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2020年8月15日 (土)

有朋自远方来 不亦乐乎

みなさん、こんばんは!
毎日、凄まじく暑いですねぇ・・・。
本当にこんな時季にオリンピックをやるつもりだったんですかねぇ・・・。

8月1日、八戸の友人が清水へやって来ました。
彼は私と同い年、うちの会社を早期退職して、今はフリーの船乗りをやってます。
何でも、今度は清水港から海洋観測船に乗るとのこと。
私は、偶然、連休で清水の自宅に帰っていたので、じゃあ先ずは飲もうとその晩は市内の馴染みの居酒屋で一献。
学生時代の想い出話で盛り上がりました。
彼が乗る船の出港は5日で、それまでは休みだと言うので、じゃあ明日は静岡市内でも案内しようかと思い、希望を聞くと、
静岡県は初めてと言う彼は富士山が見たいということだったのですが、この時期、富士山なんてまず見えない。

私「富士山なんて夏場は見えないぞ」
彼「そうかぁ、静岡へ来れば何時でも見えるのかと思った」
私「ならば、明日は君のルーツへ案内するよ」
彼「俺のルーツ???」
と、いうことで、翌2日は彼の船まで愛車で迎えに行き、中部横断自動車道を走って、山梨県の南部町へ。
先ずは「道の駅なんぶ」へ行きました。
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何故、南部町?
彼が南部の男だからですよ。
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彼は青森県三戸郡生まれで八戸市育ちの生粋の南部人。
つまり、この山梨県南部町が彼のご先祖様所縁の地なのです。
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大雑把に説明しますと、彼の遠い祖先は甲斐源氏の祖である新羅三郎義光を祖先とする南部三郎光行で、この地に居館を構えて南部氏を名乗ったと言われています。
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源頼朝に仕え、奥州征伐で功績を挙げ、奥州の地を与えられて八戸に移住したと伝わります。
その後、南部氏の本家は岩手県に移り、八戸は分家が治めることになったとのこと。
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この「道の駅なんぶ」には小さな資料館があるので、見せてあげたかった訳です。
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資料館見学の後は、近くに南部一族の墓石群があるとのことだったので、そこへ行ってみることに。
道の駅から車で5分程離れた浄光寺というお寺にその墓石群はありました。
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本堂の屋根瓦には南部氏の家紋の一つである武田菱紋が付いています。
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境内に供養塔が建てられていて、その後ろに古い墓石が集められていました。
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墓石は、鎌倉時代から南北朝時代の物で、山梨県では最も古い物だとか。
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彼も感慨深げに合掌していましたよ。
さて、次は何処へ行こうか。
彼は、山梨県も初めての訪問とのことだったので、じゃあ、甲府まで行こうぜ。
甲府は同じ甲斐源氏の本家筋に当たる武田氏の本拠地であった所です。
愛車で武田神社目指して出発しました。
国道52号線から中部横断自動車道に入り、中央自動車道を上ります。
双葉スマートインターチェンジで降りる前に休憩。
トイレ休憩だけのつもりだったのですが、サービスエリアでは「武田信玄生誕500年特設コーナー」が設けられていて、暫し見学することに。
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武田信玄が関わった数々の戦いがパネルで展示されていました。
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なるほど、ここでは、川中島の戦いも武田信玄の勝ちになっているな・・・。
ツッコミどころは満載でしたが、ここは甲斐国。
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武田信玄こそが一番強くて偉い戦国武将と思われている所ですから、そこは堪えて武田神社を目指して出発。
南部町から約1時間で到着しました。
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この神社は武田信玄の本拠地である躑躅ヶ崎舘跡に建てられた信玄を祭神とする神社です。
彼は早速本堂に参拝。
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私?さすがに武田信玄を拝む気持ちにはなれず、彼の参拝が終わるまで待ってました。
ただ、宝物殿には興味があったので、ここは見学。
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内部は撮影禁止だったので撮っていませんが、そんなにたいそうなお宝は無かったような印象でした。
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「楯無」の鎧や「諏訪法性」の兜でも見る事が出来るかなって思ったのですがね。
残念でした。
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とりあえず、神社内を見学して判ったことは、ここは躑躅ヶ崎館という名の立派なお城の跡だってこと。
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有名な武田節の一節に「人は石垣 人は城 情けは味方 仇は敵」とあり、信玄は甲斐の国には城を造らなかったなんて伝わりますが、それってどうなのかなぁ・・・。
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これで終了。
まぁ、彼は満足してくれましたよ。
この後、船まで送ってゆき、清水へ帰港したらまた会おうと約束して別れました。
私としても、なんとも楽しい、学生の頃に戻った様な一日でした。
帰港は11月中旬だとのことなので、その頃は富士山も雪化粧して顔を出してくれているかな。
そうしたら、静岡市内を案内するつもりです。
では!

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コメント

こんばんは。
はるばるご友人いらして再会お楽しみでしたね。
富士山は残念でした!
無事の寄港を願って〜!
お帰りの時分には雪化粧の見事な富士山を
是非、ご覧頂ける事でしょう!

すみません。知識ゼロゆえ記事の題名は何と読むのか?
教えて下さいませ。

マコママさん、こんにちは!
論語の「友有り遠方より来たる、また楽しからずや」をそれっぽく中国語の簡体字で書いてみました。
日本人だもの、読めませんよね。
ごめんなさい。

彼は学校の同期生。
九州の男と青森の男が舞鶴で出会い、学び、寮の同じ釜の飯を食った同期の桜です。
彼はロシア語の通訳、私は中国語でした。
40年以上前に、共に凝縮された青春時代を過ごした生涯の友なんですよ。
美しい富士山を見せてやりたいものです。

お友達!もしかして以前会いに行かれた方かしら?
海洋観測船は今清水港に停泊中なんですか?
出発までも船に泊まっているんですね。
その間には富士山も顔を見せてくれるのでは?
見せて欲しいですね〜
それにしても船の旅は長いですね。
探査船「地球」もやっと清水港に戻ってきましたもんね。
お友達の活躍を願います。

こんばんは♪

フムフム、何とも興味深いエピソードですね。
これはお初です。
そして、FUJIKAZEさんの粋な"おもてなし"と
強い信念も随所に感じられて、面白いです。
歴史にタラレバはないと言いますが、色々と
思いを馳せるのもまた楽しみの一つですし。
次回は、やっぱり富士山ですね。

こんばんは
お友達は記憶に残る素敵なドライブだったのじゃないでしょうか
思わぬところでルーツに触れられるなんて羨ましいね。
無事航海が終わったらきっと富士山見れますね。
川中島の戦いも所変わればですね。
歴史って双方の見方があるから面白い。

FUJIKAZEさん、こんにちは^^

長い時間を超えても友達っていいですね~
数年ごとに引っ越ししていたし、あっさりした性格なので
昔からの友達はいないのです

札幌の高校の時、「南部」という女友達がいました。
国語の担任の先生が「小田嶋」。

もうすぐ定年というその先生は、
「世が世なら南部は姫様、小田嶋は家来」と言ってました。

南部家も小田嶋家も東北から来てたそう。
あちこちから集まってる北海道ってたまにそういうことがあるそうで。

もしかしたら!
不思議な縁ってあるものです^^

せせらぎさん、こんにちは!
はい、我が社を退職すると聞いて、八戸まで会いに行った友人ですよ。
辞めないように説得しようと思ったのですが、駄目でした。
海洋観測船は江尻港に泊まっていた第一開洋丸っていう船ですよ。
5日に出港して今頃福島県沖かな。
ああいう船は、一度出港すると長いんですよ。
だから停泊中は殆ど休みです。
帰って来たら富士山が見えると良いのですがね。

billさん、こんにちは!
同じ釜の飯を食った同期の桜ですからね。
同期の絆は強いです。
彼とは同室で仲が良かったのでね。

甲斐国で武田信玄の悪口なんて言おうものなら、どこからか蹴りが飛んできそうですからやめました。
次回、富士山が見えると良いのですがね。

hiroroさん、こんにちは!
はい、友は満足してくれたと思います。
私の時間が有れば、本当は川中島の古戦場まで連れて行きたかったところです。
当日は日曜日、夕方には清水を出て横浜へ戻らなければならなかったので残念でした。
次回は是非、富士山が綺麗に見える場所を回りたいと思ってます。

弥沙さん、こんにちは!
そうでしたか、 弥沙さんの父上は転勤族だったのですね。
私の場合、昔からの友達は高校時代の同級生だけです。
今回の友人ですが、彼とは1年間、舞鶴の学校で寮生活を送っただけなんですよ。
同室で、何故か気があいました。
その1年間が勉強にスポーツにと濃くてね。
おそらく一般の人の10年分くらいになる様な1年間でしたから強い絆が生まれたのです。
北海道はそれこそ全国から開拓等で入った人達が沢山いますね。
南部さんも小田嶋さんも、きっと明治になってから、青森県か岩手県から移住したのでしょうね。
私の会社には、以前、上司で古賀さんという方がいました。
私の親戚にも佐賀県に古賀がいるので、
てっきりその上司も福岡県か佐賀県出身の方だろうと思っていたら、北海道出身でしたよ。
聞くと、祖父の代で福岡県から北海道に移住したのだそうです。
不思議な縁ですね。

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