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2020年5月22日 (金)

ネタ無し(日々、徒然・・・)・47

みなさん、こんにちは!
今日、ちょっとだけ、ネタが出来ましたので、今回は「日々、徒然」で更新です。

【今川義元像】
現在、静岡の有名人と言えば、昨年亡くなったさくらももこさんですが、
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戦国時代は、この人、「海道一の弓取り」と言われた今川義元です。
その今川義元の像が、5月19日にJR静岡駅前(北口)に設置されたと聞き、今日、見てきました。
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ご覧の様に、既存の竹千代(徳川家康の子供時代ですよ)像の後ろに、これを見守る様に設置されています。
本当に駅ビルの真ん前。
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なぜ、5月19日だったのかと言うと、この日が旧暦の「桶狭間の合戦」の日だったんですねぇ・・・。
つまり、今川義元の命日なんです。
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以前にも触れましたが、元々、今川家は駿河国(現在の静岡市)と遠江国(現在の浜松市付近から御前崎市付近)の守護職。
由緒正しき河内源氏の一族なんですね。
それが、今川義元死後、徳川家康に乗っ取られた訳です。
徳川家康は三河国(愛知県東部)の国人大名の子、爺さんの代までは威勢が良かったのですが、父親の代で今川義元に臣従し、家康(当時は竹千代)は人質として8歳から19歳まで今川家で過ごします。
その間、義元は竹千代を粗略には扱わず、人質であるにも関わらず、ちゃんと帝王学を学ばせているのです。
義元としては、将来竹千代が今川家の重要な武将として活躍してくれることを期待していたのでしょうね。
しかし義元の死後、家康は義元の子氏真を追放し、武田信玄、武田勝頼と壮絶な領地争いを繰り広げた後、武田氏を滅ぼして駿河・遠江に君臨することになるのです。
さて、話を戻しましょう。
今川義元は桶狭間で織田信長に討たれたことから、弱い武将とのレッテルが貼られてしまいました。
桶狭間の時は、輿に乗っていたことから、馬にも乗れない武将だとも・・・。
でも実際の義元は、武勇知略に優れた武将だったことが後世明らかになっています。
特に太刀打ち(チャンバラです)は得意中の得意だったとか。
それで像の義元も・・・
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後に作られたイメージである公家風大名とはかけ離れた、何とも凜々しい姿に作られていますね。
竹千代を頼もしげに見つめる優しい眼差しが表現されています。
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後ろ姿は・・・着用している陣羽織に馬印の「赤鳥」が描かれています。
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義元生誕500年にして、ようやく始まった今川義元復権運動、もっともっと盛り上がれば良いなって思います。

【スマホの新替】
先日買ったDivingComputerは、スマホのアプリと同期させて使用する製品。
なもので、私はスマホにアプリをダウンロードするためGoogleストアへアクセス。
見つけたアプリをすぐにダウンロードしようとしたのですが・・・なにぃ?スマホが対応していないだとぉ?
私が使っているスマホは4年半前に買ったSHARPのSH-01っていう機種。
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これがもう古いのか・・・。
アプリが無ければ、DivingComputerは使えません。
どうしよう・・・スマホを買い換えるか、タブレットを買うか・・・。
私はスマホに依存してないので、今のままで満足だったのですが・・・女房に相談して、一緒に買い換えることにしました。
で、今日は朝一番でdocomoショップへ直行しました。
今度の機種はSONYのSO-01Mっていうヤツ。
(私はAndroid派です)
既に機種はネット予約していたのでスムーズに入手。
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それでも、2台分の契約や各種データの移動をやって貰ったら、既に昼過ぎ。
2時間半も掛かりましたよ。
それで今川義元の像を見に行き、家に帰って早速アプリをダウンロードしてDivingComputerとの同期を開始。
結果は・・・上手くゆきました。
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これで一安心。
さぁ、次のダイビングが楽しみだ。

【開花】
今朝、庭のハイビスカスが深紅の花を咲かせていました。
まるで私を南の海へ誘うが如し・・・。
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あぁ、石垣島へ行きたいなぁ・・・。
では!

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コメント

「歴史は勝者によって作られる・・・」と言われており、敗者の実像はあまり分からないのがのが普通とか。
今川義元の復権って静岡県人としては嬉しいことです。
明智光秀も福知山では名君ですし、吉良上野介だって吉良の地では彼を慕うあまり戦前まで忠臣蔵は映画・芝居を問わず上演されなかったとか。
相良では田沼意次は民が慕う名君と言い伝えられています。
俗説や芝居や講談の世界と実像の違いはまだまだ他にもいることでしょうね。

こんにちは。
この今川義元と竹千代の像はニュースで観ましたよ!
静岡ゆかりの武将さまたちですね!
すみませんm(__)mとにかく?歴史に疎い〜恥ずかしいです!

ハイビスカス🌺綺麗に咲きましたね。
石垣島ヘ早く行けますように!

country walkerさん、こんにちは!
歴史は勝者によって作られる・・・当にそのとおりですね。
今川義元も、死後、あまりに自分が辱められている、織田信長の引き立て役に過ぎない存在になっていることに、地団駄踏んでいたことでしょうね。
これでは悔しくて成仏出来ないって。
昨今の義元復権運動、この像の設置で、ようやく成仏してくれた様に思います。

吉良も相良も、現地へ行くとその評価の違いに驚きました。
本当に、歴史って勝者が都合良く書き換える物なんですねぇ・・・。

マコママさん、こんにちは!
そうですか、東京でもこのニュースをやってましたか。
私は知りませんでしたが、ネットニュースで気づき、昨日、機会があったので行ってみた次第です。
写真のとおり、なかなか素敵な像でしたよ。
マコママさんも、お好きな旅行を再開された方が良いですよ。
無理をしない程度に少しずつね。
妹さんを誘って。
人生、楽しまなきゃね。

FUJIKAZE さま
今川義元は従来、お公家さん風に描かれ、武将としてはイマイチのように
扱われているケースが多いと思いますが、守護大名としてきっと
非凡な才能も持ち合わせていたんでしょうね。
竹千代の扱い方、教育の仕方から見ても・・・

我が家にも数年前から居間に鉢植えのハイビスカスが有るのですが
次から次と咲きますよね~

もうすぐ思う存分海底遊泳楽しめますね。

輝ジィ~ジさん、こんばんは!
はい、今川義元は本当に強い武将だったようです。
竹千代に対しても、単なる人質としては扱わず、大名の子として帝王学を学ばせています。
きっと、将来は今川家を支える武将になるって期待していたのでしょうね。
見事に裏切られましたがね。

ハイビスカスの花を見ていると、南国気分になれます。
石垣島では咲き誇っているんだろうなぁ・・・。
すぐにでも行きたいところですが・・・どうなることやら。

 こんばんは。
 とても興味深く拝見しました。「勝てば官軍」とは上手く言ったもので、
歴史は勝者によって創られていくのだということをあらためて感じました。
教科書的な部分ではわからない、敗者の側から見た歴史をひもとくと、
いろいろな発見がありそうですね。

見に行きましたか 私はまだですよ 車の運転席からは見てますが。近いからいつでもなんて思ってると駄目ですね(笑)。

いかさまさん、こんばんは!
所謂、敗者となった人は勝者によって都合良く悪者にされてますね。
今川義元が良い例で、歴史は全て勝者の論理で創られているように感じます。
敗者の側から歴史を見て行くと、けっこう面白くて為になりますよ。
自分が同じ轍を踏まないようにね。
まぁ、この歳になると今更感がありますがね。
私はもう敗者ですから・・・。
もう少し早い時期に研究すれば良かったですよ。

ハッピーのパパさん、こんばんは!
はい、居ても立っても居られず、スマホを買った後に見に行きました。
未だ見物人が多かったですよ。
私が見ている間にもひっきりなしに見物人が来ていました。
皆、写真を撮りたがるので、ジックリ見るならばもう少し後ですね。

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