無料ブログはココログ

« 2024年4月 | トップページ | 2024年6月 »

2024年5月

2024年5月25日 (土)

羽田エアポートガーデンで暇つぶし

みなさん、こんばんは!

今日の静岡は夏日の予報でしたが、一日中スッキリしない曇り空でした。
おかげで涼しく過ごせましたよ。

さて、先日、久しぶりに「羽田エアポートガーデン」に行ってみました。
例の石灰沈着性腱板炎の2回目の診察のため、この日は午前中休みを取り、仕事は午後から。
9時の予約で病院へ入りました。
時間が掛かると思っていたのですが、先生から、あっさり完治している旨を告げられ、診察は5分で終了。
9時20分には病院を出ることに。
と、なると、午前中の時間が余ってしまいます。
・・・何処へ行こう・・・で、行った次第。
「羽田エアポートガーデン」から会社までは、10分くらいで行けるので、ここで昼飯まで食べてから、出勤することにしました。
1_20240525171801
「羽田エアポートガーデン」は、空港の第3ターミナルと連絡路で直結されています。
2_20240525171801
昨年の1月31日に全面開業したばかりの、羽田空港の新しい施設なんですよ。
いつもは観光客で賑わってますが、この時は平日の午前中だったので比較的空いてました。
3_20240525171901
ホテルや展望天然温泉、ショッピングエリア等、施設は充実しています。
大きな駐車場もあるので、何回か車で来たのですが、今回は京急線を利用しました。
4_20240525171901
この日はゴジラとキングコングの映画のイベントが開催されており、大きなゴジラのフィギュアが展示されていました。
5_20240525171901
なんだかねぇ・・・。
最近のゴジラって、
6_20240525171901
私が子供の頃に視た映画のゴジラとは、随分印象が違いますよねぇ・・・。
何も目的は無いので、ショッピングエリアのお店をひやかして回りながら、時間つぶしです。
1階の広場には、能舞台が組まれていました。
7_20240525172001
靴さえ脱げば、上がって自由に写真を撮って良いとのこと。
8_20240525172001
う~ん、これは外国人向けですね。
ショッピングエリアのお店にも、そんな外国人観光客が喜びそうな土産物がいっぱいです。
9_20240525172001
私も一つ、買ってみることに。
これ、東京国立博物館の公認グッズのスイーツなのだそうです。
10_20240525172001
葛飾北斎の富岳三十六景をプリントした缶入りのアーモンドチョコレートなのだそうな。
11_20240525172001
中味のチョコレートよりも、缶の方が価値がありそうですね。
日持ちしそうだから、次に九州へ帰るときのお土産にしよう。
これで終了。
昼飯を食べてモノレールで会社へ戻りました。
昼飯?本当は鰻が食べたかったけれど、お金は無いし・・・能舞台の前にあったゴーゴーカレーで済ませました。
12_20240525172001
久々にここのカツカレーを食べましたが、私的にはココイチの方が好みかな。
それから、ショッピングエリアでTシャツも買いました。
カッコウ好いでしょう?
絵は夜光塗料で描かれていて、暗闇で光るのだそうです。
13_20240525172101
表側は、着陸寸前のコクピットから見た、羽田の滑走路がデザインされています。
で、裏側は着陸する旅客機です。
14_20240525172101
これは・・・エアバスA340?なのかな・・・?
よし、石垣島へ着て行こう。
結論、「羽田エアポートガーデン」は、お金さえ沢山あれば、とても楽しめる施設ですよ。
・・・それは、どこも同じか・・・。

では!

2024年5月22日 (水)

戦いすんで日が暮れて・・・。

みなさん、こんばんは!
先日、居間のソファで昼寝をしたところ、起きてビックリ。
左腕が上がらなくなりました。
無理に上げようとすると、左肩にピリリッと針で刺すような激しい痛みが走ります。
てっきり寝違えたかなと思ってバンテリンを塗ったのですが改善せず。
翌日、時間休を貰い、横浜の痛みに特化した病院へ。
診断の結果、「石灰沈着性腱板炎」とのこと。
肩の腱板にカルシウムが溜まる病気だそうです。
幸いカルシウムは未だ固まっておらず液状だとのことで、でっかい注射針を刺して抜きました。
局部麻酔をしましたが、思わず涙が溢れて来るくらい痛かったですよ。
でも、これで全快、痛かったことが嘘の様です。

では、記事を更新。
気が遠くなるような・・・遙か彼方の洋上で戦いを終えて・・・さぁ、羽田へ帰ろう・・・。
「遠い地平線が消えて、深々とした夜の闇に心を休める時、遥か雲海の上を、音もなく流れ去る気流は、たゆみない宇宙の営みを告げています・・・」
1_20240522222801
なんてね。
ジェットストリームって、きっと、こんなイメージなんだろうなぁ。
眼下には、紅く染まった富士山が雲上から顔を覗かせ、
2_20240522222901
三浦半島が光と影の境に消えてゆく幻想的な世界。
いつまでも眺めていたい光景・・・。
横須賀の街灯りが、まるで星灯りの様・・・思わずため息が漏れてしまいます。
3_20240522222901
う~ん、飛ぶって素敵だよなぁ・・・。
Runway 34 L、無事着陸して愛機は駐機場へ。
4_20240522222901
スポットに入って、さて後片付けだ。
5_20240522222901
隣はハワイアン航空だな。
6_20240522222901
これに乗ればハワイへ行けるのかなぁ・・・。
7_20240522222901
行ってみたいなぁ・・・。
あぁ、エア・カナダも出発だ・・・。
8_20240522223001
遠くへ行きたいなぁ・・・。

では!

2024年5月11日 (土)

念願の岩屋城址へ。

みなさん、こんにちは!
さて、今日の記事は女房が亡くなる10日前、親父の一周忌法要を営むために、私一人、小倉へ戻った時のものです。
この時、既に女房は入院中でしたがまだ元気でしたので、まさか数日で亡くなるとは思わず、入院させているから安心だって思い旅立ったのです。
11月8日、静岡空港から福岡空港へ。
レンタカーを借りて小倉のお寺へ行き、法要を済ませました。
1_20240511152101
その後、我が家の墓地がある霊園へ行き、今後のことを色々と相談して、この日はホテルへチェックイン。
2_20240511152101
夜は友達と飲んで、翌朝、早めにホテルを出て太宰府方面へと向かいました。
目的地は岩屋城址です。
岩屋城って、ご存知でしょうか?
高橋紹運(たかはしじょううん)公という英雄が亡くなったお城です。
前にも書きましたが、私が心から尊敬している戦国武将は、一に上杉謙信公、二に立花宗茂公、三、四が無くて五に真田信繁公なんです。
以下、簡単にご説明しますと、高橋紹運公は立花宗茂公の実父です。
立花宗茂公は高橋紹運公の嫡男でしたが、子に男子の無かった立花道雪公に乞われ、立花家の跡取りとして養子に入った訳です。
三人共に大友宗麟の家臣であり、何と言っても北部九州の英雄なんですよ。
天正14年(1586年)、九州統一を目論む薩摩の島津義久は、豊臣秀吉の惣無事令(私闘を禁じる命令)に背き、島津忠長、伊集院忠棟といった島津家の名将に5万もの兵を授け、北部九州へと兵を進めました。
九州の国人、豪族の殆どが島津を恐れて靡き、主君である大友宗麟は豊前を逃げ出して豊臣秀吉に助けを求める中、毅然と島津軍に立ち向かったのが、高橋紹運公と立花宗茂公なのです。
高橋紹運公は僅か763名の城兵と共にこの岩屋城に立て籠もりました。
島津の降伏勧告を拒み、巧みな戦術で島津軍の猛攻を何度も撃退し、二週間もの間耐え続けましたが、最後は落城、城兵もろとも玉砕して果てたのです。
そんな岩屋城址を是非訪れてみたいって、ずっと考えていました。
太宰府に着き、ナビに概ねの所在地を入れて山道を走りました。
クネクネとした山道を山に沿って登り、そろそろ頂上かなってところで、岩屋城址の案内板を発見。
3_20240511152101
近くの路側帯に車を駐め、案内板まで戻りました。
案内板の横に、コンクリートで固められた階段が付いています。
4_20240511152101
この上かぁ・・・。
つづら折りの急な階段をせっせと登り・・・
5_20240511152101
10分も登らないうちに頂上が見えてきました。
6_20240511152101
着いたぁ~。
ここが岩屋城の本丸跡です。

7_20240511152201
朽ちかけたコンクリートの碑に文字が・・・岩屋城本丸跡と読めます。
8_20240511152201
この場所に建っていたであろう櫓の上で、最後に高橋紹運公は切腹して果てたんだなぁ・・・。
傍らには、この城で討ち死にした家臣の子孫が建碑したという石碑があり、大きな字で「嗚呼壮烈岩屋城趾」と刻まれていました。
9_20240511152201
ついに来ることができたなぁ・・・感無量です。
この石碑から、太宰府の街が眼下に一望できます。
10_20240511152201
764人で5万人を相手に闘う訳ですから、明らかに勝機は全くありません。
我が子、立花宗茂公の立て籠もる立花城を島津軍が襲う時間を引き延ばすことが目的の必死の闘い。
高橋紹運公と勇士の兵たちは、眼下に陣取る5万もの島津軍を眺めて、本当はどんな気持ちだったのだろうなぁ・・・。
しばらく感慨に浸り、下山しました。
すぐ近くに高橋紹運公の墓所があるとのことですので参拝することに。
11_20240511152301
100m程下ると案内板があり、その横に下る山道が付いていました。
12_20240511152301
よく整備された道で、5分程下ると・・・
13_20240511152301
少し開けた場世に出て、あぁ、ありました。
岩屋城の二の丸跡なのだそうです。
14_20240511152301
ここが玉砕して果てた高橋紹運公と763人の勇士の兵達の墓所です。
高橋紹運公と名のある上級武士は首を取られていますから、ここは正式には胴塚ですね。
個人の所有地とのことでしたので、奥へは入らずに参拝しました。
これで終わりの予定でしたが、岩屋城址に思ったよりも早く着くことができたので、帰りの飛行機の時刻までかなり余裕があります。
それならば、高橋紹運公の首塚へ行ってみようと、筑紫野市の般若寺跡にあるという情報だけで出発しました。
途中、水城(みずき)の前を通ったので立ち寄ってみることに。
15_20240511152301
小学校の遠足以来かなぁ・・・。
もっとも、立ち寄ったのは東門跡にある資料館だけです。
16_20240511152301
水城ってご存知ですか?
大化の改新の後、大和朝廷を掌握した天智天皇(中大兄皇子)が、朝鮮半島で新羅に滅亡させられた百済の王子に乞われ、天智2年(663年)百済を救済するために朝鮮へ兵を送りましたが、唐・新羅の連合軍に白村江(はくすきのえ)の戦いで大敗してしまいました。
17_20240511152401
こうなると、いつ唐・新羅連合軍が日本へ押し渡って来るやも知れず、天智天皇がその防衛の為に造った城砦とこれに連なる巨大な土塁が水城なんです。
18_20240511152401
資料を一通り見て回っていると、資料館の方が色々と説明して下さるので、最後に首塚のことも聞いてみました。
19_20240511152401
よくご存知で、行き方を親切に教えて下さいましたよ。
それは水城から車で20分くらいかかる住宅街の中。
小高くなった住宅街の一角に、岩屋城址と同じ様な塚がありました。
20_20240511152401
島津軍の大将である島津忠長は、首実検の後、高橋紹運公の首をこの地に埋葬したと伝わっているそうです。
21_20240511152401
この戦いで島津軍も3千余りの戦死者を出し、大打撃を受けました。
この後、島津軍は立花宗茂公の立て籠もる立花城を攻める訳ですが、ここでも大打撃を受けて攻めあぐんでいる間に門司に豊臣秀吉の薩摩征伐軍が上陸して来たことから、立花城の攻略を諦め、九州統一を断念した島津軍は薩摩へと引き返すことになるのです。
そんな訳で、私は立花宗茂公や高橋紹運公、立花道雪公が大好きなのです。
次は立花城址へ行けると良いなぁ・・・。
では!

2024年5月 3日 (金)

初めての姫路旅行(2日目)

みなさん、こんにちは!
ゴールデンウィーク後半が始まりましたね。
私、昨日は車で出勤して仕事を終え、そのまま清水へと帰りましたが、青葉インターから東名に乗ろうとしたところ、既に東名の下り車線は大渋滞でした。
清水の自宅まで、何と3時間40分も掛かってしまいましたよ。
6日は仕事なので5日の夕方には横浜に戻る予定ですが、TVワイドショーの高速道路渋滞予測では、5日が一番酷いのだそうです。
う~ん・・・。

では、前回の続きです。
翌日は早起きして急ぎ朝食を済ませ、7時半にはホテルを出発しました。
目指すは加西市鶉野町にある「soraかさい」というミュージアムです。
そのミュージアムにはね、日本海軍の局地戦闘機「紫電改」の実物大レプリカがあるのです。
レンタカーのカーナビに目的地をセットし、あとはカーナビ任せで走りました。
当日は雲はあるものの好い天気。
運転していて心もウキウキします。
田舎道をひたすら1時間くらい走ると、前方にへぽんと旭日旗が飜った建物が見えてきました。
やれやれ、ようやく到着です。

1_20240503150801
開館は9時からで、まだ30分以上も時間がありました。
来客者用の駐車場には私の車が1台だけ。
私の計画としては、一番乗りで入館して他に観客が居ないうちに、つまり写真に他人が写り込まないうちに、さっさと飛行機の撮影を済ませてしまおうというものです。
だから、誰も来ませんように・・・と、ドキドキしながら開館を待ちましたよ。
9時になり開館と同時に、それっ!と入館です。
当時、入館料は無料でした。(4月1日から大人200円なのだそうです。)

2_20240503150901
計画どおり一番乗りに成功!ヨシ!「ワレ奇襲ニ成功セリ」!!!
運の良いことに、私以外の観客は来ませんでした。
さあ!憧れの「紫電改(紫電二一型)」とご対面です。
3_20240503151001
う~ん、素晴らしい!!!
これまでに何度も見た零式艦戦とは明らかに異なり、こちらは大きくて重厚感があります。
4_20240503151001
これはレプリカとは言え実物大、細部まで精巧に再現して完成した模型なんです。
5_20240503151101
私としては大感激ですよ。
子供の頃、ちばてつや氏の「紫電改のタカ」の単行本を買って夢中で読みました。
6_20240503151101
自分が滝城太郎になった気分でね。
最後の出撃シーンは涙が止まらなかったなぁ・・・。
7_20240503151101
その憧れた「紫電改」が、今、目の前にあるのですから、興奮は止まりませんよ。
尾翼の機体番号は、有名な「紫電改」部隊であった三四三空の笠井智一氏の乗機であることを表しています。
8_20240503151401
他の客が来る前に・・・と、「紫電改」の周りをグルグルと回りながら、夢中で激写しまくる私をミュージアムのおねーさん達はきっと冷めた目で見ていた・・・と思いますよ。
9_20240503151401
あぁ、いい歳をした変なマニアが来たってね。
10_20240503151501
はい、私は60歳を超えた変な飛行機マニアです。
こんな機会に人の目なんて気にしませんよ。
この時、私の目に映るのは「紫電改」だけでした。
11_20240503151701
とりあえず、「紫電改」を後悔しないだけ撮ってコックピットの模型に。
12_20240503151801
「紫電改」の実物大コックピット模型です。
13_20240503151801
これも、計器類は精巧に再現されているそうです。
ただ、座席にクッションが置かれていたのには、興ざめでしたがね。
14_20240503151801
何でも、子供はこのコクピット模型に搭乗体験が出来るのだそうな。
それで、剥き出しの座席だとお尻が痛いって子がいたのだろうね。
これで「紫電改」は終了して、次は「九七式艦上攻撃機」の実物大模型へ。
そうそう、なぜこの加西市に「紫電改」や「九七式艦上攻撃機」のミュージアムがあるのか。
15_20240503151801
「紫電改」については、戦時中、この場所の近くに「川西航空機姫路製作所鶉野工場」があり、紫電改の組み立てが行われていたのです。
「九七式艦上攻撃機」については、やはり戦時中、ここに「姫路海軍航空隊」があって、「九七式艦上攻撃機」を使用した操縦士と特攻隊員の養成が行われていたのです。
16_20240503151801
この土地には、そんな縁があるのですよ。
17_20240503151901
だからこの「九七式艦上攻撃機(一一型)」の模型も800kg爆弾を抱いています。
18_20240503151901
私的には、魚雷を抱いていて欲しいところですが、この基地の「九七式艦上攻撃機」は特攻機という設定ですからね。
19_20240503151901
これも満足がゆくまで撮ったところで、観光客数名が入館して来るのが見えました。
それで機体の撮影は終了。
他の展示物を見て回り、記念品を買ってミュージアムを出ました。
短いようですが、それでも1時間くらいは滞在しましたよ。
この後は、近くに「姫路海軍航空隊」の正門が復元されているというのでそれを見て、
20_20240503151901
また、航空隊の対空陣地が再現されているというのでそれも見ました。
21_20240503152001
機銃の模型を見てビックリ。
何とこの機銃は映画「男たちの大和」で使用されたセットを東映から譲り受けたものだそうです。
と、言うことは、以前、私が呉で見た撮影セットの一部なんだなぁ・・・。
久しぶりの再会?に、ちょっと感慨深いものがありました。
これで加西市を後にして姫路市内へと戻りました。
レンタカーを返し、帰りの新幹線を待つ間、お腹も空いたし何か食べようと駅の食堂街へ。
どれもイマイチ気が進まなかったのですが、フードコートに「姫路玉子焼き」なるものが???えっ?明石焼きじゃあないの???
名物?を食べてみることにしました。
22_20240503152001
作りたてに出汁を絡ませて口に含むと、中からトロトロの液体が・・・熱っ~い!!!若干ですが口内を火傷してしまいました。
美味い?う~ん、私的には、普通にたこ焼きの方が好みかな。
ミュージアムで買った記念品ですが、「紫電改」クリアファイルを2枚、
23_20240503152001
と、「紫電改」Tシャツです。
24_20240503152001
どちらもカッコウ良いでしょう?
Tシャツはダイビングで着ようかな。
これで終わりです。
調べてみると、戦後米国がぶんどって本国へ運んだ「紫電改」の実機が、完全な形でスミソニアン博物館に展示してあるのだそうな。
仕事をリタイアしたら絶対に見に行くぞ。
では!

【追記】
今年も我が家の庭の梅は満開でした。
25_20240503152001
もう、愛でる女房はいませんがね。
毎年恒例のだるま市にも行きましたよ。
26_20240503152101
今年から購入するだるまさんは、1体だけになってしまいました。
さびしいなぁ・・・。

« 2024年4月 | トップページ | 2024年6月 »