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2023年7月21日 (金)

近況です(山中城址)

みなさん、こんにちは!
女房を連れて温泉に湯治へ行ったわけですが、私は健康なので、お湯にばかり入っていると飽きてしまいます。

ある日、ついに私は午前中だけ抜けだし、愛車を駆って以前から行ってみたかった山中城址へと向かいました。
ホテルからは車で約30分ほど走った三島市山中新田という標高580mの高所にあります。
箱根峠の最上部付近にあたり、越えると小田原に至ります。
(後)北条氏の三代目である北条氏康が小田原城の西を守る重要拠点として築城した山城です。
戦後期時代の末期、天下統一を目前とした豊臣秀吉の最後の総仕上げである、所謂小田原征伐で、押し寄せる豊臣軍3万5千の大軍を相手に、僅か4千の城兵で立ち向かい、半日で全滅した城なんですよ。
小田原征伐の最大の激戦地、(後)北条氏ファンの私としては、一度訪れてみたかった名城なんです。
専用駐車場に愛車を入れ、東海道の箱根峠を少しばかり歩きます。
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杉並木の中を縫うように石畳が整備され、如何にもっていう雰囲気を醸し出す素敵な道でした。
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かつての旅人達は、こうやって険しい箱根峠を越えて行ったんだなぁ・・・。
ずっと歩いてみたい気分でしたが、途中、150mくらいで左側に山中城入り口が見えてきます。
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入口に掲げてあった縄張り図を見て、とりあえず本丸まで歩いてみることに。
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前夜に雨が降ったのですが、場内の道は完全に整備されており、泥濘みもなく、楽に歩くことができました。
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平日だったので、見学客は私以外は数人を見かけただけ。
ゆっくり見学することができましたよ。
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色々通ぶってウンチクを並べてみても、読んで頂いている方には退屈だと思うので、私がどうしても見てみたかった所だけをご案内。
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城の曲輪間に設置されたこの見事な「障子堀」。
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北条流築城術の粋を結集した城なんですね。
ここは所謂、Kill zoneなんです。
押し寄せた豊臣秀吉軍は、この土塁を上り下りさせることで移動を妨げられ、上から弓や鉄砲で狙い撃ちにされるのです。
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今でこそ土塁には草が生えていますが、当時は粘土質の赤土がむき出しで、堀に落ちた豊臣秀吉軍は滑って土塁を登って攻め込むことが困難だったのだそうです。
本城を堪能した後、箱根街道をを挟んだ対岸に急造された「岱崎出丸」も覗いてみました。
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この出丸は、押し寄せる豊臣秀吉軍の侵攻に備えて、急遽、増築された砦です。
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本城とあまり違いはありませんが、発掘された「畝堀」が見事でした。
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見て回っていると、瞬く間に時間は過ぎて、ふと気づいて時計を見ると、すでに時刻は11時を回っています。
女房に昼には戻ると言った手前、あまりゆっくりしてはいられません。
それで、最後に城址に隣接した「宗閑寺」を訪れることに。
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このお寺には、山中城攻城戦で戦死した豊臣方の武将である一柳直末と山中城の主将松田康長、副将間宮康俊兄弟の墓が並んで祭られています。
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墓に手を合わせ、あぁ、ようやく訪れることが出来たなぁ・・・感慨無量です。
う~ん、これぞ兵どもが夢の跡・・・ですねぇ。
続きは、近いうちに。
では!

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日記・コラム・つぶやき」カテゴリの記事

コメント

こんばんは。
念願叶って訪れる事が出来て
良かったですね♡
歴史に全く疎くてすみませんm(_ _)m
お天気もよくて何よりでした✌️

箱根街道は旧東海道とは違うのでしょうか?
何も存ぜずでお恥ずかしい次第です😰

続きをお待ちしております😊

こんばんは
 
行ってみたかった城址にいらっしゃれたのですね。
どこのものかも名前も忘れましたが、北条氏の山城の
堀の見事な様子は、以前TVの番組で見たことがあって
散りを見極めよく考えられているなぁと感心したことが
ありますが、もしかしたらここだったのかしら。
たしか北条氏は城下町も大変よく考えらえた
工事を行っていたのではなかったでしょうか。
これまたほとんど忘れてしまっていて情けないですが、
おなじくTV の番組でそうと知った覚えがあります。
箱根の旧街道も歩かれたのですね。行ってみたいな~
タイムスリップを味わえそうですね。

山中城址へ行って来られたのですね。
歴史好きな「FUJIKAZE」さんが初登城とは意外な感じがしました。
悲劇の城として小田原攻めの時には必ず登場しますね。
自分は旧東海道を往復歩いた時に2度、それ以外でも2度ほど訪れた記憶があります。
「宗閑寺」も勿論行っております。
小田原関連では秀吉側の石垣山一夜城もハイキングと車で其々出かけました。
石垣もあり、頂上から眺める小田原城は感慨深いものがありました。
戦いは経済力だとも。

マコママさん、こんにちは!
はい、旧東海道です。
どうやらあの辺りだけ石畳が再現されているようですね。
昔の人は箱根の坂を歩いて越した訳で、体力があったんだなぁって思いましたよ。

ポージィさん、こんにちは!
はい、TVで紹介されていたのは、おそらくこの山中城だと思います。
後北条氏滅亡後、そのまま廃城となり埋もれてしまったので、
障子堀なんかが当時のまま残っていたのです。
素晴らしいですね。
小田原城も総構えといって城下の町や村を城内に取り込む壮大な城だったのですが、
後北条氏四代の氏政が、気位ばかり高く時代を読む力が無かったばかりに、
小田原城も役に立たず、滅亡してしまった訳です。
ちなみに、今ある小田原城は、江戸時代の物ですよ。

country walkerさん、こんにちは!
山中城址は行きたかったのですが、清水からも横浜からも中途半端に遠く、
まぁ、そのうち行く機会があるだろうと放って置いたのです。
今回は、絶好の機会でした。
小田原城も何度か前を通っているのですが、結局寄らずじまいです。
ここもそのうち機会があるでしょう。
一夜城の跡にも行ってみたいですね。

戦いは経済力、当にその通りですね。
こんな良い前例があったのに、何故日本は米国に戦いを挑んだのか?
不思議です。

こんばんは。
更新がしばらくなかったので、奥様の調子はいかがなのかなあと案じておりました。
今も湯治中とのこと、温泉・おいしい食事・良い風景で
免疫力が上がると良いですね。
山中城址は北条氏の激戦のあった城なのですね。
縄張り図を見ると、規模の大きい城だと驚きました。
緑がいっぱいで目に優しい風景だと思ったら、Kill zoneだったとは。
最近は北条氏にゆかりのある場所を訪れたりしていたので、
興味深く読ませていただきました(^^)

こんばんは♪

ここまではっきりと障子堀の遺構が残っているとは驚きです。
一列に並ぶ畝堀もまた人工的な感じが強く感じられます。
城址の多くは、当時の面影を僅かに残すに留まる印象ですが
この地を大切に管理してきた先人たちの賜物と思います。
当時の富士山の見え方(捉え方)も気になりますし、
歴史の奥深さは、探求しがいがありますね。

堀の様子を見ると当時の戦いの様子が想像されますね
以前旅番組で旧箱根峠を苦労しながら歩いてるシーンを
見ましたが 昔の人って本当に凄い
今では整備された道路をあっという間に車で訪れる
私たちが申し訳なく感じる旧道ですよね
昔懐かしい箱根の歌が思い出されました。

遅くなりましたが拝見しましたよ 私もここへは何度か見に行ってます その都度感心して帰ってきてましたがね それで前回の記事の葛城山ですが ここはロープウェイで登ったことはなくいつも歩いて言ってましたよ ついでに良く駿河湾まで縦走でしたがね でも 両方いい景色ですねー 山中城址にせよ葛城山にせよ 今では良い想い出ですよ。

ナルコユリさん、こんにちは!
女房はとりあえず要介護認定を受けることができたので一安心です。
それでも、明日から一週間再入院ですがね。
私的には、命さえあればって思ってますから。

障子堀は、後北条氏独特のものです。
山中城は敗戦後にそのまま廃城になりましたから、完全復元が可能だったのだと思います。
素晴らしいお城ですよ。
一度お越しになることをお勧めします。

billさん、こんにちは!
この城の攻防戦で何千人もの人が亡くなったと思うと、恐ろしくなりました。
きっと障子堀や畝堀には、死体が沢山転がっていたのでしょうね。
もっとも、そんなことばかり想像して怖い思っていると、日本は何処も歩けなくなりますがね。
とにかく素敵な城址でした。
何時までも大切に残して欲しいものです。
欲を言うならば、ツツジ等の木々や芝生を撤去して当時のままを再現して欲しいものです。
でも、そうすると訪れるのは私の様なマニアだけになってしまいますがね。

当日は富士山は見えませんでした。
見事な富士山が見えるはずなんですが・・・。
冬に訪れるべきでした。

hiroroさん、こんにちは!
昔の人は凄い体力ですね。
この坂を歩いて越して、江戸から京都まで旅をしたのですから。
私の体力でも無理ですよ。
もっとも、自動車も鉄道も無い訳ですから、足だけが頼り。
自信が無ければ歩けませんよね。
箱根は当に天下の険でした。

ハッピーのパパさん、こんにちは!
葛城山、パパさんならば歩いて登るだろうと思ってました。
私もそうしたいところですが・・・女房が一緒でしてから。
山中城は、令の吊り橋の傍でしたね。
きっと行かれていると思いました。
私的には、吊り橋は興味ないので、城址だけしか行きませんでしたよ。

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