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2022年10月10日 (月)

柳川旅行(6日後半)

みなさん、こんにちは!
前回の続きです。

【零式艦上戦闘機32型】
ここには、世界に現存する唯一の機体である「零式艦上戦闘機32型」も展示されています。
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この機体はマーシャル諸島の第二五二海軍航空隊で使用されていた機体。
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戦後ジャングルで発見されて復元され、昭和58年に日本に里帰りしています。
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それまで21型(真珠湾攻撃で使用された機体)で使用されていたエンジンを新しい高出力の物にして、機体も設計し直し、丸かった両翼端を四角く整形して、速力の向上を狙った機体でした。
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しかし、速力は若干早くなっただけで殆ど変わらず、かえって旋回性能や航続距離が悪くなったために、製造もたった343機で打ち切られて、新たに翼の先端を元に戻して燃料タンクを翼内に増設した新型機として22型が造られるようになっています。
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つまり、32型は生産数自体が非常に少ない機体なのです。
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だから、とても珍しい機体なのですね。
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改修型名称の32型は(さんにい型)と読みます。
21型は(にいいち型)、22型は(にいにい型)です。
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当時の海軍機は、2桁数字の上一桁が機体の改修、下一桁がエンジンの変更を示しています。
因みに、戦後初の国産旅客機である「YS-11」の正式な読み方は(わいえす いちいち)なんです。
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戦前戦中に海軍機の製造に関わった技術者達が、この旅客機の製造にも関わったから、この様な名称になったのですね。

【97式戦闘機】
この機体も、世界に現存する唯一の機体です。
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陸軍の「97式戦闘機」、有名な「隼」が登場する前の主力機だった陸軍の戦闘機です。
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この機体は、特攻に使用するために朝鮮から大刀洗へ回航中、故障して博多湾に不時着したもの。
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パイロットは脱出して助かりましたが、機体は海底に沈んだままだったものを平成8年に引き揚げて修復し、展示しているものです。
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機体下面にダミーの爆弾を抱いている他、爆弾の左右に落下式増加タンクが付いています。
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私の大好きな映画「燃ゆる大空」に実機が登場するので、一度は見てみたい機体でした。
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うん、素敵な飛行機だ!
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記念館見学は、これで終了です。
この記念館は、機体以外は撮影禁止、記念館本来の展示品は、特攻隊員の遺影や遺書なんです。
それは、哀しすぎて殆ど見ることが出来ませんでした。
記念館を出る前に、自分用のお土産を購入。
「97式戦闘機」のTシャツと、
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「震電」「零式艦上戦闘機32型」のクリアファイルですよ。
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これも素敵でしょう?

さて、女房は呆れて途中からホールの椅子に腰掛けて待っているので、ひたすら時間がかかった事を謝りつつ、記念館を後にして、筑後らしい田園風景の中を柳川へと向かいました。
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4時過ぎに、ようやくホテル着。
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チェックインを済ませて、今宵の部屋へ。
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うん、なかなか広くて快適そうです。
部屋には、半露天風呂が付いています。
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もちろん、これは女房専用で、私は大浴場ですよ。
このホテルのお湯は温泉、ぬるりとしているので、アルカリ泉なのかな。
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窓の外は・・・お堀に面していました。
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水郷柳川ですからね。
温泉を堪能した後は、お楽しみの夕食です。
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ここは柳川ということで、メイン料理には有名な郷土料理である「うなぎのせいろ蒸し」を予めリクエストしていました。
私は福岡県出身なのですが、北九州なので、せいろ蒸しを食べたことはありません。
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なるほど、これがせいろ蒸しなのかぁ・・・。
それなりに美味しくて、女房も満足していましたが、私的には、想像していた物とちょっと違うなぁって印象でしたよ。
まぁ、それでも柳川の名物を美味しく頂いたことには間違いありませんがね。
続きは近いうちに。
では!

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日記・コラム・つぶやき」カテゴリの記事

コメント

こんばんは。
本当に飛行機✈がお好きなのですね💞
YS11には乗りました!
昔、昔!羽田空港から小牧空港でした!
大島上空でエアポケットに〜!
夫が大丈夫かな?って言ってました!
退職されたら、是非、ワシントン・DCのスミソニアン航空宇宙博物館へ
!私達も行きましたが余り?興味が無くて〜!

柳川はホテルも快適でお食事も美味しくお召し上がりでしたね。
続きを楽しみにお待ちしております。

こんばんは~。

FUJIKAZEさんの記事を読んでいて、ずいぶん前ですが
知覧の特効平和会館に行ったのを思い出しました。
奥様と同じように戦闘機のことはよく分かりませんが、
特攻隊の方々の遺品や家族あての手紙を見て、胸が
苦しくなりましたよ。

私は母が柳川の出身なので、鰻と言えば「せいろ蒸し」で
「うな重」より好きです。
好物の鰻を堪能出来て良かったですね。(^^)

こんばんは♪

素晴らしい!これは圧巻ですね。
97式戦闘機なんて、いい意味で化石級の風格を感じます。
>記念館本来の展示品は、特攻隊員の遺影や遺書…
祖父から聞いた戦争体験秘話は、未だ忘れられません。
せいろ蒸し共々、チェックしておきます。

マコママさん、こんばんは!
YS-11はよく揺れましたね。
それこそ、我が社のYS-11は私の出張の足でした。
20年以上前の事ですが、YS-11に乗って、北海道から沖縄まで飛んで歩いてましたよ。
本当に懐かしい飛行機です。

スミソニアン航空宇宙博物館は夢ですよ。
一度は訪れて見たいって思いますが、叶うのかなぁ・・・。

ささみさん、こんばんは!
私も知覧は2回行ってます。
陸軍機が沖縄特攻へと向かう最終基地ですよ。
陸軍の特攻機は、今回私が訪れた大刀洗から知覧を経由して沖縄へと向かった飛行機が多かったのです。
ですから、大刀洗にも特攻隊員の遺書や遺影がたくさん展示してありました。
幾つかは読みましたが、涙が出そうなので止めました。

ささみさんのお母様は柳川出身ですか。
良いですねぇ。
私、上越と柳川は憧れの地です。
私の敬愛する英雄の地ですからね。
男として、どちらかの土地に生まれたかったものです。

せいろ蒸しもとても美味しかったのですが、冷静に考えて、やっぱりうな重の方が私は好きです。

記事には載せませんが、今回も空港で、三日月のクロワッサンを沢山買って帰りましたよ。

billさん、こんばんは!
97式戦闘機、カッコウ良いでしょう。
登場時は、小回りが効いて無敵の戦闘機だったそうです。
中国大陸で大活躍したんですよ。
太平洋戦争開戦後は、第一線を隼戦闘機に譲り、この飛行機は最前線ではない朝鮮で使われていた飛行機なんです。
戦争末期、特攻機が足りなくなって、この飛行機で特攻をするべく、朝鮮から回航中に故障して博多湾に不時着した機体。
だから運良く残っていたんですね。
最低限の修復しかなされていないので、まるでいぶし銀のようですね。
ただ、私的には、しっかりと修復して綺麗に塗装をして欲しいところです。
飛行機もその方が喜ぶよな気がします。

保存された戦闘機や柳川名物の「うなぎのせいろ蒸し」。
これだけ体験されたなら文句なしの好い旅になりましたね。
自分も柳川は未知の地区。
勿論せいろ蒸しも食べたことはありません。
お土産のTシャツやクリアファイルも思い出に残る良い記念となりそうですね。

ゼロ戦ですか この飛行機は好きですよ あれは何処だったのかな 一回だけですが見た事有りました その時 ジーンときましたからね。この飛行機の残骸からですかね米軍がこれに勝るものを作ったのは それがなければなんて見た時思いましたよ とにかく世界に誇る名機ですもんね。

こんにちは。
初日の旅行記ですね。お誕生日プレゼントのストラップが可愛いですね。
飛行機好きなFUJIKAZEさんには特に嬉しい物だったのではないですか?

私もこの記念館に行った事があるのですが、飛行機の印象よりも
特攻隊員の方達の遺品の数々が衝撃的で、途中から見られなくなりました。
出兵経験がおありらしい年配の方が泣き崩れていらして、もうそれ以上は無理でした。
私も所長(主人)を残し、早めに屋外に出ましたよ。

次はどんこ舟の川下りですね。楽しみにしています(#^.^#)

country walkerさん、こんばんは!
正直なところ、第一目的は、これらの戦闘機を見ることだったのです。
飛行機ファンにはたまらない魅力的な飛行機なんですよ。
せいろ蒸しは、このホテルで食べた物は実はせいろ蒸し風だったのではないかと思っています。
この翌日、ちゃんとした専門店で食べましたが、全く別物って感じでした。
次に貼りますので、見て下さいね。

ハッピーのパパさん、こんばんは!
はい、米軍が零式艦上戦闘機の秘密を暴いたのは、アリューシャンの島に不時着した21型をほぼ無傷の状態で手に入れたからです。
それがなければ、もう少し零式艦上戦闘機も優位を保てたでしょうね。
静岡で零式艦上戦闘機は、浜松の空自エアパークに行かなければ見ることが出来ませんね。
でも、あれも、いい加減に修復された52型ですから、イマイチです。

四季さん、こんばんは!
FDAは、所謂LCCではありませんが、サービスは良いですよ。
そうしないと、JALやANAと競走できないからかな。
一度使ってみてください。

記念館のメインの展示はやはり、特攻隊員の遺影や遺書だと思います。
でも、遺書を読んでいると、私も泣き出してしまいそうになります。
女房に見られる訳にはゆかないので、涙が出る前に記念館を出ましたよ。
2日目も2回に分ける予定なので、どんこ舟は最後かな。
また見て下さいね。


こんな小さな飛行機に一人だけ乗って
使命を帯びて飛んでいく
昔の人は宿命とはいえ
すごい覚悟を持っていたのですね
そんな人たちのお蔭で今の私たちはある
そう思わせてもらえる写真です。
ところで数年前柳川に行ったときは
ツアーだったのであまり滞在時間なく、
お昼はウナギのおにぎりを買って食べたのを思い出しました。

hiroroさん、こんばんは!
私は子供心に戦闘機に憧れました。
戦記物の本をよく読みましたが、これに乗った人達も、皆同じで飛行機に憧れて厳しい選抜を勝ち抜いて、苦しい訓練に耐え抜いて、ようやく機上の人になった訳です。
大勢亡くなりましたが、無理矢理乗せられた訳ではなく、男の仕事と希望して乗ったのだから、悔いは無かったのではないかと思いますよ。
私は高校生の時に受験しましたが、簡単に落とされましたから、戦闘機に乗るなんて羨ましい限りですよ。

柳川はうなぎが有名だってことは、実は成人してから知りました。
うなぎよりもどじょうだと思っていたので。
せいろ蒸しも最近知りました。
うな重にひけは取らないくらい美味しかったですよ。

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