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2023年9月18日 (月)

昔むかしのお話です。

みなさん、こんにちは!
そろそろ親父の一周忌法要を準備しないとなぁ・・・。
女房の病気もあって、それどころじゃないのが現実なんですが、これはやらないとねぇ・・・。

で、色々考えていると、何故だか無性に古いアルバムを見たくなり、朝から物置をひっくり返して目当てのアルバムを取り出し、私が子供時代の想い出に浸っておりました。
(添付写真は、スキャンしてAdobeのソフトで修復したものです。)

【憧れた親父の船・・・】
私が小学生の頃、親父が乗っていた船です。
木材運搬船で、船名を「こたきなばる(もちろん日本船ですよ)」って言いました。
Photo_20230918135701
コタキナバル・・・マレーシアの都市名ですね。
ボルネオ島の東マレーシアにある都市です。
親父の船は、このボルネオ島のマーレーシア領まで、切り出されたラワン材を積みに行っていました。
ラワンって分かりますか?
ベニヤ板の材料ですよ。
マレーシアと日本の各港を行き来していたのですよ。
たまに北九州の若松港から横浜港なんて航海があった時、親父は母と私達子供を呼び寄せ、船に便乗させてくれることがありました。
もちろん、私の学校に支障が無いときだけでしたがね。
次の写真は、裏に昭和44年3月撮影と記載があるので、私が小学校1年生の春休みだったのかな。
Photo_20230918135702
横浜港の入口に到着し、投錨して岸壁が空くのを待っている時に撮った写真です。
次は船酔いが治まらず、真っ青な顔をして妹を抱いている母、手前でしかめっ面をしているのが私です。
Photo_20230918135703
この時は、私の叔母(母の妹)が横浜で就職したばかりで、母はその様子を見に行くために父の船に便乗したのだと思います。
航海中、船があまりに揺れるので、母も私も食事が喉を通らなかったなぁ・・・。
懐かしい想い出です。
次は、私がもう少し大きくなってから。
多分、小学校の3年生か4年生くらいかな。
Photo_20230918135704
航海中、船橋で双眼鏡を覗かせて貰っている写真です。
船長か航海士にでもなった気分の私。
当時、親父は一等機関士でした。
船の機関科です。
私は、親父が仕事をしているエンジンルームを覗いて見たかったのですが、子供には危険ということで、船長さんにお願いして、船橋に遊びに行ってました。
当時、双眼鏡でイルカや海鳥等珍しいものを沢山見ましたよ。
貴重な体験をした私は、将来、航海科であれば、船乗りになりたいなぁ、船長になりたいなぁなんて思ったものです。
実際、なってしまうとね。
大変なだけでした・・・最初から飛行機にしておくべきだったなぁ・・・。

【初めて乗った飛行機】
東亜国内航空のYS-11でしたよ。
これがその時、記念に撮った写真です。
Photo_20230918135901
撮った場所は多分、大分空港だったと思います。
今治のドックに親父の船が入ったので、母は夏休み中だった子供達を連れて、家族用のドックハウスに2週間くらい滞在しました。
帰りに母が、「飛行機に乗せてやるよ」って言い、たぶん松山空港から大分空港まで乗ったのだと思います。
私も妹も大興奮でしたよ。
将来、こんな飛行機を操縦してみたいなって思いました。
結局、定年の4年前から飛行機に乗る仕事になりましたから・・・夢は何十分の一くらい叶ったのかな?

【エリア88】
私が高校を卒業する頃に、少年ビッグコミックで連載が始まった漫画です。
6_20230918135901
当時、戦闘機のパイロットを目指していた私は飛びついて夢中で読みました。
単行本も全て買いましたよ。
まぁ、戦闘機パイロットになる夢は叶いませんでしたがね。
先日、なにげなく楽天でDVDを探していると、偶然、この漫画のDVDを発見。
でも、新品の商品はなく、全てレンタルビデオ屋の「レンタル落ち」が販売されているものでした。
それでも価格は全6巻で1万円オーバーです。
欲しいなぁ・・・でも中古じゃあなぁ・・・悩みましたが、結局、ポチッとしてしまいました。
7_20230918135901
壊れてないかな?
心配でしたが、全巻正常に再生できて、ホッとしましたよ。
8_20230918135901
で、視終わって結論。
あぁ・・・やっぱり戦闘機乗りになりたかったなぁ・・・。

では!

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日記・コラム・つぶやき」カテゴリの記事

コメント

こんにちは。
思い出が沢山の可愛い頃のお写真有り難うございます♡
お母様お綺麗な方でしたね♡
妹さまも辛そうな?お顔😰船酔いは堪えますね!

お船から憧れの飛行機へ!機上からのお写真も楽しみですよ♡
YSー11は昔、羽田空港から小牧空港迄、乗りました♡
大島の上空でエアポケットに入り急降下。
夫は初めて乗ったので大丈夫かな?って!
私は死ぬときは一緒でしょ!って言ったのですよ!
無事、降り立ちましたが、そこから一宮迄、帰る方が時間がかかりガッカリでした😰
私は幼少時!何度も飛行機乗ってました♡
今、もう乗ることも出来ず(;_;)

又、お空からのお写真お待ちしております。

奥様、お大事に〜♡♡

こんばんは~。

家族の歴史って面白いですね。
お父様は海の上で、FUJIKAZEさんは海と空で人生の多くの時間を過ごされて。
これも“縁”というか“血”なのでしょうか。
そんなことを思いながら拝読しました。
お父様もお母様も良い思い出を残して下さいましたね。
私が子供の頃に乗った船といったら・・・若戸渡船くらいでしたよ。(笑)

こんばんは。ご無沙汰しております。
親子の間にはいろいろあったことお察しいたしますが、ふとした瞬間にこうした思い出に接すると、私なんかは楽しかったことばかりがよみがえってくる気がしますが、どうでしょうか。

それにしても、YS-11と東亜国内航空。いずれも存在は知っていたけれど、実際に接することはできなかったもの。うらやましいです。YS-11には乗れず、TDAは初めて乗った時はすでにJASになっていました。

ご家族との懐かしい思い出がいっぱい詰まったアルバム。
アルバムを見て、すっかり忘れてしまった出来事を思い出すことがありますね。
幼いころの夢でもあった航空機や船舶に乗ることも叶い、好い人生を送っておられるのではないでしょうか。。
自分が子供の頃は赤バットの川上、青バットの大下。
当時は東京に住んでいたので昔の後楽園球場にチンチン電車に乗って出かけたものです。セもパも無い1リーグ制。
そんな時代でしたが将来の夢は野球選手でした。
夢と現実のギャップ、「FUJIKAZE」さんより遥かに大きかったです(笑)

私が初めて乗った飛行機は東亜の宮崎→福岡間でした。
あっという間に着陸だったけど 随分気分高揚でした。
初めての船は青函連絡船。
でも2歳だったので記憶はなく。
写真があるのみです。
どちらも遥か昔。
夢が全部叶う人は殆どいないけど
どちらも近づいてるFUJIKAZEさんは凄いですよ。

こんばんは♪

貴重な写真の数々、素晴らしいですね。
大型船(と言っていいかどうかは不明ですが)といえば、
学生時代の修学旅行で大阪から九州まで乗船して以来ありません。
(幸いにも船酔いはしませんでした)

飛行機といえば、先日、福島県上空をブルーインパルスが飛行しました。
様々な事情で規模的に縮小となってしまったようですが、
かなりの賑わいだったようです。

マコママさん、こんばんは!
はい、お袋は美人でしたから、親父も同僚に見せびらかしたかったのだと思います。
この頃が我が家で一番幸せな時だった様な気もしますよ。
そのお袋も私が二十歳の時に死に、妹もまるで後を追うように死にました。
親父も去年死に・・・もう血の繋がった肉親は居ませんよ。

エアポケットはよく経験しますが、まぁ、大丈夫ですよ。
ただ、コーヒーがひっくり返ったりして、パソコンにかかると厄介なので、私はコーヒーを出来るだけ速く飲む様にしています。

ささみさん、こんばんは!
私が船乗りになったのは、親父の血ですね。
だから、親父が戦闘機乗りだったら、私もそうなれたのにと思い、残念です。

若戸渡船ですか。
懐かしいなぁ・・・。
私が子供の頃は、渡し賃が子供10円だったかな。
だから用も無いのに戸畑へ渡って、帰りは若戸大橋の人道を歩いて若松に帰ってましたよ。
懐かしい想い出です。

いかさまさん、こんばんは!
そうですね。
親父の一周忌を考えていると、何だか急に子供の頃の写真を見たくなったのです。
嫌な事は沢山あったはずですが、何故だか楽しかった思い出ばかり思い出しますね。
不思議なものです。
東亜国内航空は初めて乗った飛行機ということもあり、ファンでした。
だからJASにも良く乗りましたよ。
YS-11は、次に乗った飛行機も航空自衛隊のYS-11でした。
体験飛行で乗せてもらったのですよ.。
あと、私の会社も、以前、YS-11を運用してたので、出張はよく乗りました。
とても思い出深い飛行機でした。

country walkerさん、こんばんは!
船乗りは謂わば家業でしたから・・・。
親父が普段居ない分、お袋が厳しくて、頻繁に体罰を受けていました。
今のご時世だったら、間違いなく逮捕されると思いますよ。
たまに親父の船に乗るくらいでは、割に合いません。
私的には、東京に住んで川上や大下を見ることが出来たcountry walkerさんの方が恵まれていると思いますよ。
夢・・・叶える人って、きっと少ないのでしょうねぇ・・・。

hiroroさん、こんばんは!
hiroroさんも、初めての飛行機は東亜国内航空でしたか。
たしか当時の東亜は、子供が乗ると、お菓子やオモチャを沢山くれたような記憶があります。
そうだったですよね。

青函連絡船ですか。
乗ったことはありません。
ただ、当時私が乗っていた船が、青森港の入口で、青函連絡船の摩周丸と衝突しそうになったことがあります。
霧の深い日でした。
汽笛から船が接近していたことは判っていたはずなのですが、当時の私の船の船長が気付かなくて、危うく二十一歳で命を落とすところでしたよ。
今となっては懐かしい想い出ですがね。

billさん、こんばんは!
そうですねぇ・・・。
今となっては撮ることが出来ない貴重な写真ですね。
よく撮っておいてくれたって、両親に感謝です。
大阪から九州ですか。
だったらきっと阪九フェリーですね。
親父の友人が務めていました。
私も帰省の時に、よく乗りましたよ。

ブルーインパルスのことは、Yahoo!ニュースで知りました。
私も見たかったですよ。
中学生の時に、築城基地の航空祭で初めて見て以来、ブルーインパルスは憧れです。
パイロット隊員になりたかったなぁ・・・。

いい思い出ですねー 私は8歳の頃親父に行かれまして 思い出どころじゃなかったです 4人兄弟の末っ子でしばらくは泣いて暮らしてましたよ ですが 母親が頑張ってくれて今があるんですがね。愛する伴侶とも出会えたし 世の中悪い事ばかりじゃないですね。

ハッピーのパパさん、こんにちは!
そうでしたか。
私の母は、私が20歳まで頑張ってくれましたから、子供時代は不便はありませんでした。
ただ、これと言って親孝行は出来ませんでしたがね。

何が幸運で何が不運なのか・・・人生って、塞翁が馬ですね。

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