史跡探訪(丸子城址)
みなさん、こんばんは!
今朝の横浜は不思議と暖かい朝でした。
ダウンを着て歩くと汗ばむほど・・・。
このまま春かな。
そんな訳無いか。
横浜は毎年雪が積もるからね。
さて、関東に居る間に、色々と史跡を回ってみようと思っています。
と、言っても、戦国期の史跡が中心ですがね。
私は上杉謙信公のファンなんですが、後北条氏もけっこう好き。
静岡や神奈川には、けっこう後北条氏所縁の場所があるのです。
これまでも、蒲原城址や長浜城址を訪れましたが、今回は丸子(まりこ)城址です。
後北条氏の所縁?
う~ん・・・伊勢新九郎(盛時)、後世、北条早雲と呼ばれる人が、今川家督争いに介入した際、幼い今川家嫡流の竜王丸(後の今川氏親、今川義元の父)を匿ったのがこの丸子城なんですよ。
一度訪れてみたいと思ってました。
我が家からは車で20分位。
女房も連れて行きましたが、山城ですから女房が歩くのは無理。
女房を麓の「匠の里」に置いて、1人で登りました。
城の見取り図に写真を撮った場所①~⑨を付けてみましたが・・・
まぁ、イマイチ分かりづらいかな。
先ずは、大手口の三日月堀があったであろう所。
この辺りだと思うんだけどなぁ・・・。
三日月堀は武田流築城術の極意。
そう、この城は駿府城を護るための今川氏の城だった訳ですが、今川義元死後の駿河国は武田信玄に侵略され、信玄の手によって改造、拡張されているのです。
だから、竜王丸が匿われていた当時の面影は殆ど無い訳ですが・・・
さて、大手口から急な山道を登って行きます。
5分程登って、辿り付いたのは外曲輪です。
兵を駐屯させていた所と説明がありました。
この先にある北の曲輪を目指して歩きます。
周りは杉の人工林で、歩いていてもあまり爽快な気分にはなれません。
途中、土橋や堀切はけっこう良い状態で保存されていて、当に戦国期の山城って感じです。
北の曲輪には5分位で到着。
ここが伊勢新九郎の時代、本曲輪であった場所です。
早雲もここに立ったのかな。
北の曲輪から先は、武田信玄が拡張した場所。
幾つかの堀切を渡って・・・
武田時代の本曲輪に到着です。
やっぱり、曲輪の中では一番広いですね。
ここからは東海道が一望・・・のはずでしたが・・・
木が邪魔になって見渡すことは出来ませんでした。
静岡市には、邪魔な木々は取っ払って、きちんと史跡として整備して欲しいものです。
武田氏滅亡の後、駿河国に侵略してきたのは徳川家康です。
家康も東海道の押さえとして丸子城の重要性を認識し、家臣を置いていたのですが、ほどなく後北条氏が滅亡し、家康は関東へ国替えとなって、以来、丸子城は廃城となったとのことです。
なるほどねぇ・・・。
ゆっくり回りたかったのですが、下で女房が待っていることを思うとここで断念。
下山しました。
都合40分位で見て回ったことになります。
下山して女房と合流し、丸子名物のとろろ汁を食べて帰りましたよ。
お味は・・・まずまずでした。
小さな山城でしたが、伊勢新九郎を少し感じることが出来た様な気がします。
これからも、突然思い立って、史跡探訪に行きたいと思います。
では!
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丸子城址、かつて自分も訪れました。
ウォーキングの一環として登った記憶があります。
そのときはこの史跡を守る会の人たちの手作りのパンフレットを貰い、その人たちの説明を聞きながら歩きました。
そして帰りには「丁子屋」へ。
どなたも同じようなコースをたどるものですね。
投稿: country walker | 2019年2月 5日 (火) 10時17分
country walkerさん、こんばんは!
そうですね。
丸子と言えばとろろ汁ですから。
高いばかりでそんなに美味い食べ物ではないのですが・・・。
丸子城址も、杉を取り払えばそこそこ面白い城址なんですが、残念ですね。
静岡は、今川の遺跡は蔑ろにされているような気がします。
投稿: FUJIKAZE | 2019年2月 5日 (火) 22時14分
史跡探訪、面白そうですね。歴史の勉強にもなりますし。
そうですかぁ、静岡と横浜を行ったり来たりのFUJIKAZEさんですが、更に他へ異動する可能性もあるんですね?
こりゃあ行きたい所は、行けるうちに押さえておかないとですね。
私はこの頃、休みの度に雨で、嬉しいんだか嬉しくないんだか微妙です。
投稿: ハル | 2019年2月 6日 (水) 13時53分
「箱根の坂」
新聞連載で読んでいました。
昔の事で記憶はほぼ無し。
先日
「早雲の軍配者」という
風魔小太郎の若き日の話を読み終えて
そういえば早雲の話、新聞の連載で読んでいたと・・・
読み返したいなぁと思っていました。
「箱根の坂」だったのですね。
さっそく注文します!
投稿: wani | 2019年2月 6日 (水) 17時19分
こんばんは♪
ここのところ、何でもないような里山が
実はかつての城址だったり、防塁だったりと
何気に深い歴史が隠れていることが少なくないことに
後になって知らされています^^;
(勉強不足と言われればそれまでですが…)
そういった時代背景に思いを馳せながら歩くと、
楽しみの幅もグッと広がりますね
投稿: bill | 2019年2月 6日 (水) 22時06分
ハルさん、こんばんは!
まぁ、何処へ飛ばされても文句は言えない身分です。
そうそう理不尽な異動はないと思いますが・・・。
願わくば、あと1年は羽田にいたいところですが・・・どうかな。
毎年、この季節はドキドキですよ。
投稿: FUJIKAZE | 2019年2月 7日 (木) 21時44分
waniさん、こんばんは!
「箱根の坂」を新聞連載で読んでいたのですか。
昭和57年からの読売新聞ですね。
他の作家の描く早雲像を読みましたが、私的にはやっぱり司馬遼太郎氏の早雲がそれっぽいような気がします。
風魔小太郎も作家によって様々ですね。
軍師であったり、忍者の頭目であったり、美少年であったり・・・。
後北条氏、研究してみると面白いですよ。
投稿: FUJIKAZE | 2019年2月 7日 (木) 21時54分
billさん、こんばんは!
そうですね。
福島県の方だと、伊達政宗がからむ山城が多いのでは?
それから、明治維新の頃の史跡も多そうですね。
それらの史跡が登場する歴史小説なんて読みながら現地を訪れてみると楽しいですよ。
投稿: FUJIKAZE | 2019年2月 7日 (木) 22時00分