念願の岩屋城址へ。
みなさん、こんにちは!
さて、今日の記事は女房が亡くなる10日前、親父の一周忌法要を営むために、私一人、小倉へ戻った時のものです。
この時、既に女房は入院中でしたがまだ元気でしたので、まさか数日で亡くなるとは思わず、入院させているから安心だって思い旅立ったのです。
11月8日、静岡空港から福岡空港へ。
レンタカーを借りて小倉のお寺へ行き、法要を済ませました。
その後、我が家の墓地がある霊園へ行き、今後のことを色々と相談して、この日はホテルへチェックイン。
夜は友達と飲んで、翌朝、早めにホテルを出て太宰府方面へと向かいました。
目的地は岩屋城址です。
岩屋城って、ご存知でしょうか?
高橋紹運(たかはしじょううん)公という英雄が亡くなったお城です。
前にも書きましたが、私が心から尊敬している戦国武将は、一に上杉謙信公、二に立花宗茂公、三、四が無くて五に真田信繁公なんです。
以下、簡単にご説明しますと、高橋紹運公は立花宗茂公の実父です。
立花宗茂公は高橋紹運公の嫡男でしたが、子に男子の無かった立花道雪公に乞われ、立花家の跡取りとして養子に入った訳です。
三人共に大友宗麟の家臣であり、何と言っても北部九州の英雄なんですよ。
天正14年(1586年)、九州統一を目論む薩摩の島津義久は、豊臣秀吉の惣無事令(私闘を禁じる命令)に背き、島津忠長、伊集院忠棟といった島津家の名将に5万もの兵を授け、北部九州へと兵を進めました。
九州の国人、豪族の殆どが島津を恐れて靡き、主君である大友宗麟は豊前を逃げ出して豊臣秀吉に助けを求める中、毅然と島津軍に立ち向かったのが、高橋紹運公と立花宗茂公なのです。
高橋紹運公は僅か763名の城兵と共にこの岩屋城に立て籠もりました。
島津の降伏勧告を拒み、巧みな戦術で島津軍の猛攻を何度も撃退し、二週間もの間耐え続けましたが、最後は落城、城兵もろとも玉砕して果てたのです。
そんな岩屋城址を是非訪れてみたいって、ずっと考えていました。
太宰府に着き、ナビに概ねの所在地を入れて山道を走りました。
クネクネとした山道を山に沿って登り、そろそろ頂上かなってところで、岩屋城址の案内板を発見。
近くの路側帯に車を駐め、案内板まで戻りました。
案内板の横に、コンクリートで固められた階段が付いています。
この上かぁ・・・。
つづら折りの急な階段をせっせと登り・・・
10分も登らないうちに頂上が見えてきました。
着いたぁ~。
ここが岩屋城の本丸跡です。
朽ちかけたコンクリートの碑に文字が・・・岩屋城本丸跡と読めます。
この場所に建っていたであろう櫓の上で、最後に高橋紹運公は切腹して果てたんだなぁ・・・。
傍らには、この城で討ち死にした家臣の子孫が建碑したという石碑があり、大きな字で「嗚呼壮烈岩屋城趾」と刻まれていました。
ついに来ることができたなぁ・・・感無量です。
この石碑から、太宰府の街が眼下に一望できます。
764人で5万人を相手に闘う訳ですから、明らかに勝機は全くありません。
我が子、立花宗茂公の立て籠もる立花城を島津軍が襲う時間を引き延ばすことが目的の必死の闘い。
高橋紹運公と勇士の兵たちは、眼下に陣取る5万もの島津軍を眺めて、本当はどんな気持ちだったのだろうなぁ・・・。
しばらく感慨に浸り、下山しました。
すぐ近くに高橋紹運公の墓所があるとのことですので参拝することに。
100m程下ると案内板があり、その横に下る山道が付いていました。
よく整備された道で、5分程下ると・・・
少し開けた場世に出て、あぁ、ありました。
岩屋城の二の丸跡なのだそうです。
ここが玉砕して果てた高橋紹運公と763人の勇士の兵達の墓所です。
高橋紹運公と名のある上級武士は首を取られていますから、ここは正式には胴塚ですね。
個人の所有地とのことでしたので、奥へは入らずに参拝しました。
これで終わりの予定でしたが、岩屋城址に思ったよりも早く着くことができたので、帰りの飛行機の時刻までかなり余裕があります。
それならば、高橋紹運公の首塚へ行ってみようと、筑紫野市の般若寺跡にあるという情報だけで出発しました。
途中、水城(みずき)の前を通ったので立ち寄ってみることに。
小学校の遠足以来かなぁ・・・。
もっとも、立ち寄ったのは東門跡にある資料館だけです。
水城ってご存知ですか?
大化の改新の後、大和朝廷を掌握した天智天皇(中大兄皇子)が、朝鮮半島で新羅に滅亡させられた百済の王子に乞われ、天智2年(663年)百済を救済するために朝鮮へ兵を送りましたが、唐・新羅の連合軍に白村江(はくすきのえ)の戦いで大敗してしまいました。
こうなると、いつ唐・新羅連合軍が日本へ押し渡って来るやも知れず、天智天皇がその防衛の為に造った城砦とこれに連なる巨大な土塁が水城なんです。
資料を一通り見て回っていると、資料館の方が色々と説明して下さるので、最後に首塚のことも聞いてみました。
よくご存知で、行き方を親切に教えて下さいましたよ。
それは水城から車で20分くらいかかる住宅街の中。
小高くなった住宅街の一角に、岩屋城址と同じ様な塚がありました。
島津軍の大将である島津忠長は、首実検の後、高橋紹運公の首をこの地に埋葬したと伝わっているそうです。
この戦いで島津軍も3千余りの戦死者を出し、大打撃を受けました。
この後、島津軍は立花宗茂公の立て籠もる立花城を攻める訳ですが、ここでも大打撃を受けて攻めあぐんでいる間に門司に豊臣秀吉の薩摩征伐軍が上陸して来たことから、立花城の攻略を諦め、九州統一を断念した島津軍は薩摩へと引き返すことになるのです。
そんな訳で、私は立花宗茂公や高橋紹運公、立花道雪公が大好きなのです。
次は立花城址へ行けると良いなぁ・・・。
では!
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流石は九州男児。
九州の戦国史に詳しいですね。
立花宗茂の事は無論承知しておりますが
岩屋城址や高橋紹運の名前も知らなかったです。
水城の事も・・・
今回のブログで知らなかったことを覚えました。
有難うございます。
投稿: c.walker | 2024年5月11日 (土) 19時54分
こんにちは。
無事、お父上の法要ができて良かったですね!
念願の岩屋城址跡もご覧になられて何よりでした♡
歴史には全く疎いのですみませんm(__)m
島津藩は両親のご先祖達と思いますが?
投稿: マコママ | 2024年5月12日 (日) 11時40分
こんにちは この話聞いたことが有りますよ その時はただ単にへーって思っただけでしたが こうして改めてみると 凄い歴史が有ったんですね 勉強になりましたよ 有難うございました。で その立花城 行けますよ 希望は捨てないでくださいね。
投稿: ハッピーのパパ | 2024年5月12日 (日) 15時33分
こんばんは♪
岩屋城については初めてです。
詳しい説明、ありがとうございます。
岩屋城の本丸跡、その奥に向けて更に高台が続いて見えますが
山としては本丸跡はピークにある訳ではないのでしょうか?
中大兄皇子の時代にこれだけの土塁を築いていたのも凄いですね。
最初の画像にあるような横になった仏様の石像は、少数派ながらも
増えつつある?とか。
あくまで感覚的なものですが、物腰柔らかな印象を感じます。
投稿: bill | 2024年5月12日 (日) 20時38分
お早うございます
お父様の法要が無事に済み本当に良かったですね
歴史が大好きというだけあり色々詳しくて本当にびっくりです
主人も歴史ものが大好きで本も沢山読んでいて色々語ってくれますが
歴史に疎い私の頭の中にはなかなか入らず困ったものです
次は立花城
行けるとよろしいですね
投稿: ゆめちゃん | 2024年5月13日 (月) 09時17分
こんにちは、ご無沙汰しました。
春休み中も、ご訪問・拝見しましたがコメントはお休み
させていただきました。特に、高校の修学旅行で行った姫路城は
興味深く拝見しましたよ。
お父様の一周忌の折に、念願だった岩屋城址への訪問が叶われ
良かったですね。私は知らずにいた歴史と武将たち。
切なくなる史実でした。
岩屋城本丸跡から見下ろす眺めは建物や道路こそ違っても、
当時とあまり変わらないかもしれませんね。
立花城址にも、三回忌の折にいらっしゃれるかしら。
天智天皇が造った土塁のことはぼんやり覚えていましたが
水城の名前はハテ?でした。 すごい労力をかけてこれだけの
ものを(古墳なども)造ってしまった当時の人々には感嘆するばかりです。
投稿: ポージィ | 2024年5月13日 (月) 11時35分
こんにちは。
九州地方はドライブでは行っていないので知らない事が多いです。
観光ツアーでは行かない所でしょうか???。
ドライブでは細かく歴史ある場所など立ち寄れますが、ツアーではそうはいきません。
行きたいと思っていた場所に行けて良かったですね。
投稿: マーチャン | 2024年5月13日 (月) 15時46分
こんにちは。お久しぶりです。
お父様の法要が無事に終わって良かったですね。
そして、念願の城跡へ。お墓参りも済まされて、充実した日だった事でしょう。
柳川では立花公を中心とした大河ドラマの招致計画が進んでいるそうです。
九州内でのお話では実現は難しいのかもしれませんが、一武将を中心に戦国時代を描いたドラマも多いので、実現すると良いですね。
投稿: 四季 | 2024年5月17日 (金) 10時34分
歴史は詳しくないけど
こんな出来事があり
立花氏は後々まで続いていくのですね
勉強させていただきました。
高校生の頃立花氏の子孫と知り合いだという同級生がいたと思い出しました。
投稿: hiroro | 2024年5月17日 (金) 11時53分
country walkerさん、こんばんは!
報道でご存じのことと思いますが、飛行が再開となり、最近はやたら忙しく、なかなかブログに費やす時間が無く、返事が書けず申し訳ありません。
立花宗茂公は北九州の英雄ですからね。
公のことが世間一般に知られていないことは残念です。
NHKの大河でやってくれたら有り難いのですがね。
きっと源氏物語よりも面白いと思いますよ。
投稿: FUJIKAZE | 2024年5月17日 (金) 21時51分
マコママ さん、こんばんは!
そうですね。
島津はマコママさんの祖先でしたね。
まぁ、戦国時代の話ですから、誰が正義か悪かなんて意味がありません。
地元の勇士を讃えれば良いのだと思います。
鹿児島県人は当然島津ですよね。
私も島津義久は好きではありませんが、義弘は好きですよ。
敵ながらカッコウ良いなぁって思います。
投稿: FUJIKAZE | 2024年5月17日 (金) 21時56分
ハッピーのパパさん、こんばんは!
立花城址は山の上、以前パパさんと登っていた山のようなところです。
と、なると、靴や服装もそれなりの物を持って行かねばならず、
九州旅行も大変です。
次回、どうしようか・・・って悩んでいます。
投稿: FUJIKAZE | 2024年5月17日 (金) 21時58分
billさん、こんばんは!
はい、岩屋城は山のピークではなく、中腹の尾根が盛り上がった様な地形にあります。
決して堅固な城では無かったのですが、高橋紹運公は立花城の前面に位置するこの城に、この城にあえて少人数で立て籠もったのだそうです。
男ですねぇ・・・。
天智天皇は、小説等では野心家で残酷な人として描かれることが多いのですが、大化の改新やその他、様々な改革は評価出来ると思っています。
写真には撮っていませんが、水城は少し離れた所に大きな物が残っています。
これを造らせただけでも凄いことですよ。
涅槃像は本当にあちらこちらの霊園で見かけますね。
きっと誰が見てもありがたく感じるから、増えているんでしょうね。
投稿: FUJIKAZE | 2024年5月17日 (金) 22時14分
ゆめちゃんさん、こんばんは!
死んだ女房もそうでした。
歴史には本当に疎かったです。
そのくせNHKの大河は良く視てましたよ。
時代背景は全く分かっておらず、鎌倉時代も戦国時代もごちゃ混ぜでした。
私がツッコむと、俳優の演技を視ているんだからって言い返してました。
ゆめちゃんさんも同じですか?
投稿: FUJIKAZE | 2024年5月17日 (金) 22時18分
ポージィさん、こんばんは!
親父の三回忌は女房の一周忌ですからねぇ・・・。
さすがに止めておきます。
天智天皇は先見の明があったのだと私は思っています。
鎌倉時代に蒙古襲来があった時、水城が日本軍の防衛線として機能した訳ですからね。
これを造らせたのですから、大した人です。
投稿: FUJIKAZE | 2024年5月17日 (金) 22時25分
マーチャンさん、こんばんは!
福岡県は、私の故郷?です。
是非、旦那さんと行ってみてください。
岩屋城址はともかく、水城や太宰府は観光名所ですよ。
福岡は食べ物も美味しいです。
是非どうぞ!
投稿: FUJIKAZE | 2024年5月17日 (金) 22時28分
四季さん、こんばんは!
立花宗茂の大河ドラマ化運動は、もう10年以上前から地元柳川を中心に行われていますよ。
だけど、NHKは知らんぷりです。
何故?
NHKが立花宗茂公を大河の主人公にしないのは、公が朝鮮の役で大活躍したからだと言われています。
朝鮮の役における宗茂公は、明・朝鮮連合軍の大軍を相手に、少人数でも向かうところ敵無しでしたからね。
要は韓国に遠慮して描けないのですよ。
島津義弘や加藤清正が主人公になれないのも同じ理由です。
もう、いい加減にして欲しいところですがね。
投稿: FUJIKAZE | 2024年5月17日 (金) 22時37分
hiroroさん、こんばんは!
hiroroさんは東京のご出身でしたね。
立花家は明治時代も続き、伯爵家として東京にも邸宅があったので、知り合いの方も多かったのでしょうね。
我が家も立花家の所縁が・・・あれば嬉しかったのですが、我が家は立花家の敵役である鍋島藩でした。
残念!
投稿: FUJIKAZE | 2024年5月17日 (金) 22時44分
お早うございます
奥様も私と同じだったんですね
私も色々がごちゃ混ぜで傍で主人が色々解説してくれ
それを聞きながら大河ドラマを見ていましたが
どちらかといえば俳優さんを見ていたような気がします
お城が好きなので少しは勉強しないとですよね
投稿: ゆめちゃん | 2024年5月18日 (土) 07時58分
ゆめちゃんさん、こんばんは!
そのままで良いと思いますよ。
きっと旦那さんもゆめちゃんさんが勉強することを期待してないでしょう。
大河ドラマ=俳優で、かまいませんよ。
自分が面白ければ良いのです。
投稿: FUJIKAZE | 2024年5月21日 (火) 22時05分