初めての姫路旅行(初日)
みなさん、こんにちは!
私、ゴールデンウィーク中は、6日だけ仕事が組まれていますが、ほぼカレンダーどおりのお休みです。
おかげで家の片付けが捗りますが、私的には飛行機で仕事をしていた方が気が紛れるんですがねぇ・・・。
さて、私が精神科医のカウンセリングを受けていることは以前にお話しましたが、2月に受けた時、先生から、「旅行が趣味だったのならば、行くことも薬になりますよ」と言われました。
それならば行ってみようと、2月下旬に有休を取り、初めて出かけてみたのが姫路です。
計画を立てて、新幹線やホテル、レンタカーを予約して・・・なるほど。
確かに計画の段階からウキウキしてきました。
地獄までお金は持って行けないのだから、これから旅行三昧も良いかもなって気持ちにもなりました。
26日、早朝の新幹線に乗って静岡発、姫路へと向かいました。
10時前に到着し、レンタカーを受け取り、先ずは行きたかった姫路城へ。
この日、姫路市内はあいにくの曇り空。
小雨が降ったり止んだりで、雨かと思えば時折青空が広がる複雑な空模様でした。
姫路城前の広い駐車場に車を入れ、姫路城へ向かいます。
日本史好きとしては、一度で良いので訪れてみたかったお城です。
新幹線の窓越しにしか見たことがなかったものね。
かつては豊臣秀吉が中国侵攻の足がかりにした城です。
もっとも、その頃の痕跡はほぼ残っておらず、現在の姫路城は関ヶ原の後、池田輝政が築いたものです。
その後の城主は、本多、松平、榊原、酒井と徳川家の譜代大名ですから、その辺は私的にはイマイチなんですが、それでも、日本一のお城ですからね。
見ておかないと。
入場料1,050円(「西御屋敷跡庭園」の入場料込み)を支払い、「菱の門」から城内へ。
真っ先に天守へ行きたい・・・逸る心を抑えて、先ずは「西の丸」へ行きました。
ここは城の女達が生活していた所で「百間廊下」という長い廊下で各部屋が繋がれています。
かつては、豊臣秀頼の室であった千姫も大坂夏の陣の後、本多忠刻に嫁ぎ、ここで生活していたとか。
千姫の部屋も再現されていました。
「西の丸」の見学を終え、いよいよ天守へ向かいます。
途中、「はの門」を潜り、鉄砲狭間のある石段です。
これは姫路城を紹介するTV等で、良く見る石段ですね。
「にの門」を潜ると、いよいよ天守が間近に迫ってきます。
しかし、天守に至るまで、何度も道は折れ曲がって複雑な構造をしています。
さすが城造りの名人と言われた池田輝政です。
あぁ、私は嫌いですがね。
天守(大天守)は五層六階であって、これは松本城と同じ。
しかし、中に入ると明らかに松本城よりも広く感じます。
勿論最上階まで登りましたよ。
ただ、平日だというのに観光客の多いこと。
半分は中国人だと思います。
大声で飛び交う中国語に気分は台無しですが、それでも最上階まで。
最上階には「長壁神社」が祭られていました。
なんでも、姫路城の守り神なんだとか。
最上階からの景色は、絶景を期待してましたがこんな感じ。
まぁ、これがリアルですね。
昔のままですから。
混んできたので天守を下りて小天守へ。
姫路城は連立式天守で大天守に回廊で「東小天守」「乾小天守」「西小天守」が繋がっています。
この日はちょうど特別公開期間に当たっていました。
どうりで観光客が多いわけだ。
観覧料300円を払って入場。
「東小天守」「乾小天守」は2階部分を通過するだけでしたが、「西小天守」は最上階まで登ることが出来ました。
入って驚いたのは、床板が凸凹なこと。
おぉ、素晴らしい!
これは建造当時のままの床板なのだそうです。
凸凹しているのは「鉋」が掛けられていないから。
建造当時、大工道具の「鉋」はまだ発明されていなかったのです。
これが一番感動したかな。
きっと戦国時代の侍達が歩いたであろう床板を私も踏むことが出来ました。
「西小天守」は三重構造です。
本来、籠城時に大天守を守るのが役割の櫓なんです。
これが、最上階からの景色。
最初に行った「西の丸」の「百間廊下」が良く分かります。
これで終了、天守から出ました。
そのままぐるりと城郭を一回りして「備前丸」の下へ。
ここには「お菊井戸」(下の写真の真ん中)があります。
そう、有名な怪談「播州皿屋敷」で、お菊が家宝の皿を割った罪で投げ込まれた井戸ですよ。
耳を澄ましましたが、残念ながら一枚・・・二枚・・・の声は聞こえませんでした。
この後、「ぬの門」を潜って「二の丸」へ入り、「いの門」を潜って「三国堀」へ。
ここで天守を撮影です。
この「三国堀」越しに撮る天守が一番綺麗かな。
中国人観光客達がひっきりなしに来て記念写真を撮る合間を縫ってようやく撮ることが出来ました。
少し名残惜しかったのですが、姫路城を出て、次は「西御屋敷跡庭園」へ。
この庭園は「好古園」と言って、姫路市制百周年を記念して建造された約1万坪の日本庭園なのだとか。
平成4年4月の開園と言いますから、そんなに古いものではありません。
ということで、私はあまり期待していませんでしたが・・・何とも見事な庭園でした。
元々は、武家屋敷等が並んでいた場所なのだそうです。
九つの大小の庭園があって、それが全て見て回ることが出来ます。
「好古園」の名の由来は、元々この辺りにあった藩校の名前なのだとか。
元々、草花や庭園に興味の無い私ですが、けっこう楽しめましたよ。
これで姫路城の入場料と併せて1,050円はお得だと思いました。
この庭園九つ全ての観覧を終えたら、ちょうどホテルのチェックイン時刻になったので、車を出してホテルへ。
部屋へ入り、さて、夕食は何処で何を食べようか・・・と考えた時、暗い気持ちになり落ち込みました。
これまで旅行はいつも女房と一緒、2人で行った先の名物料理を調べてお店を選んでいたのですが、今後はそれもなし。
どうでもいいや・・・と、ホテル近くにあった牛丼屋チェーンで済ませました。
翌日は、どちらかというとこっちがこの旅の本命の「紫電改」へ。
更新は近いうちに。
では!
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