長野-上越旅行(2日目、柿崎景家の史跡を訪ねて)
長野-上越旅行記も、ようやく上越入りです。
上信越自動車道の妙高高原付近にさしかかると、ワイパーを全開にしなければならない程の雨になってしまいました。
あぁ・・・。
その雨の中、上越ジャンクションを北陸自動車道へ。
目的地は柿崎。
先ずは柿崎インターチェンジのループ内にある、「柿崎城址」です。
到着したのは意外と時間が掛かって1時半頃。

柿崎城址の看板はインターチェンジを下りる時に見えたのですが、その行き方が分からない。
右往左往してようやく柿崎川に面した畑の傍に、木の板に手書きした様な粗末な標識を発見。
女房を車中に残し、1人雨の中、マウンテンパーカーのフードを被ってあぜ道を歩きました。

途中、道に迷ってしまい、ビニールハウスで作業をしていた親切な方に詳細なルートを教えていただいて、何とか解決。
その方も呆れていましたね。
「そんな所へ行っても何も無いよ。小さな展望台が一つあるだけだよ。」
「はい、それでも柿崎景家に憧れて、ここまで来たものですから。」
「どこから来たの?」
「静岡です。」
「ハァ・・・・・」
こんなやりとりでした。
みなさんは、柿崎景家ってご存じでしょうか?
越後の国人で、上杉軍の先手を務める大将、上杉軍が常に無敵であったのはこの柿崎景家の奮戦にあると言っても過言ではない・・・と、私は思っています。
さて、教えていただいたルートは、これまた草ボウボウの道とは呼べない様な道で殆ど整備はされていません。
そんな道を探りながら歩き・・・ようやく小高い丘に登る道を発見。

現在、ここは城崎山と言うのだそうな。
雨で滑りそうになりながらも登頂すると・・・標高25mの頂上には小さな展望台?が一つ置かれていました。

これだけ・・・遺構も何も当時を偲ばせる物は残っておらず、ちょっと残念。
元々ここは城と言うよりも、柿崎景家の居館跡であったと伝わっており、戦の際に立て籠もる城は、東へ7km程離れた山に築かれた猿毛城であったようです。
急いで愛車に戻り、出発。
次の目的地は、同じ柿崎にある「楞厳寺(りょうごんじ)」です。
柿崎城趾からは、車で20分程、一向に止まない雨の中をナビを頼りに向かいました。

何とか迷うこと無く到着。
入口には柿崎家の家紋である九曜紋が付いた看板が掲げられていました。
そうして、柿崎景家の活躍を紹介する看板も・・・。

早速、駐車場に愛車を駐めて柿崎景家のお墓参りです。
女房は、「雨の中、傘を差して興味の無い戦国武将のお墓参りなんて嫌だ。」と言うので愛車に残し、私1人で寺内へ入りました。
正面の山門は、柿崎城の搦手門を移築したものと伝わります。


先ずは、本堂へ参詣。

さぁ、墓地へと向かいます。

墓地の入口には、柿崎景家の墓の位置を示した簡単な案内図があったので、それを思い出しながら歩きました。

寺に着いて以来、全く人影を見ていないので、周りには私しかいません。
まだ3時前というのに、辺りは薄暗く、場所が場所だけに幽霊でも出てきそうな雰囲気です。

墓地の間を抜けながら、しばらく歩くと・・・あぁ、ありました。
柿崎景家の墓です。

小さな祠の中に古い石塔がありました。
あぁ、来られて良かった。
合掌。

これで満足、女房が待つ駐車場へと戻りました。
寺を後にして、再び北陸自動車道に乗り、上越インターチェンジまで。
降りて向かう先は、もちろん春日山城趾です。
市街地を10分程走ると、正面に春日山城趾が見えてきました。

はぁ、ようやく到着です。

この時、時刻は既に4時前、あまりゆっくり出来ません。
雨も降っていることだし、本丸への登頂は断念しました。

とりあえず、春日山城趾に立ち、謙信公の像を見て満足です。

謙信公、また、来年来ます!
これまで4年連続4回訪れて、2回は雨でしたよ。
正に、これが雨男の実力ですね。
本丸には登頂出来ませんでしたが、記念の土産はしっかり購入。

謙信公の軍旗、「懸り乱れ龍」ですよ。
謙信公が総攻撃を命ずる旗、上杉家では突貫の旗と呼ばれています。
この旗が振られると、全軍決死の覚悟で敵に突入しなければならない決死旗なんです。
うん、これで満足。
春日山城趾を後にして、妙高高原へと向かいました。
5時頃、ホテル着。
既に雨は止んでおり、所々に青空が覗いていました。

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