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2025年3月

2025年3月29日 (土)

高知の歴史散策旅行(2日目・定番の観光地へ)

みなさん、こんにちは!

連続6間の勤務がやっと終わりました。
若かった頃は何でもありませんでしたが、歳をとるとキツいですねぇ・・・。
あと二年、頑張れるものかなぁ・・・。

では、前回の続きです。
二日目は好い天気。
空一杯に青空が広がっていました。
さて、二日目は長宗我部氏縁のお城を探して巡る予定・・・ですが、その前に高知旅行定番の場所へ行ってみました。
先ずは高知城です。
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戦国史好きの私としては、ここは外せませんね。
戦国武将である山内一豊が築いた城です。
城門の外に、その銅像が建っていました。
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山内一豊、私が子供の頃は(やまのうち かずとよ)と習いましたが、今は(やまうち かずとよ)とされているそうです。
もっと正確には、一豊も(かつとよ)なんだそうです。
まぁ、好きな武将ではないので、どうでも良いのですがね。
追手門(城の正門)傍の駐車場に車を入れ、場内へと向かいました。
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門をくぐると、先ず見えて来たのは、なんと板垣退助の銅像でした。
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天守をバックにした場内の一番良い場所に建っています。
一番良い場所にあるのが、山内一豊ではなく、山内容堂でもない板垣退助であるってところが感慨深いですね。
日本初の政党内閣である第一次大隈内閣の内務大臣だった人。
結局、大隈重信公の足を引っ張った人・・・私の評価はこんなところですが、土佐では英雄なんでしょうねぇ・・・。
さて、天守へと向かいます。
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杉の段と呼ばれるところから天守を見上げると、なるほど・・・どこかで見た天守とよく似ています。
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そう、静岡の掛川城の天守に似ているのですよ。
正確には、高知城の天守に似せて掛川城の天守を造った訳ですがね。
山内一豊は、かつて豊臣秀吉から掛川5万石を与えられ、元々あった掛川城を改装し、その際に天守を建てました。
その後、小山会議(関ヶ原の前に行われた会議)での功績として、関ヶ原の戦後、徳川家康が長宗我部盛親から取り上げた土佐9万8千石を与え、土佐へ移って高知城を築城した訳です。
その際、掛川城天守を模して高知城天守を建てたとのことから、平成6年に掛川城天守を木造で再建する際に、高知城の天守を参考とした訳です。
だから、私としては一度高知城の天守を見てみたかった訳です。
この杉ノ段には、一豊の妻である見性院(小説「功名が辻」では千代)の像がありました。
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結婚したばかりで貧乏だった頃、一豊が欲しがった名馬を持参金を叩いて買い与え、一豊はその馬で織田信長の馬揃えにでて信長の目に留まったことが一豊の出世の糸口と伝わります。
見性院は良妻賢母の手本みたいな人ですね。
さて、ようやく天守です。
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入館料420円を払って入館。
高知城は、本丸御殿が天守に接続するとても珍しい形式なんです。
つまり天守の入口は本丸御殿ということ。
入るとここにも「功名が辻」があります。
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大河ドラマの放映を記念して制作されたものとか。
司馬遼太郎さんの書いた「功名が辻」は読み、大河ドラマも観ましたが、どちらも描かれている山内一豊は愚鈍な武将のイメージで、千代ばかりが目立っていました。
もちろん、ドラマとしては面白かったと思いますがね。
私のイメージする山内一豊は、当時の戦国武士そのもののイメージ。
豪壮勇武で露骨な野望を持った男であり、状況によってスタンスをコロコロ変える。
ただ、頭はあまり良くないので、豊臣秀吉からは子飼いでありながらも、厚遇はされなかった。
そんな武将かな。
そうして、山内家の家紋である「三ッ柏」がデンと鎮座しています。
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岩崎弥太郎が興した現在の三菱グループのマークの起源。
三菱のマークは、この「三ッ柏」に岩崎家の家紋である「三階菱」を組み合わせたものです。
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天守へ登る前に本丸御殿内を見学、名古屋城の本丸御殿の様な絢爛豪華さはありませんが、質素な中にも書院や欄間に手の込んだ細工を見ることができます。
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さあ、いよいよ天守へ。
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天守は、3層6階の造りになっています。
床板はつるつるのピカピカなので、残念ながら近年張り替えられたことが判ります。
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最上階には廻縁が付いていて、ここから高知市街が一望です。
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山内一豊もこうやって、自らの力で勝ち得た土佐国を眺めたのかなぁ。
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さて、これで高知城は終わり。
時計を見ると、1時間半近くをこの城に費やしていました。
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本当は高知城歴史博物館にも入る予定でしたが、もう無理。
入っていると、時間が足りません。
急いで駐車場へ戻り、桂浜目指して出発しました。
桂浜、高知の名所だもの。
見ておかないとね。
30分ほどかかって到着、駐車場へ車を入れました。
車を駐めて、ふと見上げると信号所があります。
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あぁ、懐かしいな。
あの時の信号所だ。
高知港は、まるで鰻の寝床の様な狭くて奥が深い港なんです。
特に港口は極端に狭くて、大型船の出入港は信号で厳格に管制されているんですよ。
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若かりし頃、まだ船に乗っている頃、初めて高知港へ入港する時、夜間で私はブリッジで舵輪を握っていました。
ようやくこの信号が入港可を示し、私が乗る船は高知港口へ差し掛かったのですが、その時、港から数多くの小型漁船が出漁して来たのです。
まるで私の船を掠める様に、次々と出てきて走り去る漁船群。
漁船が焚く煌々とした灯りがやけに眩しく、私は船長の操舵号令を絶対に聞き逃すまいと、ずいぶん緊張したことが懐かしく思い出されます。
さて、案内板に従って、桂浜へ。
途中に、桂浜のシンボル的な坂本龍馬の銅像が建っています。
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司馬遼太郎さんの小説「竜馬がゆく」は、とても面白かったですよね。
まるで坂本龍馬が明治維新の立役者であるかのように描かれていて、高校生の頃、読んでいてワクワクしました。
しかし、「竜馬がゆく」の坂本竜馬は、坂本龍馬をモデルにした小説の主人公であって、司馬遼太郎さんが「こうであったら面白いなぁ」で書いたフィクションなんですね。
だから「龍」という字をあえて小説では「竜」と変えています。
例えば、小説のクライマックスである西郷隆盛との「薩長同盟」をめぐる面会も実際は無かった(時系列が合わない)訳です。
と、いう訳で私としては坂本龍馬は倒幕に動いた多くの脱藩土佐藩士の中の一人にすぎず、特に目立った功績は無いという印象なので、ここはスルーです。
桂浜は美しい海岸でした。
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端から端まで歩いて、なるほどねぇ・・・名勝と言われるだけあるなって思いましたよ。
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時計を見ると、もうお昼です。
帰りの飛行機まであと4時間しかありません。
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急いでお土産を買い、次の目的地を目指しました。
さぁ、ここからがこの日の本番です。
で、続きは近いうちに。
では!

2025年3月21日 (金)

高知の歴史散策旅行(1日目)

みなさん、こんにちは!

今週は7日間中5日間飛行機に乗っていました。
もっとも、2日間は高知の往復で、飛行時間も1時間ちょっとと短いフライトでしたがね。

今日はその高知旅行で更新です。
16日の日曜日、羽田を朝11時発の飛行機で高知へ向かいました。
当日は雨、この日は大きな低気圧が西から東へと移動中で、羽田は大雨が降っていました。
当初、会社の駐車場に愛車を駐める予定でしたが、会社からモノレールの駅まで傘を差して歩くことになるために断念。
空港の駐車場へ入れて、搭乗しました。
高知空港着は12時半頃の予定。
フライト中、もう高知は晴れていると良いなぁ・・・って、淡い期待を抱いていたのですが・・・到着するとやっぱり雨です。
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あぁ、またしても雨男の本領発揮だな。
山形旅行の時も、ずっと雨だったものなぁ・・・。
嘆いても仕方ないので、気を取り直してレンタカー屋さんへ赴き、予約していた車を受け取って高知市内へ向け出発です。
この時、レンタカー屋さんのおねーさんに、高知城について聞いたところ、雨の日は天守最上階の回廊が閉められていて外へ出ることができないので、今日は止めておいた方が良いとの情報を貰い、さて先ずはどこへ行こうか・・・。
で、向かった先は、「若宮八幡宮」です。
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この神社は源頼朝が1185年に創建した武家尊奉の神社とのことです。
本殿の屋根は、武士が勝虫と呼んで好むトンボが飛び立つ姿をモチーフにした出蜻蛉(でとんぼ)式建築とのこと。
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なるほどねぇ・・・。
長宗我部元親公は、初陣の時にこの神社の馬場先に本陣を構え、戦勝を祈って戦に臨み大勝利を得たことで、以後、この神社を尊崇したとのこと。
私もこれまでの負けっぱなしの人生を立て直すべく、祈念してきました。
さて、この神社の参道脇には長宗我部元親公の像が立っています。
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初陣の公を顕しているとのこと。
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素敵な像ですねぇ・・・。
公が今でも地元の人たちに愛されていることが分かります。
銅像の脇には、長宗我部氏の旌旗「七つ酢漿草」も立てられていました。
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雨が降りしきる中、私は20分くらい佇んで像を眺めましたよ。
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さて、「若宮八幡宮」を後にして、次は長宗我部元親公のお墓へ向かいました。
場所は住宅地の裏にある山の中腹です。
予め調べておいたのですが、車のナビもよく分からない様子。
それでも、なんとか辿り着きましたよ。
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案内板の示す奥に、石段が見えます。
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かなり登るのかなって、覚悟しましたが、予想に反して十数段登った先にお墓はありました。
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この墓参が、この旅行の最大の目的です。
しっかり参拝いたしました。
参拝後、帰ろうとしたら階段の登り口の側に、兵士の墓との看板を見つけました。
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関ヶ原の後の、浦戸一揆で死んだ長宗我部氏の家臣を祭ったものとのこと。
関ヶ原で西軍に属した長宗我部盛親(元親公の四男)は、敗戦後徳川家康に謝罪しますが、改易され土佐一国を取り上げられてしまいます。
それに怒った長宗我部氏の家臣が、土佐を接収に来た井伊直政に対して反乱を起こし、結果鎮圧されて反乱者は皆殺しにされてしまうのです。
その人たちを祭った場所とのこと。
勿論、手を合わせてきました。
長宗我部元親公のお墓参りの次は、公の嫡男である長宗我部信親公のお墓参りです。
このお墓は、高知市内の雪蹊寺というお寺にあるとのことだったので、ナビですぐに判りました。
長宗我部元親公のお墓から、そんなに離れていないお寺です。
本堂の裏手に墓地があり、その一角にひっそりと祀ってありました。
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長宗我部信親公は、長宗我部元親公の嫡男として生まれ、少年期からとても聡明で、身長約185cmと体格にも優れ、一族家中の信望も厚かったと伝わります。
しかし、豊臣秀吉の島津征伐の際、豊臣軍の四国勢の一員として大分県に上陸した長宗我部勢は、無能な指揮官であった仙石秀久の命令で無謀な戦いを強いられ、島津の大軍に包囲されて、信親公は討ち死にしてしまうのです。
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公の遺体は島津から返され、火葬されて土佐へ戻り、最終的にこのお寺へ葬られた訳です。
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嫡男が討ち死にしたことで、元親公はおかしくなり、家臣達の反対を押し切って四男の盛親を後継者としてしまい、結果、関ヶ原、大坂の陣と敗北して長宗我部氏は滅亡してしまう訳です。
信親公が生きていたら、長宗我部氏の運命も変わっていたかもしれません。
「滅びの美学」って言うのかな・・・こういったところに、何ともいえない浪漫を感じますねぇ・・・。
さて、この旅行の最大の目的は果たしました。
時刻は既に15時を回っています。
とりあえず、ホテルへ入ろう。
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ホテルのある高知市の中心街へと向かいました。
今回のホテルは、ドーミーインです。
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この系列のホテルの利用は、長野旅行以来です。
このホテルは、温泉が付いているのが魅力ですね。
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温泉には後でゆっくり浸かるとして、先ずは高知市中心部を散策です。
この頃になってようやく雨は上がり、雲間から青空が見えて来ました。
高知市内には、所謂チンチン電車が走っています。
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昔、小倉の街にも走っていて、これに乗って高校に通学していました。
懐かしいなぁ・・・。

あっ、有名な「はりまやばし」を発見。
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札幌の時計台、長崎のオランダ坂、そうしてこの「はりまやばし」が日本の三大がっかり名所なのだそうです。
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これで、オランダ坂と「はりまやばし」のがっかり名所二つは制覇したぞ。
次は時計台を見に行こう。
はりまや橋の側に、アンパンマンの石像がありました。
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次のNHKの朝ドラは、アンパンマンの作者のやなせたかし夫妻がモデルなのだとか。
あちらこちらにポスターも貼ってありましたよ。
土産を買ったりしていたら、もう6時です。
ホテルの近くの居酒屋に入りました。
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勿論、名物の鰹のたたきを食べましたよ。
お味?う~ん、静岡で食べるものとそんなに変わりませんでした。
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静岡は御前崎や焼津でも鰹は上がりますからね。
美味しかったのは・・・そうですねぇ・・・ウツボの唐揚げです。
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皮が香ばしくて、身はプリプリで本当に美味かったなぁ・・・。
この先、ダイビングでウツボを見かけたら、美味そう!って思うかもしれません。
続きは近いうちに。
では!

2025年3月 7日 (金)

戦いすんで日が暮れて・・・7

みなさん、こんにちは!

ダイビングにも行けず、旅行はまだ先なのでネタ無しです。
それで、今回も飛行機ネタで更新します。
2月のある仕事の日、首都圏は好い天気。
羽田にも青空が広がっていました。
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この日の仕事は北、日本海方面です。
気が重いなあ・・・。
実は私、日本海方面の仕事は好きではありません。
特に冬場はね・・・いつもどんよりと曇っていて、何と言っても飛行機が揺れますからね。
積乱雲の湧く南の海の方が好きなんです。
でも、仕事は選べませんからね。
昼前に出発です。
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離陸した直後、眼下には「夢の国」が広がります。
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今日も賑わっているんだろうなぁ・・・。
あぁ、スカイツリーが見えてきました。
天望回廊で、かわいい子が愛機を見て手を振っていますよ。
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嘘です。
スカイツリーを超えると、すぐに日光が見えてくるんだけれどなぁ・・・。
眼下は一面真っ白な雲雲雲・・・
何も見えません。
そろそろ新潟だけどなぁ・・・
時折、雲の切れ目から見える地表は真っ白だ。
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地形で判別できる場所に出た。
五泉市だ。
今も雪が降っているのかなぁ・・・。
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このまま日本海へ出る。
佐渡は・・・雲の下だ。
両津港だけは雲が掛かっておらず、はっきりと見えた。
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さぁ、そろそろ仕事だ。
愛機は高度を下げ始めた。
雲の切れ間から海が見える。
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予想どおりの大時化だね。
まるで海面を幾千万の白ウサギが飛び跳ねている様だ。
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豪華?客船が足早に眼下を通り過ぎてゆく。
ガブリガブリと上下左右に大きく揺れている。
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フフッ、お客さんは皆、船室のベッドでグロッキーだろうな。
船なんか乗るんじゃあなかったって・・・。

ここから仕事中。
なんとか今日も無事に終わった。
帰ろう・・・でも、今日は少し寄り道だ。
新潟の海岸線が見えてきた。
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陸地へ入って西へ変針。
新潟東港だ。
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愛機は港の上空を航過して高度をぐっと下げた。
ギアを下ろす。
眼下に新潟競馬場が見える。
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着陸。
ここは新潟空港だ。
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愛機はスポットに入り、何人かのクルーが下りて用事を済ませる。
この間、約30分、すぐに離陸だ。
もう日没の時刻だなぁ・・・。
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離陸、羽田へ向かう。
着陸はすっかり夜になるな。
眼下に喜多方の街が見えてきた。
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一面真っ白だな。
もう点々と街の灯りが見える。
すぐに猪苗代湖だ。
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北半分は雲の中。
湖畔の街の灯りが綺麗だ。
愛機は須賀川を過ぎて南へ針路を変えた。
もうすっかり夜だ。
阿見町辺りから南西へ。
指定された滑走路は16Rだ。
戸田市で南へ。
遠くにスカイツリーが見える。
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新宿だ。
都庁が綺麗だな。
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国立競技場と東京タワーが見える。
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神宮球場は真っ暗だ。
あの灯りが少ない所は、青山霊園かな。
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東京タワーがライトアップされていて綺麗だ。
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レインボーブリッジが見えてきた。
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若かりし頃、仕事場だった港だ。
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もっとも、その頃はレインボーブリッジなんて無かったけどね。
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さぁ、着陸だ。
愛機はギアを下ろした。

着陸。
愛機はいつものスポットへ向かう。
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これから翼を洗い、執務室へ戻って、報告書を書いて・・・日付が変わる前に横浜の出城に帰り着くかな・・・。

と、こんな一日でした。
肉体的にはきついけれど、希望どおり飛行機に乗って仕事をしているのだから文句は言えないな。
では!

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