勢を迎え撃ちます。
織田勢からの降伏を勧めを拒否し、仁科盛信は徹底抗戦を決意。
3月2日、織田勢の総攻撃を受けた高遠城は、奮戦虚しく仁科盛信以下全滅してしまうのです。
これが武田家としての最後の大激戦と伝わっています。
結果、形勢は逆転となり、跡目争いは上杉景勝が勝利して上杉景虎は死んでしまうのですが、当然、勝頼の行為は北条家の怒りを買い、甲相同盟は破綻してしまいます。
このため、織田・徳川に加え、北条まで敵に回した勝頼は、東・西・南から挟み撃ち状態になり、追い詰められて滅亡への道を歩み始めるのです。
主だった家臣にも見捨てられ、裏切り者が続出する中、この高遠城には弟の仁科盛信(信玄の五男)が、武田の精鋭3千を率いて立てこもり、織田信忠の率いる5万の織田勢を迎え撃ちます。
織田勢からの降伏を勧めを拒否し、仁科盛信は徹底抗戦を決意。
3月2日、織田勢の総攻撃を受けた高遠城は、奮戦虚しく仁科盛信以下全滅してしまうのです。
これが武田家としての最後の大激戦と伝わっています。
こんな悲しい歴史のある高遠城址であり、私としては是非、訪れてみたいと思っていた訳ですが、実際訪れてみると、仁科盛信を偲ぶ物は何も残っていませんでした。
それもそのはず、この高遠城は江戸時代は高遠藩として存在し、城は修復されて明治まで使われていた訳ですからね。
今は桜の名所とのこと。
ちょっとガッカリしましたが、まぁ、行って良かったかな。
行かないと何も分かりませんから・・・。
女房も文句を言わず、一緒に歩いてくれましたよ。
さて、この古戦場巡りの中で、諏訪大社でこれを求めました。
御柱箸です。
7年に一度、御柱が建て替えられることは有名ですが、その7年間、大社を護った御神木で作られた箸なんです。
きっと大きなパワーが宿っているんだろうなぁ。
来年のお正月まで大事にとっておくことにします。
こんな感じで、有意義な一日でしたよ。
では!
それもそのはず、この高遠城は江戸時代は高遠藩として存在し、城は修復されて明治まで使われていた訳ですからね。
今は桜の名所とのこと。
ちょっとガッカリしましたが、まぁ、行って良かったかな。
行かないと何も分かりませんから・・・。
女房も文句を言わず、一緒に歩いてくれましたよ。
さて、この古戦場巡りの中で、諏訪大社でこれを求めました。
御柱箸です。
7年に一度、御柱が建て替えられることは有名ですが、その7年間、大社を護った御神木で作られた箸なんです。
きっと大きなパワーが宿っているんだろうなぁ。
来年のお正月まで大事にとっておくことにします。
こんな感じで、有意義な一日でしたよ。
では!
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高遠城址、サクラの時期に数回訪れましたがサクラの時期以外にも訪れたことがあります。
私も歴史が好きで武田信玄最期のの足跡を尋ね野田城から根羽の信玄塚、阿智の長岳寺まで行ったことがあります。
甲州方面では恵林寺~勝頼最期の地、天目山も・・・
武田家に限らず、自分なりに想像してその足跡を巡ることは楽しいものですね。
投稿: country walker | 2018年5月 6日 (日) 09時05分
諏訪大社は数年前訪れましたが荘厳な雰囲気で
引き締まった感じを覚えてます。
高遠も2度訪れてますが。桜の時期は綺麗だったけど
人の多さに圧倒され、
夏場の時期は何もないけどひっそりとした気持ち良い時間を過ごせました。
どちらも1度は訪れたい場所ですよね。
投稿: hiroro | 2018年5月 6日 (日) 11時12分
こんにちは。
奥様と歴史の旅、楽しまれて何よりでしたね。
お天気にも恵まれて・・。
私は歴史には本当に疎くてすみません。
諏訪下社には行ったことがございますよ。
お蕎麦も珍しいですね。
美味しく召し上がって良かったです。
明日からまたお仕事、頑張ってくださいませ。
奥さま、どうぞお大事に。
投稿: マコママ | 2018年5月 6日 (日) 12時43分
こんばんは♪
歴史探訪、いいですね
諏訪大社は、数年前にボクも訪れました。
でも、御柱箸は全く知りませんでした^^;
御柱の色も経年を感じさせるものだったので、
タイミングが合わなかった?のでしょうか。
次回は、是非とも買い求めたいと思います。
それにしても、織田一族はみな残虐なんですね…
武田家最後の激戦地もいずれ訪ねてみたいです。
投稿: bill | 2018年5月 6日 (日) 21時16分
こんばんは。
奥様との旅行、楽しまれて良かったですね。
私は歴史小説は好きなのですが、歴史めぐりはしてはいないので、
FUJIKAZEさんの歴史の旅、興味深く拝見しました。
高遠城址公園の桜は、昔見に行ったことがありますよ
満開の時で素晴らしかったです
投稿: ナルコユリ | 2018年5月 6日 (日) 22時03分
高遠蕎麦
おかずも多くて食べるのも楽しいですよね。
私もあちら方面に行くと食べる機会が多いです。
江戸初期に徳川家光の異母弟
高遠藩主保科正之が会津に転封した流れで
会津にも高遠蕎麦があった記憶があります。
投稿: wani | 2018年5月 7日 (月) 15時56分
country walkerさん、こんばんは!
そうでしたか、私もこれから少しずつ歩いてみようと思っています。
とりあえず、手始めがこの諏訪大社と高遠城址で、次は天目山と計画しています。
楽しいです。
投稿: FUJIKAZE | 2018年5月 7日 (月) 21時13分
hiroroさん、こんばんは!
そうですね。
諏訪大社の荘厳さには圧倒されました。
高遠城址も一度桜の季節に訪れてみたいものです。
ただ、私は人混みが嫌いなのと、織田、武田合わせて6千人もの人が亡くなった場所ですから、あまり楽しむ気分にはなれないかな。
まぁ、また訪れてみたい場所です。
投稿: FUJIKAZE | 2018年5月 7日 (月) 21時19分
マコママさん、こんばんは!
雨男の私が訪れたわりには、良い天気に恵まれました。
私はまだ下社には行ったことが無いので、次の課題です。
女房の病状は良くなったり悪くなったりですが、必ず良くなると信じて楽天的に考えています。
ありがとうございます。
投稿: FUJIKAZE | 2018年5月 7日 (月) 21時23分
bill さん、こんばんは!
御柱は7年で取り替えるので、取り替えた物を箸等に加工して販売するようです。
7年間大社を護った御柱ですから、御利益がありそうでしょう?
織田信長は人気がありますが、叡山を焼き討ちにしたり、諏訪大社を焼いたり・・・武田家の菩提寺である恵林寺も焼いているんですよねぇ・・・。
イマイチ好きになれません。
投稿: FUJIKAZE | 2018年5月 7日 (月) 21時27分
ナルコユリさん、こんばんは!
歴史小説を読むと、その場所に行ってみたくなり、ウズウズします。
子供の頃は、北九州に住んでいましたので、高遠城を訪れるなんてとても無理でしたが、今は近く?に住んでいる訳で、行く気持ちになれば行くことが出来ます。
やっぱり、行ってみないと分からないことが沢山ありますよ。
次は天目山を予定しています。
お楽しみに。
投稿: FUJIKAZE | 2018年5月 7日 (月) 21時35分
wani さん、こんばんは!
さすがwani さん、よくご存じですね。
高遠そば、私は初めて食べましたが、あれはあれで、なかなか美味い物ですね。
私的には、更科系が好みなんですが、黒い蕎麦も美味いです。
その名所で食べるから余計美味いのかな。
投稿: FUJIKAZE | 2018年5月 7日 (月) 21時40分
こんにちは
高遠城址には2度訪れたことがあり懐かしく拝見しました。
それも桜の頃ではなく夏でしたので人っ子一人なく静かで蝉が鳴いておりました。
歴史探訪、私の場合説明してくださる方がいると楽しいのですが
高遠蕎麦、ちょっと変わってるけれどとてもおいしそうです焼きみそが♪
私どもも食べてくればよかった!
御柱箸、パワーが込められたお土産ゲットですね
あの豪快なお祭り、ぜひ見たいものです
投稿: らるご | 2018年5月 9日 (水) 11時30分
らるごさん、こんばんは!
私の歴史探訪には、概ね女房がついてきていますが、彼女は日本史には全く興味がありません。
おそらく、源頼朝と織田信長は同時代の人と思っています。
だから、解説しても馬の耳に念仏なんですよ。
彼女がついてくるのは、歴史探訪の合間の、地方の珍しい食べ物やお土産が楽しみだからです。
まぁ、それでも良いのですがね。
投稿: FUJIKAZE | 2018年5月10日 (木) 21時31分