安倍城址に登ってきました。
みなさん、おはようございます!
いや、もうこんにちはかな?
私、明日が仕事なので、今日は横浜の出城で過ごしています。
10時間以上寝ていたかな。
久々にグッスリ寝て、疲れも取れました。
さて、ご飯の前に更新です。
11日の日曜日、ハッピーのパパさんと、静岡市の郊外、安倍川の西岸にある山城、安倍城址に登ってきました。
登って?はい、これがけっこうな山の上で、標高435mです。
当にトレッキングでした。
(詳細は、ハッピーパパの季節巡りをどうぞ。)
当日は曇り。
昼過ぎにパパさん家に迎えに行き、出発。
登頂口のあるお寺、洞慶院へ。
ここは梅の名所とのことで、市街から近いことから梅の季節には多くの人で賑わうとのこと。
当日はまだ梅も三分から六分咲きだったにも関わらず、駐車場は愛車を入れて満車といった盛況でした。
しばらく梅林を散策して登頂口へ。
私が事前に参考資料で調べたところ、本曲輪まで1時間30分かかると出ていました。
しかしパパさんは、そんなにはかからないと言う・・・。
どんなものかな・・・。
多少の疑念を抱きつつも、12時50分、登頂開始です。
前方につづら折りの登山道が整備されているのが見えたのですが・・・なんと、パパさんはつづら折りの道を縦貫する直登コースへ。
なるほど・・・私も慌ててパパさんに続きました。
この山は完全な杉の人工林・・・
登れども登れども同じ景色ばかりで楽しくありません。
おまけに、直登ですから・・・。
たまに植林の時に切られなかった楠の大木等が出てきて、ホットします。
この城址は、南北朝時代のもの。
建武新政権の頃、南朝方の狩野介貞長(貞永、かのうのすけ さだなが)というこの辺りを支配していた国人(土地の豪族)が築いたものと伝わります。
そうして、室町幕府に新たに遠江・駿河守護職に任命されてこの地に赴任した今川範国(いまがわ のりくに)と対立するのです。
まぁ、狩野介貞長にしてみれば、これまで自分が支配してきた土地なのに、いきなり今日から私が支配者ですって来られても、とても受け入れられるものではありませんからね。
そんな古い城址であるうえに杉の植林で、どこに堀切があり、どこが曲輪なのか・・・素人の私にはさっぱり判りません。
少し開けた場所に出たなって思ったらここが曲輪址か・・・この程度です。
城郭の全体像もつかめません。
ただ、幾つかのピーク(曲輪址かな?)を登り下りして・・・
これがけっこうキツい・・・
ようやく頂上、本曲輪址へ到着。
時刻は14時でしたから、1時間10分で登ったことになります。
頂上には石碑が建っていました。
そうしてここからは、静岡市街が一望出来ます。
安倍川を挟んで正面が、今川範国の居城であった賤機山(しずはたやま)城址、その右側が狩野氏を降伏させた後、拠点を移した駿府城址になります。
その奥には、先日訪れた日本平が見え、更に奥には駿河湾を挟んで私のダイビングのホームグランドである大瀬崎も見えていました。
あぁ、自宅も・・・(たぶんね。)
安倍城は、敵方である今川氏の賤機山城を見下ろす絶好の位置にあったのですねぇ・・・。
幾度かの合戦を経て狩野氏は敗れ、今川氏に降伏、駿河における今川氏は守護職としての地位を確立し、戦国時代の今川義元、氏真へと続くのです。
あぁ、今川氏が拠点を駿府城に移した後、この安倍城は廃城となっています。
後の世の支配者である武田信玄も徳川家康も使用した形跡が確認出来ないので、この山城はあまりにも不便だったのかなぁ・・・登るの大変だし・・・。
これで終了、下山して梅林を散策しました。
梅林には河津桜が八分咲きで、とても見事でしたよ。
さて、文中に出てきた賤機山ですが、この賤機(しずはた)が静岡県の県名の由来だって、ご存じですか?
明治維新によって廃藩置県が進められた時、ここ駿府の県名(最初は藩名)をどうするかということになりました。
駿府は、江戸時代後期には幕府直轄領だった訳で、つまりは朝敵側。
明治維新で幕府側だった地は、概ね改名させられています。
駿府もその例に漏れず、改名することになり、当初は賤機山から取って賤機県になるところでした。
この時、向山黄村(むこうやま こうそん)という学者さんが、
明治維新が成り、世の中に静謐がもたらされたのだから、「賤」ではなく
て 「静」、賤機山ではなくて「岡」、静岡にしましょう。
と提唱し、静岡県になったのだそうです。
だから、静岡という地名は明治以降に決まった新しい名称なのですよ。
なぜ、新しい地名を賤機山から取ったのか・・・これまで私には疑問でしたが、安倍城址に立ってみて何となく想像できました。
きっと、当時は徳川色を徹底的に排除したかったのでしょうね。
賤機山は今川氏の城ですから・・・。
まぁ、それでも現在の大半の静岡市民は、今川氏のことは忘れ(隠し?)、駿府城は徳川家康公のお城、家康も静岡の人って言わんばかりですがねぇ・・・。
はぁ、明日も仕事だ・・・。
頑張ろうっと。
では!
« 日本平夢テラスへ行ってみました | トップページ | 富士山とだるま市 »
「日記・コラム・つぶやき」カテゴリの記事
- 久しぶりの・・・(後半)(2025.01.17)
- 久しぶりの・・・(2025.01.11)
- 山形へ(米沢編)(2025.01.03)
- 山形へ(山寺の後編)(2024.12.27)
- 山形へ(山寺の前編)(2024.12.14)
山の城跡は見晴らしがいいですね。
なるほど敵の動向も見渡せますね。
こちらにも梅園を通る城跡への道があります。
梅の時期にはまだひと月はありそうですが
咲いたころ登ってみようと思っています。
投稿: wani | 2019年2月16日 (土) 15時41分
waniさん、こんばんは!
山城も、南北朝まで遡ると、ただそこに存在した程度の状況になってしまうようです。
堀切も判らなければ、もちろん虎口も判らない。
曲輪の跡がかろうじて判る程度です。
足利は、かつて山内上杉家と後北条氏が死闘を繰り広げた場所。
山城址も多いと思います。
本曲輪址に立って、悠久の歴史に思いを馳せる・・・。
面白いですよ。
投稿: FUJIKAZE | 2019年2月16日 (土) 21時03分
こんばんは♪
これはこれは大変勉強になりました!
(歴史に触れる時は、やはりこの位掘り下げないとですね^^;)
う~む、素晴らしいです
徳川家にまつわる言い伝えは(いつも思うのですが)
どこまでが本当か怪しげではありますが、
周りの歴史背景を辿ると、何となく点が繋がってきますね。
投稿: bill | 2019年2月16日 (土) 21時47分
ご苦労様でした つまらない植林帯の中の急登でしたが 少しでも昔の人の思いを共有できたと思います 県内にはまだまだありますよ 又ご一緒しましょう。
投稿: ハッピーのパパ | 2019年2月17日 (日) 07時43分
こんにちは。
もう、梅が咲いているんですね。
まだまだ寒さが厳しい当方、
羨ましいです。
それにしても、
静岡県が賤機県だったかもしれないとの
事、世の中に静謐になったのかはともかく、
(しずはた)とは読みにくいし、字画も多いし、
静岡、確かに静かな景色が浮かび、イメージも良い感じですね。
投稿: monna | 2019年2月17日 (日) 09時22分
天守閣がある城と違って、山城は地形のみなので、なるほどこの地形は・・・などと思いを馳せ易いのかと思います。
天守閣の城は広大な敷地や、お堀、様々な仕掛けがあって、それはそれで面白いのですが、なぜこの場所に?と言う必然性が無かったりするので、どの城も差が無いと言えば無い気がします。(スケールの差はありますが)
私も近所の山城に知らずにたまたま登った事がありますが、あまりの何も無さにビックリしました。えっ?ここが本陣?どこからでも攻められちゃうじゃん?って。
せめて高さは無くとも、鎌倉の切り通しのような、守るには都合が良い工夫なんかあれば楽しいんですけどね。
梅の季節、次は幕山ですか?
投稿: ハル | 2019年2月17日 (日) 10時01分
こんにちは。
近場でこのような城跡があるのですね?
梅に河津桜もご覧になられて良かったです!
それに静岡の由来も分かりましたよ。
歴史には本当に弱い┐(´д`)┌ヤレヤレ
投稿: マコママ | 2019年2月17日 (日) 14時14分
billさん、こんばんは!
家康は,徳川家は清和源氏の子孫だと吹聴していますが、それは実に怪しい話です。
どこからか三河に流れて来た坊さんが祖先だとか。
吉良、一色、今川という由緒正しき足利家所縁の三家を高家として扱ったのも、本当は徳川家が清和源氏では無いという家柄コンプレックスがあったからでしょう。
まぁ、最終的に天下を取ったので、幾らでも歴史を書き換えることが出来たのでしょうね。
きっとそんなところです。
投稿: FUJIKAZE | 2019年2月20日 (水) 22時51分
ハッピーのパパさん、こんばんは!
まぁ、杉林なのは仕方ありませんね。
史跡よりも食べる方が大事で、植林した訳でしょうから。
県内西部、東部の城址も回ってみたいものです。
是非、ご一緒しましょう。
投稿: FUJIKAZE | 2019年2月20日 (水) 22時54分
monnaさん、こんばんは!
静岡(静岡市)は暖かい所ですから。
けっきょく、この冬は初雪がありませんでしたよ。
静岡のネーミングは上手くいった方ですね。
失敗すると大ブーイングですから。
最近では、高輪ゲートウエイとかね。
雪に飽きたら、静岡へ富士山を見に来て下さい。
投稿: FUJIKAZE | 2019年2月20日 (水) 23時00分
ハルさん、こんばんは!
天守のあるような城と違って、山城は戦闘専用ですから面白いですよ。
曲輪や堀切、虎口の配置を見ながら、自分だったらどう攻めようかって考えるのが実に面白い。
まぁ、古い城であれば、それらの跡だけしか残っていないような所も多くて、想像するのも難しいことが多いのですが・・・。
幕山と城山に登ってきました。
そのうち貼りますので見て下さいね。
投稿: FUJIKAZE | 2019年2月20日 (水) 23時07分
マコママさん、こんばんは!
はい、この城址は、登城口が梅の名所で、その点はラッキーでした。
静岡は歴史の舞台としても登場する場所なので、様々な史跡があります。
これからも色々と巡る予定ですが・・・。
まぁ、・・・サラッと見て下さい。
投稿: FUJIKAZE | 2019年2月20日 (水) 23時11分