九州墓参旅行・二日目 その1
みなさん、こんにちは!
私は今日で夏休みは終わりで、夜には横浜へ戻ります。
私は今日で夏休みは終わりで、夜には横浜へ戻ります。
6日間も休むと、もう仕事へ行く気が起こりません。
あぁ、明日から仕事だ・・・。
さて、前回の続きです。
翌朝の北九州はどんよりと曇り空。
ホテルの窓から見ると、夜中に降ったのか路面が濡れています。
さて、せっかく来たのだから、午後の新幹線までどこかへ行こう。
と、ホテルを出て、とりあえずうどんを食べながら協議。
あぁ、明日から仕事だ・・・。
さて、前回の続きです。
翌朝の北九州はどんよりと曇り空。
ホテルの窓から見ると、夜中に降ったのか路面が濡れています。
さて、せっかく来たのだから、午後の新幹線までどこかへ行こう。
と、ホテルを出て、とりあえずうどんを食べながら協議。
朝は、かしわうどんをチョイス。
美味い!やっぱり、九州はかしわ(鶏肉のことです)だね。
で、関門海峡を渡って下関へ。
我々、北九州市内には、あらためて行きたいような観光施設はないからねぇ。
うどん屋から約45分で到着。
先ずは、関門トンネル人道の傍に「みもすそ川公園」というのが整備されて、そこに平知盛の像が建っているとか。
行ってみました。
人道の駐車場に車を駐めて・・・公園は国道を挟んで向かい側です。
美味い!やっぱり、九州はかしわ(鶏肉のことです)だね。
で、関門海峡を渡って下関へ。
我々、北九州市内には、あらためて行きたいような観光施設はないからねぇ。
うどん屋から約45分で到着。
先ずは、関門トンネル人道の傍に「みもすそ川公園」というのが整備されて、そこに平知盛の像が建っているとか。
行ってみました。
人道の駐車場に車を駐めて・・・公園は国道を挟んで向かい側です。
「壇の浦古戦場址」の碑がありました。
平成16年かぁ・・・知らないはずだ。
昔、この辺って何だったかなぁ・・・。
これだこれだ、この像だ。
傍には「安徳帝御入水之処」と記された碑もありました。
と、言うことは、あぁ、ここは早鞆の瀬戸か・・・思わず海峡を見てみると、当にこの時の潮は西流で、激流の様に流れていました。
う~ん、意図して訪れた訳ではありませんが、まるで「子午線の祀り」の舞台が整ったかの様で、何とも感慨深いものがありました。
感慨に浸っていると、海峡を周防灘から玄界灘へと渡る大きなコンテナ船が、まるでモーターボートの様な速力で走り抜けて行きます。
平成16年かぁ・・・知らないはずだ。
昔、この辺って何だったかなぁ・・・。
これだこれだ、この像だ。
傍には「安徳帝御入水之処」と記された碑もありました。
と、言うことは、あぁ、ここは早鞆の瀬戸か・・・思わず海峡を見てみると、当にこの時の潮は西流で、激流の様に流れていました。
う~ん、意図して訪れた訳ではありませんが、まるで「子午線の祀り」の舞台が整ったかの様で、何とも感慨深いものがありました。
感慨に浸っていると、海峡を周防灘から玄界灘へと渡る大きなコンテナ船が、まるでモーターボートの様な速力で走り抜けて行きます。
早鞆の瀬戸の潮流は、最高に速い時で10ノットくらいあるので、大きな船でもまるで高速船の様になるのですよ。
こんな海の難所を舞台に、壇之浦の合戦が戦われたのです。
さて、像は・・・
平知盛の像は、何だ?歌舞伎の碇知盛を再現した様です。
こんな海の難所を舞台に、壇之浦の合戦が戦われたのです。
さて、像は・・・
平知盛の像は、何だ?歌舞伎の碇知盛を再現した様です。
う~ん・・・知盛は平家の大将。
最後は「見るべきほどの事をば見つ。今はただ自害せん。」と言って、重しとして鎧を2領着込み、入水したはずなんですが・・・。
さて、義経は?
これは有名な八艘飛びですね。
この壇之浦の合戦で、卑怯にも非戦闘員である水夫(「かこ」と読みます)を射らせることにより、勝利を引き寄せた義経。
こんな卑怯な奴は許さんとばかりに平家の猛将平教経が追い詰めますが、身軽な義経はひらりひらりと船を飛び渡りながら逃げて行ったという場面。
何だかこの2体の像を見ていると、義経の八艘飛びを描くならば、義経の対は知盛ではなく教経の方が相応しい様な気がしました。
おまけに、肝心の知盛は歌舞伎の碇知盛だものなぁ・・・この2体の像、所謂、判官贔屓の人が作成したのでしょうねぇ。
少し、ガッカリです。
さて、この公園、この像の横には、馬関戦争当時の「壇之浦砲台」が再現されていました。
最後は「見るべきほどの事をば見つ。今はただ自害せん。」と言って、重しとして鎧を2領着込み、入水したはずなんですが・・・。
さて、義経は?
これは有名な八艘飛びですね。
この壇之浦の合戦で、卑怯にも非戦闘員である水夫(「かこ」と読みます)を射らせることにより、勝利を引き寄せた義経。
こんな卑怯な奴は許さんとばかりに平家の猛将平教経が追い詰めますが、身軽な義経はひらりひらりと船を飛び渡りながら逃げて行ったという場面。
何だかこの2体の像を見ていると、義経の八艘飛びを描くならば、義経の対は知盛ではなく教経の方が相応しい様な気がしました。
おまけに、肝心の知盛は歌舞伎の碇知盛だものなぁ・・・この2体の像、所謂、判官贔屓の人が作成したのでしょうねぇ。
少し、ガッカリです。
さて、この公園、この像の横には、馬関戦争当時の「壇之浦砲台」が再現されていました。
幕末に長州藩が攘夷を決行して、フランス、イギリス、オランダ、アメリカと戦った際、四国艦隊を砲撃した砲台ですね。
これは実物大の模型ですが、本物は青銅製で丸い砲弾を撃ち出す物だったとか。
結局、四国艦隊の近代的で圧倒的な火力には殆ど無力で、長州藩はあっけなく敗北。
これで目覚めた長州藩は、攘夷を放棄して近代化を決意。
これは実物大の模型ですが、本物は青銅製で丸い砲弾を撃ち出す物だったとか。
結局、四国艦隊の近代的で圧倒的な火力には殆ど無力で、長州藩はあっけなく敗北。
これで目覚めた長州藩は、攘夷を放棄して近代化を決意。
薩摩藩と薩長同盟を締結して討幕へと向かうのです。
ここがその舞台なんですねぇ・・・。
好き勝手な持論を書いていると、随分と長くなりましたので、続きはまた後日ということで。
ここがその舞台なんですねぇ・・・。
好き勝手な持論を書いていると、随分と長くなりましたので、続きはまた後日ということで。
(二回に分ける程の内容ではないのですが・・・)
あぁ、私の家族はね。
親父は全く興味が無いとのことで車から降りず、女房は付き合いましたが、つまらなそうだったので、像の前で記念写真だけ撮ってやりました。
では!
では!
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この公園すごいね!
もっともFUJIKAZEさんの解説が面白い!
今「西郷どん」で薩長同盟の話になっているじゃんね!
歴史に弱い私は時々居眠りをしながら見ていますがなんとなく「そうなんだ」と思います。
コンテナ船の速度がモーターボートのよう? 潮の流れが早いからなんだと知った。
壇之浦の合戦って語られているような事ったあったのかな?
オリンピックに出たら間違いなく金メダルだね(笑)
ごめん!歴史をおちょくってしまった。
投稿: せせらぎ | 2018年9月18日 (火) 21時42分
せせらぎさん、こんばんは!
義経の八艘飛びですね。
あれは嘘だと思いますよ。
重たい甲冑を着て船を八艘、飛び越えるなんてね。
歴史は勝者が作るもの。
八艘飛びも鵯越も、源氏が大げさに書いているだけですよ。
私はそう思います。
投稿: FUJIKAZE | 2018年9月21日 (金) 19時08分
おおおっ 懐かしか
おら先月行った旅行で バスの中からこの砲台みただ
信号待ちしていたとき 慌ただしく添乗員が説明
していたけんど ここ読んだ方がわかりやすいだ
投稿: あさひ | 2018年9月23日 (日) 19時20分
あさひさん、こんにちは!
ツアーも色々と連れて行ってもらって良いけれども、事前に下調べして目的地をじっくりみるのも良いですよ。
九州方面には、赤間神宮や太宰府天満宮、柳川・・・等々良い所が沢山あるので、是非、またいらしてください。
投稿: FUJIKAZE | 2018年9月24日 (月) 13時04分