史跡探訪(宇喜多秀家終焉の地へ)
みなさん、こんばんは!
三寒四温、暖かくなってきましたねぇ・・・。
晴れの日が数日続いて雨、また晴れて雨・・・春はもうすぐそこですねぇ。
先日、出張で、八丈島に一泊する機会がありました。
普段は少し立ち寄るだけの島なのですが、この時は翌日の仕事の関係でどうしても泊まらざるを得なかった次第。
八丈島?はい、東京の南方約290kmに浮かぶ島。
これが八丈島です。
(下の写真の左側が本島、右が八丈小島ですよ。)
ここも一応東京都。
キャッチフレーズは「東京から一番近い南国」です。
雨男の私が行くにしては、当日は天気も好く、絶好の行楽日和?でした。
こんな日が仕事じゃなければ最高なんでしょうがね。
仕事を終えて、八丈島空港に着陸したのは16時頃・・・
タクシーに乗ってホテルにチェックインしたのは17時少し前でした。
写真が、泊まったホテル。
八丈富士の東側に建つこのホテルは市街地からは遠く離れていて、周辺にはコンビニどころか人家すらありません。
素泊まりで安かったものなぁ・・・。
でも、部屋もお風呂も広くて綺麗で良かったですよ。
部屋は1人でツインルームを独占。
大浴場は露天風呂付きで広くて快適。
ということで、ノンビリ露天風呂にでも浸かろうかと思ったのですが・・・17時、まだ明るいなぁ。
スマホで日没を調べると、当日は17時43分とのこと。
40分くらいで何処か観光できないかなぁ・・・フロントにあった観光ガイドブックを見てみると・・・あっ、宇喜多秀家のお墓がある!
ならば、行かねば!
急いでタクシーを呼び、出かけましたよ。
運転手さんに事情を説明すると、「それならばお墓から巡りましょう」と出発。
図らずも史跡探訪を行うことになりました。
お墓は市街地にありましたが、自分でレンタカーなんかで行こうと思ってもなかなか見つけられないだろうなぁって場所でした。
宇喜多秀家をあまりご存じのない方に簡単にご説明しますと・・・
備前の戦国武将、梟雄宇喜多直家の嫡男です。
豊臣秀吉に可愛がられてその猶子となり、備前岡山城主で57万4千石の太守になりました。
前田利家の娘豪姫を秀吉の養女とし正室として迎えることで豊臣一門となり、若くして五大老の1人に任ぜられます。
しかし、秀吉死後の関ヶ原の戦いにおいて西軍方につき、徳川家康に改易されてしまうのです。
家康は秀家を殺そうとしますが、妻豪姫の実家である前田家からの助命嘆願により、死一等を減じられ、八丈島へ島流しとなってしまった訳です。
八丈島へ流された時の秀家は33歳、その後、約50年間に渡りこの島で暮らし、83歳で生涯を終えました。
これがそのお墓です。
中央の大きな五輪塔が現在のお墓で、江戸時代に子孫の方が造ったもの。
五輪塔に向かって左側にあるのが埋葬当時の墓石だそうです。
う~ん・・・合掌。
57万石の大大名だったのに、寂しかったろうなぁ・・・。
因みに、豪姫は八丈島への同行は許されず、前田家に帰されているのです。
感傷にに浸る暇はありません。
次は住居跡へ向かいます。
お墓から車で3分くらいだったかな。
連れて行かれたのは民家の駐車場?
正面に、「岡山城の石」のモニュメントがあります。
あぁ、ここか・・・写真を撮っていると運転手さんが近づいてきて、
曰く「そこじゃあないよ、この奥ですよ」
「奥?」
「はい、家の前を通って行って下さい」
「・・・(大丈夫かな?この家の庭じゃあないの?)」
恐る恐る行ってみると・・・ありました。
なるほど、ここだったのね。
秀家はここに住んでいたのかぁ・・・。
どんな家だったのだろう・・・色々想像を巡らしていると、太陽は水平線に隠れようとしていることに気付きました。
イカン!日が暮れる!
急いでタクシーへ戻り、最後の目的地である「宇喜多秀家公と豪姫の碑」へ向かって出発しました。
この碑が一番遠くて八丈富士の西側の海岸です。
ちょうど私が泊まるホテルの反対側になります。
走ること約10分、何とかお日様があるうちに到着できました。
はい、これが八丈富士を背に豪姫の像と並んで座った宇喜多秀家の像です。
二人で縁側にでも座り、ゆったりと西の海を眺めている様な姿。
まるでお雛様の様ですね。
ふたりは仲睦まじい夫婦であったと伝わっています。
ふたりの子供は2男1女とのことですが、八丈島への流刑の際、同行を許されたのは二人の男子だけだったとか。
豪姫は前田家へ帰され、約30年後に金沢で亡くなります。
秀家はその21年後に、ここ八丈島で亡くなるのです。
宇喜多一族が赦免されるのは明治新政府になってからのこと。
何とも、徳川幕府って執念深いですねぇ・・・。
この像は、平成9年に建てられたそうで、岡山城築城400年を記念してのことだそうです。
この場所は、秀家がよく釣りをしていた所だそうな。
秀家は釣り好きだったのかなぁ・・・。
感慨にふけっていると、ちょうど日没の時間に。
八丈小島の彼方、夕日は静かに沈んでゆきました。
すると・・・あぁ・・・
ちょっと、感動的だったな。
ふたりが私に挨拶してくれたようでね。
これでお終い。
タクシーへ戻り、ホテルへ帰りました。
先ずは大浴場へ。
露天風呂に長々と浸かって良い気分。
部屋へ戻り、途中で買ってきた島寿司を食べましたよ。
島寿司とは、八丈島近海で獲れた魚をヅケにして、甘めのシャリにワサビではなくてカラシが入っています。
トビウオやムロアジが一般的ですが、この日、私はキンメをチョイス。
少しお値段は張りますが、私は生青魚アレルギーがありますので、翌日の仕事を控えて大事を取った次第。
しかしこれは正解だったかも。
うん、美味かったぁ!!!
翌日は8時にホテルを出発して空港へ。
港内の土産物屋さんで、急いで土産を購入。
「八丈島の名物は?」
「はい、一番有名なのはクサヤですよ」
「・・・」
店員さんが、一番臭くないヤツだって言うのを買ってみました。
次、清水へ帰ったら晩酌の肴にしてみます。
本当に臭くないのかなぁ・・・。
八丈島・・・次は休みを取ってゆっくりと訪れてみようと思います。
ネイチャー的な見どころも満載の島の様ですから。
駆け足での史跡探訪でしたが、思いがけず宇喜多秀家終焉の地を巡ることが出来てラッキーな出張でした。
では!
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タクシーで行って正解でしたね。ギリギリ日没セーフ。
八丈島って飛行機だと相当近かったように思いますが、江戸時代は「島流し」って言うくらいですから、遥か彼方の別世界だったんでしょうかねえ。
それまでの暮らしとは真逆の不自由さ。
家族とは離れ離れ。
片道通行のそれこそ地獄行き。
そんな生活を50年も強いられるなんて、何とも残酷な刑ですね。
投稿: ハル | 2019年3月12日 (火) 09時35分
こんばんは。
歴史大好きなFUJIKAZEさまにはもってこいの
八丈島でしたね?
よく飛行機に乗っていらっしゃいますが、
ひょっとしてパイロットかしら?と思っておりますよ。
虹に送られてお帰りになり、さぁ、くさやは?
私は苦手ですが、きっと美味しく召し上がられたでしょうね?
歴史に疎い私でも宇喜多秀家の名前は存じておりますよ。
島流しとは存ぜず・・・。
投稿: マコママ | 2019年3月12日 (火) 22時24分
こんばんは♪
先日、某TVで取り上げられていたので、
一層マジマジと拝見させて頂きました。
行ってみたいですね~
宇喜多秀家のことは恥ずかしながら知りませんでした…
功績は元より、当時にしてはかなりのご長寿だったかと。
この地の環境がそうさせるのでしょうか
島寿司も美味しそうですね。
投稿: bill | 2019年3月12日 (火) 23時02分
もう40年も前
竹芝から東海汽船に乗って八丈島へ
当時の船はすっごく揺れて・・・もう乗りたくないと
帰りの船はキャンセルして飛行機で帰ってきた想い出w
そこはその時泊まったホテルかも?
たしか温泉とプールがあったような記憶があります。
どこかで食ったクサヤは臭かったけど旨かったですよw
宇喜多秀家と豪姫の話はその頃は興味なく
何年か前
中村彰彦の本で知りました。
投稿: wani | 2019年3月13日 (水) 17時14分
先日、親戚が集まった時に、
八丈島の話になって、行ってみたいね・・
と話をしていました。
八丈富士が気になります(^^;)
出張は大変ですが、こんな出張良いですね~。
島寿司よだれが出そうです
くさやって、臭い+魚
どんなでしたでしょうか??
投稿: aoi | 2019年3月14日 (木) 17時49分
宇喜多秀家、知っていますよ。
歴史好きな自分としては大谷 吉継とともに一途に主義を全うした武将として好感度の高い大名です。
ミーハー的、判官贔屓と言われるかもしれませんが。
クサヤ。かつて一度だけその機会に恵まれましたが
もう結構・・・でした(笑)
投稿: country walker | 2019年3月14日 (木) 21時53分
ハルさん、こんばんは!
そうですねぇ・・・。
宇喜多秀家は、公式の八丈島流人第一号だそうです。
前田家からの援助はあったようですが、島での生活は苦しかったようです。
それでも50年間島から去ろうとしなかったのは、そこそこ島の生活に慣れ気に入ったからではないでしょうか。
大阪の陣の時は、大阪方から誘いもあったでしょうから、去る機会はあったのかもしれません。
辛かったのは愛妻豪姫との別れくらいだったのかな。
まぁ、それでも50年間島は永いですねぇ・・・。
投稿: FUJIKAZE | 2019年3月15日 (金) 22時18分
マコママさん、こんばんは!
クサヤはまだ食べていません。
晩酌の機会がなくて・・・。
でも、臭いはともかく、味は最高だと皆言ってますよ。
残念ながら、私はパイロットではありません。
パイロットになりたかったですねぇ・・・。
まぁ、元々は船乗りなんですが、今は飛行機に乗る仕事ではありますよ。
船も飛行機も同じです。
多分ね。
投稿: FUJIKAZE | 2019年3月15日 (金) 22時22分
billさん、こんばんは!
その番組、たぶん私も八丈島のホテルで最後の方だけ見ました。
偶然、テレビをつけるとダイビングのシーンが映ってウミガメが出てきて・・・。
八丈島でした。
気候は夏は涼しく、冬は寒いそうです。
でも風が強いだけで、雪は殆ど降らないとか。
温暖な気候ですよ。
長生き出来そうです。
島寿司は本当に美味いです。
カラシも合うなぁって思いますよ。
小笠原でも同じ様な寿司を食べましたが、八丈島の方が断然美味かったです。
投稿: FUJIKAZE | 2019年3月15日 (金) 22時27分
aoiさん、こんばんは!
八丈島は、ネイチャー的な面白さがあるようで、そちら系がお好きならばお薦めです。
島寿司は美味しいですよ。
これもお薦め。
ただ、タクシー代は沖縄のつもりで乗ると高いです。
東京都ですからね。
クサヤは、焼く前の物を買って自分で焼くのが本当は一番美味し言いそうですが、臭いは凄まじいです。
これを団地で焼くとテロ行為です。
素人は焼いた物の瓶詰めが良いそうですよ。
投稿: FUJIKAZE | 2019年3月15日 (金) 22時32分
wani さん、こんばんは!
船酔いですか。
なるほど、船は逃れる術がありませんからね。
私も船に乗っていたから分かりますが、竹芝桟橋から八丈島くらいが一番辛いです。
まぁ、3日揺られれば躰が慣れるのですがね。
ホテルはプールもあったようですから、wani さんが泊まったホテルなのかな。
すると築40年?
そんなに古い印象はありませんでしたが・・・。
クサヤは、臭いさえ無ければ最高なんですがねぇ・・・。
今回買った瓶詰めのクサヤ、美味いのかなぁ・・・。
まだ食べていません。
瓶を開けるのが怖いような・・・。
投稿: FUJIKAZE | 2019年3月15日 (金) 22時42分
country walker さん、こんばんは!
大谷吉継ですか。
渋いですねぇ・・・。
私も大好きな武将です。
リタイヤしたら、彼の終焉の地や墓等を訪ねてみたいなって思っています。
クサヤはもう結構ですか。
臭いは最低ですが、味は最高と言われていますが・・・。
投稿: FUJIKAZE | 2019年3月15日 (金) 22時49分