塞翁が馬・・・の続き
みなさん、こんにちは!
もうすぐ19日、首都圏もお遊び解禁でしょうか。
海に山、何処に行こうかなぁ・・・。
さて、前回の続きを書くことにしましょう。
前回は書いていてとても恥ずかしくなり、いくらネタが無いとは言え、失敗したなぁって思ったのですが、まぁ、勢い書いてしまいましたからねぇ・・・。
(写真は、本文とは関係ありませんよ。)
大学をスッパリ諦めた私。
では、どうするのか?進学しない以上、どこかへ就職しなければならない訳ですが・・・「よし、自衛隊へゆこう!」って、決断しました。
高校受験に失敗して、ビー・バップ・ハイスクールへ入ってしまった私には、時間が沢山ありました。
勉強なんてしなくても、赤点なんて取ることは絶対に無いワケ(勿論、授業は真面目に聴いてましたよ)ですからね。
それこそ、高校受験勉強の反動で、それまで出来なかった読書(主に漫画です)やプラモデル作り、アルバイトに精を出しました。
そこで松本零士氏や新谷かおる氏の世界にハマり・・・航空自衛隊の航空祭や合宿に参加して、自衛隊が身近な存在になった訳です。
担任から、「進学しないのならば、どんな会社に入りたいんだ?」って聞かれた時、「はい、自衛隊の学校へ行きます!」って答えました。
具体的に、航空学生や曹候補生の学校を目指すと。
担任は呆れてましたよ。
親?私がビー・バップ・ハイスクールへ入った時点で諦められてしまい、感心は優秀?な妹へシフト・・・です。
それからは、自分で積極的に動きました。
近所の陸自の駐屯地へ行って願書を取って来たり、問題集を買って本気で勉強を始めたり・・・。
そんなある日、担任に呼び出されて、
「お前なぁ、自衛隊、自衛隊って言うが本気なのか?本当に自衛隊しか受けないつもりなのか?」
「はい、本気です。自衛隊しか受けません!」
「・・・お前、以前、商船大学に入って船に乗りたいって言っていたな。こんな所があるぞ。船に乗れるぞ。かなり難しいけれど、お前ならば受かるかも知れない」
って、渡されたのが、今、私が務めている会社のパンフレットと願書でした。
あぁ、進学補習を受け始めた頃、そんなことを言ってたっけなぁ・・・既にそのくらいしか記憶にはなかった訳ですが、とりあえず受け取って、そのまま教室の机の中へお蔵入り。
頭の中は航空自衛隊、ジェットパイロットで一杯でしたから、会社のパンフレットなんて眼中に入りませんでした。
それから何ヶ月か過ぎたある日の朝、担任から突然、
「お前、あの会社どうした?ちゃんと願書を出してきたか?今日が締め切りのはずだぞ」って言われたのです。
勿論、私はスッカリ忘れていました。
すぐにパンフレットを取り出して確認すると、確かにその日が受付の締め切り日でした。
「・・・先生、未だ出していません」と言う私に、担任は授業には出なくて良いから、すぐに願書を出してこいと言い、交通費を持っていないという私に千円を貸してくれたのです。
その後の私は、急いで小倉の街へ出て願書や受験票に貼る写真を撮り、若松にある会社の支社へ駆け込み、窓口でボールペンや糊を借りて願書を書き、受付を完了させた次第。
ハッハ・・・窓口の人が呆れてましたよ。
まぁ、それでも私の頭の中は自衛隊だけで、私のことを心配してくれている担任に義理だけは果たそう・・・くらいの気持ちだったのです。
そして結果は・・・先ず、航空学生は駄目でしたが曹候補生は受かったので、とりあえずそこへ行って、次の年に再チャレンジって考えてました。
しかし、今の会社からも合格通知が来たのです。
すると、担任はもちろん、私に感心が無かったはずの両親までもが会社へ入れって勧めます。
私の自衛隊入隊は強固な意思のつもりだったのですが・・・まだ人生経験の無い子供ですからね。
皆がそこまで勧めるのか・・・と、心は揺れ動き・・・結局、ギリギリで自衛隊を辞退してしまった訳です。
さて、この選択は正しかったのか・・・。
自衛隊へ入っていたら、今頃ジェットパイロットだっただろうか・・・。
あの日、担任が会社の願書受付の締め切り日であることを言ってくれなかったなら・・・。
う~ん、今となっても分かりません。
女房にこの話をすると、「自衛隊へ入っていたら、私とは出逢えなかったでしょう」って言いますよ。
私的には???ですがね。
何事も塞翁が馬、塞翁が馬・・・本当に人生って塞翁が馬。
何が幸で何が不幸なのか、それは終焉まで分からない。
因みに我母校である、ビー・バップ・ハイスクールはその後無くなり、今では校名を変えて、九九ぐらいならば言える子達が入学しているとのこと。
聞くところによると、我が社で、我が母校の出身者は後にも先にも私だけだとのことです。
あぁ、当時の担任の先生とは、未だに年賀状のやり取りを続けてますよ。
しょんないお話に最後までお付き合い戴き、ありがとうございました。
次は、遊びネタで更新したいなぁ・・・。
では!
« 塞翁が馬 | トップページ | もう初夏の大瀬崎(1本目) »
「日記・コラム・つぶやき」カテゴリの記事
- 久しぶりの・・・(2025.01.11)
- 山形へ(米沢編)(2025.01.03)
- 山形へ(山寺の後編)(2024.12.27)
- 山形へ(山寺の前編)(2024.12.14)
- あぁ、豊穣の海大瀬崎(2本目)(2024.11.30)
こんばんは(*^^*)
お久しぶりです。
義母が交通事故で急逝したりと色々ありました。
少し浮上したところです。
人間、何が”良かった”のか分かりませんね。
でもFUJIKAZEさんが選んできた道が、一番最善の道だったのかと思います。
うちは虐待家庭で、「女なんて勉強しなくていい」という父でしたし、
金銭的な余裕もなかったので、進学はあきらめました。
学ぶことや本が大好きだったんですけど。
諦めたはずが、自分より成績が下の友達が大学の推薦されてた時は、
さすがにへこみました。
でも多分、こうして今いる瞬間が「すべて」で、こうじゃなかった道は考えられません。
人生がいいも悪いも決めるのは、自分自身なんでしょうね^^
投稿: 弥沙 | 2020年6月15日 (月) 20時45分
こんばんは♪
確かに…人間、万事塞翁が馬ですね。
歴史はおろか、人生に"タラレバ"はないとされます。
奥様のお言葉が何より…ではないでしょうか。
振り返ればボクも後悔だらけの人生ですが、
全てが必然と思えば、生きているだけで儲けモンかもしれません。
投稿: bill | 2020年6月15日 (月) 21時42分
こんにちは
FUJIKAZEさんの半生?
興味深く
覗かせていただきました。
2枚目の船は
新日本海フェリーですか?
あ~また北海道へ行きたいな。
投稿: wani | 2020年6月16日 (火) 12時30分
人生ってドラマですね。
色々な偶然や必然が現在を作っている。
そしてやり直す事は出来ないから、今が一番良いと思うしかない。
もちろん人間だから、あの時こうしていれば、なんてのは多々あります。
が、後悔先に立たずで、どうする事も出来ません。
FUJIKAZEさんは、これで良かったじゃないと仰ってくれる奥様が居て、それは100点満点の人生ってやつですよ。
担任の先生もですが、周囲に自分を助けてくれる人が居ると言うのは、人徳ってやつですよね。やっぱり100点満点です。(^^)v
投稿: ハル | 2020年6月16日 (火) 13時29分
FUJIKAZEさん、こんにちは(^^♪
前回から興味深く読ませていただきました。
仰るように、終焉を迎えるまでは幸か不幸かなんて分かりませんし、
人によっては幸不幸の感じ方も違うでしょうし…
「すべては心の持ち方次第」を座右の銘にしているはなのいろには、
塞翁が馬的考えが当たっているのかと思います。
勿論長い人生(少なくともFUJIKAZEさんよりはかなり長い)のこれまで
紆余曲折ありましたが、今に至る過程であることから、
それらも人生の糧として受け止めているわけです。
はなのいろが終焉を迎えるそのとき
「人生万事塞翁が馬」と心から思いたいものです。
FUJIKAZEさんの今は、いつも申し上げてるように
充実の日々を送られているようですので
どうぞこのままFUJIKAZEさんらしく進まれますように!
いいお話を有難うございました。
投稿: はなのいろ | 2020年6月18日 (木) 11時52分
弥沙さん、こんにちは!
あぁ、ご不幸があったのですね。
それはご愁傷様でした。
しばらくココログの更新が止まっていたので、何かあったのかなって思ってましたが・・・。
私が歩んでい来た道なんて、地雷が埋められた様な危険な道でした。
所々で踏んでしまいましたが、とりあえず致命傷にならなかっただけですよ。
最善だったとはとても思えません。
弥沙さんの文章を読むと、学ぶことが好きだったことが良く分かりますよ。
もう一度、大学を目指されてはいかがですか?
入学して、古代日本史の研究をなさってみれば最高でしょう。
大学は幾つになっても入れますよ。
投稿: FUJIKAZE | 2020年6月19日 (金) 16時40分
bill さん、こんばんは!
人生にタラレバはありませんが、やっぱり、あそこのあの分かれ道で・・・って思いますね。
後悔はしない主義ですが、やっぱりしています。
生きているだけで儲けもの・・・そうですね。
でも、生きるのも辛い事が多いですが・・・。
投稿: FUJIKAZE | 2020年6月19日 (金) 16時45分
waniさん、こんばんは!
私の半生?
いえいえ、その先の40年の方が遙かに大変でしたよ。
本心から、もう仕事は辞めたいって思ってます。
でも、辞めるとご飯が食べられなくなりますしねぇ・・・。
フェリーの所属は分かりません。
飛んでいる最中、何気なく撮っているので・・・。
投稿: FUJIKAZE | 2020年6月19日 (金) 16時49分
ハルさん、こんばんは!
そうですねぇ・・・。
でも、時々、あそこのあの分かれ道でやり直せたらば・・・って思いますよ。
思っても仕方ありませんがね。
だから、100点の人生だなんてとても思えませんよ。
あちらこちらで被弾して、傷だらけの人生です。
職場はあちらこちらに敵がいて、隙あらば足を引っ張ってやろうってヤツばかりですからね。
だから、40点位かな。
投稿: FUJIKAZE | 2020年6月19日 (金) 16時55分
はなのいろさん、こんばんは!
「すべては心の持ち方次第」ですか。
素晴らしい座右の銘ですね。
私も見習うことにします。
本当に「人生万事塞翁が馬」と心から思いながら、終焉を迎えることが出来れば最高ですね。
私が充実した日々を送っている?
それはちょっと違うかな。
公開するブログですから、読む人が楽しくなる様な内容だけ載せているのですよ。
投稿: FUJIKAZE | 2020年6月19日 (金) 17時00分
こんばんは。
梅雨寒でババには堪えておりまする~
FUJIKAZEさまの半生を拝見させて頂き、
いつも不思議に思っておりましたのが、
お船から飛行機へ・・・?
奥様との出会いも良かったですね。
縁は不思議な物ですよ。
お幸せをお祈り申し上げます。
投稿: マコママ | 2020年6月19日 (金) 17時11分
人生いろいろありますよね~!
どれが良かったのかなんてわかりません。
楽あり苦ありの繰り返し。
後悔もありますが、今は今です。
FUJIKAZEさんの人生、素晴らしいじゃないですか。
一生懸命やってこられたんですね。
こちら、ボ~っと生きてるんじゃない??って
言われそうです(;^_^A
投稿: aoi | 2020年6月19日 (金) 17時58分
マコママさん、こんばんは!
梅雨時ですから、食中毒と熱中症には十分お気を付けください。
コロナよりも身近で怖いですよ。
はい、私は色々経験しましたよ。
でも、自分としては生粋の船乗りのつもりです。
だって、船は通算14年も乗りましたから。
ちなみに、飛行機は今年で3年目、あとは陸上勤務ですよ。
縁は不思議な物・・・真にそうですね。
何故女房と出会ってしまったんだろう・・・って、時々思いますが、そういう運命だったんですね。
そう思うことにしています。
投稿: FUJIKAZE | 2020年6月22日 (月) 21時28分
aoiさん、こんばんは!
素晴らしい?
えっ~!
挫折ばかりの人生ですよ。
絶対に楽よりも苦の方が多いしね。
ただ、後悔はしないことにしています。
惨めになりますから。
だから、塞翁が馬と思うことにしているのですよ。
あぁ、私は普段から、ボ~っと生きています。
漫画の「はぐれ雲」が理想ですよ。
投稿: FUJIKAZE | 2020年6月22日 (月) 21時32分
「今晩は」
戦闘機のパイロットを目指していたとは、優秀だったのですね。
私は 自衛官として定年まで勤めましたよ。予備自も終了。
予備自は下っ端だけの集まり、消耗品扱い、だが そういうのも必要。
仏教に出会ったのは それ以降です。
自衛隊のことは 秘密保全上 お話しできません。
下っ端ですから 秘密なんて まったくありません。
下っ端の凡夫、これは気楽で楽しい。
投稿: アットマン | 2020年6月25日 (木) 23時09分
アットマンさん、こんにちは!
陸自ですよね。
お疲れ様でした。
私は陸自も大好きですよ。
私は優秀じゃあなかったからジェットパイロットには成れなかったのですよ。
だから未だに戦闘機には未練があり、大好きなんです。
今はご想像の組織で飛行機に乗ってます。
もちろん操縦するわけではありませんが、ジェット機やヘリに乗っている訳で、夢の何十分の一くらいは叶ったというところでしょうか。
秘密は扱いますが、全て墓まで持って行きます。
当然です。
時々、元自衛官だとか、元警察官を名乗り、TVに出て当時自分が関与した秘密を喋る馬鹿者を視ますが、それには嫌悪感を抱いています。
時々、アットマンさんの仏話には、考えさせられています。
でも最終的は、「仕方ないじゃない?人間だもの」で片付けてますよ。
投稿: FUJIKAZE | 2020年6月26日 (金) 15時41分