高知の歴史散策旅行(2日目・定番の観光地へ)
みなさん、こんにちは!
連続6間の勤務がやっと終わりました。
若かった頃は何でもありませんでしたが、歳をとるとキツいですねぇ・・・。
あと二年、頑張れるものかなぁ・・・。
では、前回の続きです。
二日目は好い天気。
空一杯に青空が広がっていました。
さて、二日目は長宗我部氏縁のお城を探して巡る予定・・・ですが、その前に高知旅行定番の場所へ行ってみました。
先ずは高知城です。
戦国史好きの私としては、ここは外せませんね。
戦国武将である山内一豊が築いた城です。
城門の外に、その銅像が建っていました。
山内一豊、私が子供の頃は(やまのうち かずとよ)と習いましたが、今は(やまうち かずとよ)とされているそうです。
もっと正確には、一豊も(かつとよ)なんだそうです。
まぁ、好きな武将ではないので、どうでも良いのですがね。
追手門(城の正門)傍の駐車場に車を入れ、場内へと向かいました。
門をくぐると、先ず見えて来たのは、なんと板垣退助の銅像でした。
天守をバックにした場内の一番良い場所に建っています。
一番良い場所にあるのが、山内一豊ではなく、山内容堂でもない板垣退助であるってところが感慨深いですね。
日本初の政党内閣である第一次大隈内閣の内務大臣だった人。
結局、大隈重信公の足を引っ張った人・・・私の評価はこんなところですが、土佐では英雄なんでしょうねぇ・・・。
さて、天守へと向かいます。
杉の段と呼ばれるところから天守を見上げると、なるほど・・・どこかで見た天守とよく似ています。
そう、静岡の掛川城の天守に似ているのですよ。
正確には、高知城の天守に似せて掛川城の天守を造った訳ですがね。
山内一豊は、かつて豊臣秀吉から掛川5万石を与えられ、元々あった掛川城を改装し、その際に天守を建てました。
その後、小山会議(関ヶ原の前に行われた会議)での功績として、関ヶ原の戦後、徳川家康が長宗我部盛親から取り上げた土佐9万8千石を与え、土佐へ移って高知城を築城した訳です。
その際、掛川城天守を模して高知城天守を建てたとのことから、平成6年に掛川城天守を木造で再建する際に、高知城の天守を参考とした訳です。
だから、私としては一度高知城の天守を見てみたかった訳です。
この杉ノ段には、一豊の妻である見性院(小説「功名が辻」では千代)の像がありました。
結婚したばかりで貧乏だった頃、一豊が欲しがった名馬を持参金を叩いて買い与え、一豊はその馬で織田信長の馬揃えにでて信長の目に留まったことが一豊の出世の糸口と伝わります。
見性院は良妻賢母の手本みたいな人ですね。
さて、ようやく天守です。
入館料420円を払って入館。
高知城は、本丸御殿が天守に接続するとても珍しい形式なんです。
つまり天守の入口は本丸御殿ということ。
入るとここにも「功名が辻」があります。
大河ドラマの放映を記念して制作されたものとか。
司馬遼太郎さんの書いた「功名が辻」は読み、大河ドラマも観ましたが、どちらも描かれている山内一豊は愚鈍な武将のイメージで、千代ばかりが目立っていました。
もちろん、ドラマとしては面白かったと思いますがね。
私のイメージする山内一豊は、当時の戦国武士そのもののイメージ。
豪壮勇武で露骨な野望を持った男であり、状況によってスタンスをコロコロ変える。
ただ、頭はあまり良くないので、豊臣秀吉からは子飼いでありながらも、厚遇はされなかった。
そんな武将かな。
そうして、山内家の家紋である「三ッ柏」がデンと鎮座しています。
岩崎弥太郎が興した現在の三菱グループのマークの起源。
三菱のマークは、この「三ッ柏」に岩崎家の家紋である「三階菱」を組み合わせたものです。
天守へ登る前に本丸御殿内を見学、名古屋城の本丸御殿の様な絢爛豪華さはありませんが、質素な中にも書院や欄間に手の込んだ細工を見ることができます。
さあ、いよいよ天守へ。
天守は、3層6階の造りになっています。
床板はつるつるのピカピカなので、残念ながら近年張り替えられたことが判ります。
最上階には廻縁が付いていて、ここから高知市街が一望です。
山内一豊もこうやって、自らの力で勝ち得た土佐国を眺めたのかなぁ。
さて、これで高知城は終わり。
時計を見ると、1時間半近くをこの城に費やしていました。
本当は高知城歴史博物館にも入る予定でしたが、もう無理。
入っていると、時間が足りません。
急いで駐車場へ戻り、桂浜目指して出発しました。
桂浜、高知の名所だもの。
見ておかないとね。
30分ほどかかって到着、駐車場へ車を入れました。
車を駐めて、ふと見上げると信号所があります。
あぁ、懐かしいな。
あの時の信号所だ。
高知港は、まるで鰻の寝床の様な狭くて奥が深い港なんです。
特に港口は極端に狭くて、大型船の出入港は信号で厳格に管制されているんですよ。
若かりし頃、まだ船に乗っている頃、初めて高知港へ入港する時、夜間で私はブリッジで舵輪を握っていました。
ようやくこの信号が入港可を示し、私が乗る船は高知港口へ差し掛かったのですが、その時、港から数多くの小型漁船が出漁して来たのです。
まるで私の船を掠める様に、次々と出てきて走り去る漁船群。
漁船が焚く煌々とした灯りがやけに眩しく、私は船長の操舵号令を絶対に聞き逃すまいと、ずいぶん緊張したことが懐かしく思い出されます。
さて、案内板に従って、桂浜へ。
途中に、桂浜のシンボル的な坂本龍馬の銅像が建っています。
司馬遼太郎さんの小説「竜馬がゆく」は、とても面白かったですよね。
まるで坂本龍馬が明治維新の立役者であるかのように描かれていて、高校生の頃、読んでいてワクワクしました。
しかし、「竜馬がゆく」の坂本竜馬は、坂本龍馬をモデルにした小説の主人公であって、司馬遼太郎さんが「こうであったら面白いなぁ」で書いたフィクションなんですね。
だから「龍」という字をあえて小説では「竜」と変えています。
例えば、小説のクライマックスである西郷隆盛との「薩長同盟」をめぐる面会も実際は無かった(時系列が合わない)訳です。
と、いう訳で私としては坂本龍馬は倒幕に動いた多くの脱藩土佐藩士の中の一人にすぎず、特に目立った功績は無いという印象なので、ここはスルーです。
桂浜は美しい海岸でした。
端から端まで歩いて、なるほどねぇ・・・名勝と言われるだけあるなって思いましたよ。
時計を見ると、もうお昼です。
帰りの飛行機まであと4時間しかありません。
急いでお土産を買い、次の目的地を目指しました。
さぁ、ここからがこの日の本番です。
で、続きは近いうちに。
では!




















































最近のコメント