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2022年12月10日 (土)

親父が逝きました。

みなさん、おはようございます。

朝からこんな話でごめんなさい。
11月26日、親父が逝きました。
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その日、私は休みで清水の家に帰っていました。
夕方、家族で寿司でも食べに行こうと、近所のくら寿司へ入りました。
親父は寿司が大好物でしたので、当初は美味そうに食べていたのですが・・・。
しばらくして、突然、下を向いて顔をしかめ胸を押さえたので、私はてっきり喉につかえたのだと思い、「どうした?お茶でも飲めよ」って言ったのですが、聞くそぶりもなく、ますます苦しそうな表情をするので、女房がビックリして親父の背中を叩いたり摩ったりしたのですが、悪化する一方だったことから、これは大変だと思い、お店に救急車を呼ぶようにお願いしました。
お店は救急車を呼ぶと、店内放送で、店内にお医者様は居ませんかと呼びかけてくれたところ、奇跡的に居たお医者さんが、救急隊が着くまでの間、親父に救命処置を施してくれました。
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駆けつけた救急隊によって親父は近くの総合病院へ搬送され、私もこれで助かったと思ったのですが・・・。
30分くらい待合室で待っていた私たちに、医者から告げられた言葉は、食道ではなく、気管に米粒や魚の切れ端が詰まっており、幾らか取り出したが蘇生しなかったということでした。
親父は90歳でした。
杖こそ使っていましたが、食欲は旺盛で、焼き肉に寿司、鰻が大好物。
日々パチンコ屋に通って、息子夫婦に憎まれ口を叩いて・・・この人、きっと100歳まで生きるつもりなんだろうなぁ・・・って、思っていたのに、人間あっけないものです。
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葬儀は親父の兄弟にだけ連絡し、ささやかに家族葬で行いました。
親戚衆は、息子夫婦と同居して、90歳まで生きて、最後は好きな物を食べながらポックリ逝ったのだから、大往生だよって言ってくれました。

皆様にはご心配をおかけしましたが、とりあえず、少し落ち着いたので、顛末をご報告する次第です。
では!

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日記・コラム・つぶやき」カテゴリの記事

コメント

FUJUKAZE様
突然のこと故、悲しみもより深いことでしょう。
心よりお悔やみ申し上げます。
90才にして健啖家、自力で歩かれている・・・
100才までも長生きされそうなタイプのように思いますよね。
悲しみが癒えるまでに時間がかかるとは思いますが、
FUZUKAZEさんも奥様もお身体に気を付てお過ごしください。

1人寂しく逝ってしまう方もいる中で、
息子夫婦と好きなお寿司を頂いている中での出来事。
ちょっと羨ましい生き方です。
息子夫婦と同居も安心していられた生活でしたね。
親が亡くなるってすごいショックですが、
親孝行出来た分お父様も感謝していただろうと想像します。
事後処理が大変だと思いますが、お体ご自愛ください。

こんにちは
つい先日、他の方へのつぶやきを偶然拝見して
お父様ご逝去のこと知りました。
心よりお悔やみ申し上げます。
当日のことを拝見して、あまりに突然だったことに
驚いています。ショックでいらっしゃいますね。
ご当人も、まだその気はゼロだったのに、とショックが
大きいかもしれませんが、それでもお元気で長生きされ、
好物をお食べになりながら、苦しいお時間は最小限での
旅立ちは、羨ましいような逝かれ方でもあります。
親子間で時には口喧嘩などもされたかもしれませんが、
やはり逝かれてしまうと胸にぽっかり穴が開いたような
お気持ちにもなられるかと思います。
なにかとお忙しいでしょうけれど、ご夫婦お二人とも
くれぐれも心身ご自愛くださいませ。

こんばんは。
突然!とお伺いしたおりましたが、
ご子息ご夫婦とお好きなお寿司を召しあがり
それほどお苦しみもなくて旅立たれて
御本人も本望だったかもしれませんね。
長患いは苦しみだけだと思います。
ご子息孝行されたのですよ!
暫くはお寂しいと思います。
奥様にも感謝ですね。
単身赴任中はお父様のご面倒を
見て下さったのですから〜!

それにしてもドクターが居合わせてラッキーでした!

色々、手続き等、大変でしょうが、
お体にお気をつけて頑張って下さいませ。

合掌

こんばんは。

お父様のご逝去、心よりお悔やみ申し上げます。
突然のお別れでショックが大きいのではとお察しします。
どうぞご自愛下さいませ。
FUJIKAZEさんと奥様が一緒におられて、きっとお父様も
穏やかで安心な日々だったのではないでしょうか。
親孝行されましたね。
心身ともに無理をなさいませんように。


ツブで連絡が有った時 突然なんだかなーと思いましたが これで分かりました 吃驚したでしょうね 年取ると誰しもそういう可能性はあるって言いますが。それにしてもご夫婦一緒の時でしかも医者も其処に居たって言うんですからかえって良かったんじゃないですか そう思いますよ。合掌

突然のご逝去。
心よりお悔やみ申し上げます。
ブログでもパチンコが大好きで・・・と書かれていたこともあり、
またご家族揃って九州への墓参記事など拝見していたので驚きました。
90歳ですか。
今まで元気で急にお亡くなりになられたので心の準備もなく、その心中をお察しいたします。
お父様のご冥福をお祈り申し上げます。

突然のことお悔やみ申し上げます。
90歳まで生きたのだから・・・というより
せっかく90歳まで元気に過ごしてこられたのに
残念でしたね
そろそろ更新の頃かと思ってたのに
そのままだったのでどうされたのかなと思ってました
ご冥福お祈り致します

お父様のご逝去に際し、心よりお悔やみ申し上げます。
寿司店での緊迫した状況が伝わってくるようです。
平均寿命を超えての大往生。
きっと、あちらの世界でも充実されているものと思われます。
暫し落ち着かない日々が続くかもしれませんが、
どうかご自愛ください。

ナルコユリさん、ありがとうございます。
父は元々船乗りで身体は丈夫でした。
90歳でも、自分で身の回りのことが出来るので、安心して留守を頼み、
石垣島や上越旅行に女房と出かけることが出来ました。
だから100歳までは問題なく生きると思ったのですが・・・。
親戚衆が言うように、大往生だったと思うことにしています。

マーチャンさん、ありがとうございます。
親父とは、私が清水に家を建てた時から同居でした。
だから、24~5年になります。
親父の兄弟は、皆、子供と別居して生活しているので、それも自慢のようでした。
最後まで看取ったことで、多少は親孝行出来たのかなって思ってます。

マコママさん、ありがとうございます。
親父の食事の世話や通院の世話とやってくれていたのは女房ですから、
私は女房には非常に感謝しています。
落ち着いたら、また何処か旅行へ連れて行こうと思ってますよ。
大事な女房です。

ささみさん、ありがとうございます。
私達夫婦と同居していることが、親父の自慢のようでした。
それでも私には憎まれ口を叩いてましたがね。
我が家の墓は小倉の霊園にあります。
四十九日法要で納骨する予定です。
来年早々ですね。

ポージィさん、ありがとうございます。
親戚衆も、好物の寿司を食べながら逝ったなんて、理想的な死に方だって言ってくれました。
まだ夢の中の出来事のようで、私には実感がありません。
これから四十九日法要の調整をしなければなりません。
まだまだ落ち着きませんよ。

ハッピーのパパさん、ありがとうございます。
未だ夢の中の出来事のようです。
人間ってあっけないですね。
私が最後を看取ったってことがせめてもの親孝行でした。
次は四十九日の法要です。
まだまだ落ち着きません。

country walkerさん、ありがとうございます。
はい、唯一の趣味がパチンコでした。
年金の殆どをつぎ込んでいたようです。
杖を突いているくらいで、元気だったんですが・・・。
未だ夢の中の出来事のようです。
次は四十九日の法要、まだまだ落ち着きません。

hiroroさん、ありがとうございます。
はい、元気だったので、100歳までは間違いなく生きるのだろうと思ってました。
あっけないものです。

上越旅行の続きは、そのうち再開します。
もう随分前の出来事になってしまいましたが・・・。

billさん、ありがとうございます。
はい、救急隊員が到着する迄の間、くら寿司の店内の狭い通路で蘇生作業を行いましたので、帰りたいお客さんも通れず、本当に皆さんにご迷惑をかけてしまいました。
葬式が終わってから、くら寿司には菓子折を持ってご挨拶に行きました。
でも、今後行きづらくなってしまいましたよ。

こんばんは
突然の事で本当にご愁傷様です
お店に医療関係者がおられ幸いでしたが残念でしたね
ご子息様ご夫婦に看取られさほど苦しむこともなく逝かれお父様はお幸せだったと
思います
まだまだ落ち着かない毎日かと思いますがお体ご自愛くださいませ
お父様のご冥福をお祈りいたしております

ゆめちゃんさん、ありがとうございます。
親戚衆も、息子に看取られて逝ったなんて最高に幸せだって言ってくれました。
好物を食べながら死ぬなんて、なかなか居ないよってね。
まだ、四十九日法要の手配を考えると、なかなか落ちついていられません。
まぁ、息子の宿命と思って諦めてますが・・・。

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