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2019年6月 5日 (水)

みちのくひとり旅?(二日目の前半)

みなさん、こんにちは!
八戸旅行の二日目です。

朝、8時半に彼がホテルに迎えに来てくれて彼の車で出発、先ずは「八戸城址」へ。
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ここは、かつて八戸藩の城があったところ。
ここで、彼から青森県を二分する南部と津軽の確執について詳しく説明されました。
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それによると、
・ 元々、青森県と岩手県は南部氏の領土であり、津軽は南部氏の家来筋だったが、戦国時代、津軽は、津軽地方を治めていた南部氏の一族を滅ぼして独立した。
・ 奪われた津軽地方は肥沃な土地であるが、八戸をはじめ南部に残された太平洋側の土地は、夏は「ヤマセ(偏西風で冷害をもたらす)」が吹く痩せた土地であったことから、以来、南部と津軽の間には諍いが絶えなかった。
・ 戊辰戦争では南部も津軽も奥羽越列藩同盟に属し、共に幕府側だったのに、津軽は真っ先に裏切って新政府側に付いた。
・ その後、南部も新政府に下るが、維新後の廃藩置県の結果、南部は弘前県として津軽に統合されてしまい、県庁が津軽側の青森に置かれてしまった。
等々・・・。
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津軽側の青森市が県庁所在地であることから、八戸市民は南部の意地で、八戸市役所のことを「八戸市庁」と呼んでいるのだそうです。
南部と津軽は同じ青森県であっても、風習も方言もまるで違うのだそうです。
そうだったの・・・なるほど・・・深いですねぇ・・・。
ちなみに、南部氏の本家は青森から岩手に移り、分家が八戸藩2万石として明治維新まで続いています。
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城址には、初代八戸藩主である南部直房の像がありました。
さて、次に訪れたのは、南部一宮「櫛引八幡宮」です。
ここは今回の旅行で私が一番訪れたかったところ。
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鎌倉時代、南部氏初代の南部光行という武将が、平泉征伐(奥州合戦)の戦功で、源頼朝からこの地を拝領して入部し、この八幡神社を建立したのだそうです。
先ずは本殿に参詣。
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彼が「この神社は右回りに回ると御利益があるんだ」と言うので、そのとおりにやってみました。
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本殿の四隅には、この地方の民芸品である「八幡馬(やわたうま)」が置かれています。
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江戸期、南部藩は藩の財政を賄うために、この櫛引八幡宮で名産である馬市を開いていたそうです。
売られて行く馬の安泰を願い、その馬の身代わりとしてこの八幡馬を作ったのが始まりとのこと。
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旧暦8月15日の秋の例大祭では、この八幡馬がお土産として売られるのだそうです。
土産屋にも並んでいたので買って帰ろうかとも思いましたが・・・置く場所も無いしね。
参詣の後は、境内にある「明治記念館」へ。
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この建物は、明治14年に完成した八戸小学校の講堂をこの地へ移築したものだそうです。
残念ながら内部は公開されていなかったので、見る事が出来たのは外見のみでした。
完成直後、明治大帝の東北巡幸があり、この講堂が宿舎になったとのこと。
傍に記念碑と明治大帝の銅像が建っていましたよ。
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ここまで見て、さぁ、次がこの神社に立ち寄った最大の目的、「国宝館」の見学です。
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ここには、歴史の教科書に出て来るような大鎧が所蔵されているのですよ。
それをこの目で見ることが出来る・・・もうワクワクです。
撮影は禁止でしたので、クリアファイルを購入。
先ずは国宝「赤糸威鎧(あかいとおどしよろい)」です。
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あぁ、美しい!素晴らしい!
この鎧は南北朝時代の南朝の天皇である長慶天皇の鎧と伝わっています。
南北朝の戦乱の中、南朝方だった南部氏を頼ってこの地に来た際に奉納されたものだそうです。
近年、米国の大富豪が50億円で売って欲しいと申し出たそうですが、断ったとの伝説も残っています。
まぁ、その位の価値はありそうですね。
次は国宝「白糸威褄取鎧(しろいとおどしつまとりよろい)」です。
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この鎧は南北朝時代の南朝の天皇である後村上天皇から根城南部家(分家筋です)の南部信光が拝領したものだそうです。
この鎧は白を基調としていて、カラフルな装飾があり、実に美しいですね。
私は、この2領の鎧をじっくり見たかったわけで、ここでけっこう時間を食ってしまいました。
彼はこんな私を呆れて見ていましたよ。
「おおぃ、もう行こう」って促されて乗車、次に向ったのは八戸から車で約1時間半、未だ冠雪が残る八甲田山でした。
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続きは近いうちに。
では!

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日記・コラム・つぶやき」カテゴリの記事

コメント

こんにちは。
八戸は新幹線で通ったくらいですが、
FUJIKAZEさんの記事で、大分様子を知ることができました(^^)
見どころがたくさんありますね。
でも、一番のつぼが鎧です。
赤糸威鎧、白糸威褄取鎧が二つ並んでいると、お互いを際立たせて美しいです。
歴史小説などで鎧が登場しますが、写真を見ると
イメージが湧きやすくてありがたいです。

ナルコユリさん、こんにちは!
これまで、私も八戸は仕事で訪れたくらいでしたから、どんな観光資源があるのか知りませんでしたが、今回、八戸を遊覧するに際して、友人から何処か行きたいところがあるかと聞かれ、あわててネットで調べた結果、例の鎧に行き当たったのです。
東北にこんな立派な大鎧があるなんて、意外も意外、友人にはどうしても見に行きたいとお願いしました。
実際に見た時は感動しましたよ。
写真を撮りまくりたい気分でしたが、生憎撮影禁止でしたので、このブログには国宝館で購入したクリアファイルを載せた次第です。
大鎧、良いですねぇ。
私、平安期から室町初期までのこの様な大鎧が大好きです。
平清盛や重盛がこの様な大鎧を纏って平安京を駆け巡った・・・平家物語の世界が目に浮かぶようです。

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